枕草子 (My Favorite Things)
【第308回】 何がEZなんだか(2000年5月27日〜30日)
- 26日の帰りにアクシデント。EZ-Link USBがまたもや絶不調で,Windows2000では何度やっても認識せず。これまで,こういうときはWindows98にすれば使えたのだが,どういうわけか今回はWindows98自体が絶不調になりFATが壊れたとか何とかいうメッセージを吐いて死んでしまう。諦めてvaioのワークをアップデートせずに帰ったのだった。ワークにあるファイルを追加,更新せず,新規作成すればアップデートで困ることはないはずだ。
- 27日土曜日は,娘を保育園に送ってから,自宅でミーティングの準備。vaioに新しくWordの文書を立ち上げてハンドアウトを作り始めるが,3割くらいできたところで昼になり,娘を迎えに行った。午後はドッジボール大会から帰ってきた息子と遊んだので進捗せず。日曜日は資源ゴミ回収があった後,久々に家族でひまわり公園へ出かけた。息子の自転車練習が目的だったのだが,いつの間にか補助輪なしの貸し自転車がなくなってしまっていた。事故防止のためというが,それにしては自分の自転車をもってくることは禁止していないのだから,中途半端と思う。難癖をつけた人でもいたのだろうか? もっとも,ここはせっかくの交通公園なのに,信号が作動しているのを見たことがないから,もともと運用は中途半端だったのだ。どうせなら長野市もきちんと予算をつけて,交通公園としての運用をしたらどうだろうかと思っていたのだが,退行してしまったのは実に残念だ。ともあれ,ないものは仕方ないので,補助輪つきの自転車も乗ったものの,むしろブランコ類で長い時間遊んだり,妻がつるやに行って買ってきた善光寺饅頭をベンチでぱくついたりして溜飲を下げた。ちょっと不気味だったのは,よく見ないとわからないのだが,ひまわり公園西側階段付近の地面の上を,恐ろしくなるほど無数のダニ(と思われる赤い小節足動物)がうようよと動いていたこと。急に暑くなって出てきたのだろうか?
- その後,いつもの量販店に出かけてオセロを買い,息子と対戦。つい本気を出してしまい,途中から置くことができなくなった息子は大いに腐っていた。まずかったかも。子どもたちと入浴後,vaioを起動してハンドアウト作りを継続したが,眠気に耐えきれず完成度8割で0時頃就寝。
- 目が覚めると5時だったので,ちょっとハンドアウト作りを続けてから食事をとり,6:43発あさま502号で出勤。メールが溜まっていたのはいいとして,相変わらずvaioがデスクトップマシンにつながらないので,ハンドアウトが出力できない。さんざんインストールのやり直しなどしたが駄目だったので,フロッピーでファイルをコピーし,何とかハンドアウトを作り終わったら3時近く,昼飯を銀杏でとってから,すぐにミーティングに突入した。言い訳にもならんが,やや発表時間が伸びてしまったのは,こういう事情で内容紹介順序の詰めが甘くなったからである。すべてEZ-Link USBが悪いのである。
- ミーティング後,人類生態学MLに内容を流そうかと思ったが,EZ-Link USBを直してワークの整合性をとってからと思っていろいろいじくっているうちに,Windows98のレジストリが壊れたりFATが壊れたりして,もはや完全に修復するには再インストールしかないという状態になった時点で時計をみたら終電の時刻だったので,明日に回すことに。それにしてもEZ-Link USBが調子が悪いために調整しようと思ってかけた無駄な時間は,無視できない長さと思う。総計10時間くらい無駄に使っているような気がする。Etherに変えようか? と思うほど。再インストールはWindowsに憑き物だから,それ自体は諦めているのだが,どうせAthlonにするしマザーボードも変えるから,その前に再インストールするのは何とも無駄に思えて決断できないのである。しかも人口学会の発表直前というタイミングの悪さもあり,『何がEZなんだか』と思わず呪詛の呻きが漏れてしまう今日この頃なのだった。
