枕草子 (My Favorite Things)
【第374回】 さて研究だ……と思ったが挫折した一日(2000年8月30日)
- 往路は8:05発あさま504号。ぼくは早起きして味噌汁を作ったのだが(人参が多すぎて灰汁が残っているような味がすると不評),昨夜秋田から妻が帰ってきたのに興奮して夜更かしした子どもたちが起きてこないので,朝食時間が後方シフトしたのである。ともあれ,今日からは終電で帰っても大丈夫だ。やはり時間的余裕は大事だと思う。
- 今日はできれば論文を2本仕上げてしまうつもり。「できれば」「つもり」とは弱気な話だが,人口学会の仕事も人類学会の仕事もまだ途中なので,やらないわけにはいかないからなあ。
- 何日かぶりでSIBC News Headlineをみたら,すべての州からの代表を含む150人が参加した国家平和協議会が開催されて無事終わり,平和へのプロセス,戦争中の不法行為についての責任免除,武装解除,法と秩序,事実認定と和解,政治と政府のシステム,土地,補償,移住,復興,教育といったさまざまな側面で解決策が話し合われたとのこと。それでも,本当の終戦のための最初の和平会議は明日にまで延期されたということで,なかなか一筋縄ではいかないものである。これらの会議はすべてニュージーランド海軍のフリゲート艦Te Kahaの上で行われているのだが,それにしても,IWCで日本と共同歩調をとっているソロモン諸島の問題解決を,グリーンピース絶対支持のニュージーランドが仲介していることに対して,日本のクジラ関係者はどう感じているのだろうか? 驚いたのは28日にホニアラのカジノで10万ドルが盗まれたというニュース。治安の悪さもそうだが,カジノが営業していたらしいことも驚きである。
- 来がけに上野駅の本屋(フローラ上野ブックガーデン)で本を6冊買ってしまったのだが,そのうちの1冊,森田明美編著「幼稚園が変わる 保育所が変わる 自治体発:地域で育てる保育一元化」(明石書店)という本は,ぱらっと眺めたところ,過日の思いつきと同趣旨の提案をしているようだった。やはり考えている人はいるものだなあ,と心強く感じた。
- 20:30現在,論文は1つも仕上がらず。なんて意志薄弱なのだろう。いくら自嘲しても,直らなくては意味ないよなあ。
- NAEE2002による2002年新学習指導要領実施中止運動。小中の教科内容をやたらに減らすのにはぼくも反対だから,署名してきた。学問とは体系なので,断片化するとかえってわかりにくくなるものである。教科内容が減らされた状態できちんとつながりを理解させようとしたら,宿題を増やすとか課外授業をするとかいった必要がでてくるだろう。しかも,その体系を教師個人の力で構築せねばならないとしたら,教師にとって大変な負担となろう。だから,学習指導要領は,体系としての意味をもつ程度の内容はもたねばならないはずだ。情報量全体としては増えつづけているのに,素養,すなわち一般市民に共通すると想定される教養のレベルが低下するのは,文化が崩壊するということでもある。情報の海の中を泳ぐ指針となるのも素養なので,素養の低下は,ある意味では操作されやすい市民を作り出すことになり,自決権の前提が崩壊する危険が生じる。下手をすると大政翼賛体制が再現しそうな恐怖に駆られてしまう。考えすぎか?
- 帰りは終電。小森健太朗「駒場の七つの迷宮」(カッパノベルス)を読了。80年代半ばの東京大学駒場キャンパスを舞台にしたミステリ。メインの謎の鍵となるトリックにも無理があるし,考える鍵の出し方もフェアではないので断じて本格ではないが(ミスディレクションのしかたも本格のコードを裏切っている),経済的な理由から伯父が主宰する宗教団体の学内サークルの勧誘員をしている語り手「ぼく」のキャラクタは80年代半ばの駒場にはたくさんいたモラトリアムノンポリ学生を思わせて立っているし,アクロバティックかつ予定調和的な展開が西澤保彦を連想させた。カバー写真が駒寮内部なのが妙に懐かしい。しかし,学生会館の描写に輪転機の臨場感が足りないとか,寮食のおはようセットが出てこないのは不自然だとか,民青とノンセクトラジカルを左翼としてまとめてしまうのは当時の駒場の雰囲気を矮小化しているとか,統一教会=原理研を仮名にする意味がどこにある? とか,著者と同期で駒場時代を過ごした者にとってみれば食い足りない点があるのも確かである。レリーフは確かに「ト」と「グ」が落ちてレーニン体育館だったけれど,普通はトレ体と呼んでいたし(それとも文系は違ったのだろうか?),語学クラスに触れないのはおかしいとか,図書館の書庫には当時そんなに本が積まれてはいなかったはずだし,ぼくがアルバイトでコンピュータ管理のためのラベルを本に貼ったのは1986年2月頃だったように記憶しているから当時OPACは無効だったのではないかとか,現実の駒場ノスタルジアという観点から文句をいえばきりがないのだが,あの時代のあの場を舞台にした初めての作品だから,その意欲は買いたいと思う。
- それにしても駒寮って不思議な空間だったよなあ。
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