枕草子 (My Favorite Things)

【第378回】 懇話会(2000年9月5日)

長野県知事との懇話会は10:00にホテル国際21に集合ということになっている。ネクタイなんかすると緊張するし肩が凝るから嫌なんだが,スーツで来るように指定されているので締めないわけにはいかない。話の中身は男女共同参画というバリアフリー的なことなのに,そんなところで形に拘るのは変だと思う。いつもはTシャツと短パンとワークベストという姿で新幹線に乗っているぼくにしてみれば,服装は機能的なのが一番だと思うが,スーツが機能的だとは全然思わない。欧米的審美眼に価値観を合わせることに疑問を感じないという姿勢が,男性優位社会に疑問を感じないのと同根であることに気づくべきではなかろうか。

案の定,平常心ではいられなかった。時間が4分と切られていたせいもあるが,ほとんど必要最小限しかしゃべれなくて,昼食中に知事から話を振られても応答だけで終わってしまったのは,スーツとネクタイのせいだ。まあ,ぼろがでなくて良かったという見方もできなくはないし,なかなか得難い体験ではあったから無駄ではないのだが,それだけに勿体無かったような気がする。いろいろな人の話の中身は,別に秘密とは言われなかったので,時間があったら後で書いてみよう。まあ,簡単にまとめてしまうと,肩肘張っている人が多かったように思う。誰もがもっと自然に考えて話し合って適応的合理的に振る舞えばいいのに,そうできないのは,そうしたくない既得権保持者がいるからだろうか。心残りなのは,隣に座ったIBMの方が在宅勤務の薦めをしていらしたのに対して,インフラ整備はどの程度必要かという議論ができなかったこと。ぼくみたいな若輩者が自分から話を振れるような雰囲気じゃないと自分に言い訳をしてみても,信州大の英語講師の方にはできていたことだから,我ながら説得力がない。やはりスーツとネクタイのせいか,なんて言ってみても自分が情けなくなるばかりだから,この辺でやめておく。

12:40頃,昼食(高級そうな弁当。容器の外見が寿司みたいだったのだが,美味なタイの刺身と俵おにぎりだった)も終わったので,自転車に乗って駅へ直行。13:08発あさま516号に乗れた。高崎に停まらないせいか,空いている。駅の売店で買った今週の週刊アスキーを読む。自作ガイドは入門者向けには良くできていると思った。ぼくにとっては既知のことが大半だったが。後はパーム特集と,e茶.comかな。週刊アスキー編集部には喫茶な人がいるに違いない。

懇話会で「長野県男女共同参画計画の体系素案」というパンフレットを貰った。女性課長の話ではインターネットでも意見を受け付けているというのだが,パンフレットには長野県トップページのURLしか書いてなくて,リンクを虱潰しに調べてこの計画への意見募集のページに行き着くのに非常に苦労した。広く意見を聞く気があるとは到底思えない。これに限らず,多くのPIの問題点は,存在自体の広報が不十分なことだ。結果としてselection biasは避けられないことになる。Publicの意味を考え直してもらいたい。

今日は雨模様なので21:30発あさま535号で帰宅予定。

往路で雨が降っていて自転車に乗ってこなかった上,まだ小雨がぱらついていたので,日和ってタクシーに乗ろうと思い,池之端門の方でなくて,竜岡門に出た。ところが,何故か来るタクシーすべてに乗客がいて,乗れないのだった。仕方がないので傘をさして湯島の方へ歩いて降りて行ったが,一向に空車のタクシーは来ないのだった。これは終電かなと一瞬思ったが,上野広小路についた時点でまだ8分の余裕があったので,走ってみることにした。閑散としているアメ横を走り抜けて上野駅に着いたのが21:26。改札を駆け抜けて新幹線改札,エスカレーター2つを経て階段を駆け下りると,あさま535号のドアが開いたところだった。まさに滑り込みセーフ。

2号車に空席があって,上野から座れた。森田明美編著「幼稚園が変わる 保育所が変わる 自治体発:地域で育てる保育一元化」を8割くらいまで読み進めたところで軽井沢。この本が非常に気を遣って観察しているのは,一元化した場合に幼稚園児が早く帰ることを保育園児が羨まないかということだが,どのケースでも大人の懸念に反して,子どもはすぐ慣れるということである。ぼくが保育園に迎えに行っていたときの観察でも,延長保育の子が早めに帰る子を羨むことは(年度始めはちょっとあるにしても)ほとんどなかったから,いろいろな事情の子がいるという多様性を身に染みて理解できる能力を子どもは本来もっているのだと思う。誰もが同じように振る舞うという平等主義は(自然にそうならいいのだが,無理して平等にしているなら),かえって子どものポテンシャルを落とすことになるのではなかろうか。大事なのは子育てとは何なのかというフィロソフィーである。ぼくは,子どもは親が育てるなんてのが傲慢な考え方で,地域社会の中で育つというのが本来の姿だと思う。だから,保育一元化がなされた場合,前に提案したように保育園を地域子育てセンター化するならば,敢えて早く帰る子どもをつくる必要はなく,全員を夕方まで保育するということでいいと思う。そうしたとき,たぶん最後に残る問題は,給食だろう。学校給食にも通じるのだが,低年齢であるだけにより問題は大きいと思う。食物アレルギーの問題もあるし,食品添加物や食品汚染といったことも問題となりうる一方で,給食費も出したくないし,弁当も持たせたくないという親がいたら,行政としては対処できないかもしれない。全国どこでも加納小学校みたいな給食ができればいいが,それは無理だろうから,もっとよくしてやりたいと不満をもつ親も出てくるだろう(その場合は保護者の間でムーヴメントを起こして改善すればよいのだが,そこまでできずに不満が燻る可能性もある)。取りあえず実践してみるしかないような気もするが,生存の必要条件であるだけに,食の問題は難しいのである。


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