- そんなわけで,心が大分Etherに傾いているからかどうか知らないが,偶発的な事情もEther化に向いているようである。ミーティング中に生協から電話があって,Athlonが届いたということと,筐体をこちらの注文通りのMT-PRO 2000 DEEPと交換するには2週間かかるという話。あまりに鬱陶しいので,差額をNICとクロスケーブルでも貰うことで話がつかないか交渉してみようと思いついた(が,30日になって生協に確認したら,生協から商社への発注の時点で間違っていて,51200円は無印MT-PRO 2000の値段だったそうだ。つまり,メーカ直販小売価格36500円がどういうカラクリか知らんが51200円という売値になっていることになる。これはどう考えても生協の仕入れルートが不合理なので,メーカ直販で仕入れるように頼んでおいた)。天の配剤か,貸していたPCカードバス用のLANカード3つのうちの1つも戻ってきたことでもあるし(戻ってきた事情を考えると,彼の方がぼくより遙かに不幸なので,素直に喜べないのだが)。デスクトップマシンが100baseTの2枚差しになるのは,そう遠いことではない。
- 妻の誕生日だというのに,そんなくだらない事情で終電に乗っているぼくは間抜けだよなあ。
- 長野についていつものように自転車に跨り,北へと坂をのぼっていくと,行く手の頭上には北斗七星が瞬いていた。食事をしながら,鈴木光司「新しい歌をうたえ」(新潮文庫)を読了。宮台真司による妙に深読みした解説がついていたが,鈴木光司の本質は,矛盾も抱え込んだ自分の無条件の全肯定にあるわけで,もっとストレートに文化伝播を狙っているのだと思う。「能天気なセリフ」として列挙している「人間の未来は明るい」「人間はお金で動くものではなく,精神的な快楽によって動くものだ」「強く望めば,夢はかなう」「人間の住む社会は競争社会ではなく,共に生かしあう共生社会なのである」には,厳密さには欠けると思うものの共感を覚えるが,それこそが鈴木光司の狙いなのだろう。もっとも,相変わらずちょっと閉口するのは,男性性と女性性という対置の仕方で,農耕民族は女性性とか狩猟民族は男性性とかいわれると,そうじゃないぞといいたくなる。第一に女性性とか男性性とかいうラベルの貼り方がダメなのだが,農耕民族と狩猟民族という対置も間違っている。遊牧民という話ならまだわかるが,キリスト教世界やイスラム教世界が「何千年にもわたり狩猟で生活の糧を得てきた」というのは真っ赤な嘘である。主に狩猟に頼って生きたヒト集団というのは,きわめて稀なのだ。こういう論考をするなら,鈴木秀夫「森林の思考・砂漠の思考」(NHKブックス)くらいは読んで欲しいと思うのである。百歩譲って鈴木光司の文脈に立ってみても,狩猟は「決断を迫られる場面が多くなる」から「明確な自我が芽生える」だけでなく,瞬間的な決断しか要請されないから,生き方が刹那的になるかもしれない。農耕は,長期的なビジョンを立てて暮らすことを可能にしたわけで,ヒトの予測能力の発露として,脳が発達してきたという進化の歴史の自然な帰結と見ることもできる。きっと鈴木光司は,そこまで考えて書いているわけではなく,たんに日本人の多くが共同体帰属意識が強く自我が希薄だといいたかっただけなのだろうが,中教審の委員である以上,もう少し深く考えて欲しいと思うのは,期待のしすぎだろうか。
- 今朝は4:30に起き,洗い物をしたり食事をしたりしてから,学振で未来開拓のヒアリングがあるため,珍しくワイシャツネクタイ姿で出勤。交通量がほとんどゼロといってよい,この時間の長野市内の道路で自転車を漕ぐのは,なかなか気持ちがいい。余裕をもって6:00の始発(あさま500号)に乗り込む。
- 結局EZ-Link USBは捨て去ることにして,ここまでvaioで打ったものをフロッピーでデスクトップマシンに移した。なんだか間抜けなような気がするが,ものごと,見切りをつけることも大切であろう。
- ヒアリングは,またも発言の機会なく終わった。弁当がうまかったからいいか。
- 大学に戻ってからは,見積もりが来ていたFrontier神代のマシンをFAX注文し,生協に行ってデスクトップマシン用のAthlon 700MHzを受け取ってきたり,と今後の展開をにらみながら,人口学会の発表準備。メールでの質問などに答えながらやっていると,なかなか効率が上がらないうちに既に20:00近くなっている。あ,ミーティング報告がまだだったっけ,と思ってそれをやったら20:40となってしまい,今日の帰りは終電1本前である。長野には23:06到着予定だが,上野でもがら空きだった上に,どういうわけか熊谷で大勢降りて空席だらけとなった(大宮では逆に乗ってきた人が多かったが)。佐久平や上田に停まらないからだろうか。
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