枕草子 (My Favorite Things)
【第412回】 文脈(2000年10月25日)
- 往路は,あさま2号。発車2分前だったが,今日は空席があった。新幹線の乗車率は水物だなあ,と思う。
- 今朝の長野市内は小雨がぱらついていた。自転車が漕げるくらいの降りだったので行動に影響はないのだが,それにしても最近は雨が多いと思う。そういう季節なのだろう。
- ものごとを批判する場合,文脈を離れて字面だけ見てはいけないと思う。コトは,青空MLでも奉仕活動義務付け案が話題になった([2318]から[2438]辺りまでで,ぼくの意見は現在のところ[2401]),教育改革国民会議である。森山和道さんの日記に子どもへの方策(と森山さんはリンクしているし,ヘッダのタイトルタグの中が「1.子どもへの方策」となっているが,後述するように,このページの内容は「子どもへの方策」だけではない)について,「官邸の人は,本気で考えて,こういうものを作っているのだろうか」と書かれていたが,もちろん官邸として本気で考えているわけがない。リンク元へ戻ればわかるけれども,件の文書は「一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要) 」として資料一覧からリンクされており,おそらくは官邸の下っ端公務員が「おい,委員発言の概要をまとめておけ」と命じられ,いやいやまとめた一覧表であろう。文脈に即したまとめをするには相当な熱意と高い能力が必要なので,おそらく時間もなくまとめられたのであろうこの一覧表に,公式文書としての意味を求めるのは酷というものだ。第1分科会の第4回会議のときに配られた配布資料なので,委員は元発言を知った上で見るので紛れが無く,この一覧表本来の目的としてはそれで十分だろう。こんなやっつけ仕事の一覧表まで公開するのは,情報公開ということで無意味ではないかもしれないが,誤解される可能性が多い公開の仕方であるなら,公開しない方がましかもしれない(もし,意図的に誤解されることを狙った作文及び公開であるとしたら,いろいろな意味で,官邸の役人恐るべしだが)。
- もちろん,件の一覧表の元発言は,誰がどういう文脈でしたものかということをチェックする必要はある。第2回会議の配布資料の中に,pdfファイルで収められている「第1分科会委員の意見」が元発言である。森山さんがリンクしている山本さんの日記で批判されている,「団地,マンション等に床の間」とか「学校に畳の部屋」とか言っているのは,お茶の水女子大学名誉教授の森隆夫という人である。この方はご老体であり,現在の大人に「しつけ」をしたいらしいが,形に内容がついてくると思っている辺り,確かにピントがずれていると思う。ちなみに床の間をつくる意味は,「床柱,大黒柱で親の責任の自覚を促す(制度的権威と人格的権威の相互補完関係を理解し,親の存在感を高める)」ということらしいが,床の間や床柱に制度的権威があるというセンスが既に還暦以上の人にしかないのではないか? だとしたら床の間で制度的権威を代表させようというのはまったくナンセンスな話だろう。「学校に畳の部屋」というのは「礼」を教えるためだそうだから,挨拶がきちんとできるとか場を弁えて行動するとかいった普通の社会常識を教えたいという発想なのだろうが,そこで「畳の部屋」という箱モノを出してくる土建屋的発想は稚拙だと思う。名刺に信念を書くというのも,同じ森氏の意見であり,この方個人のセンスの問題だと思う。もっとも,この方が第1分科会の主査であるという人選には問題があるが,会議全部を否定することはない。
- 「バーチャル・リアリティーは悪である」というのは,曽野綾子氏の意見を集約したつもりのものらしい(実は奉仕活動自体も,「生きる」実感を体験させるためと,老人介護問題の解決を意図した曽野氏の発案のようだから,曽野氏が第1分科会でオピニオン・リーダー的な役割を果たしているような気がする)。曽野氏の元発言「ヴァーチャル・リアリティー(中略)研究などの明確な目的や必要性を持つもの以外,発達途中の子どもたちにはかなり有害なものだ」は,pdfファイルの19ページから27ページをちゃんと読めば,「現実の生活と観念の世界が過不足なく入ってくるのが当然」ということを敷衍した議論で,仮想的な環境から受ける感覚の擬似的体験(において自らの安全が保障される身勝手で安易な関係)だけではなく,例えば動物を飼えば実際に排泄物の処理をするという生々しさから受ける,生命として「生きる」感覚も体験する必要があるという意味で,過度な応用を戒めているに過ぎない。アンチテーゼをテーゼとして紹介する一覧表が悪いのであって,曽野氏の元発言は(現実理解の説明原理としては安直な気もするし,全面的に賛成するわけではないが)理解できる。
- 「飼い馴らす」は山折哲雄氏(京都造形芸術大学大学院長)の第1回会議での発言から来ていると思うが,生物としてのヒトに文化装置をかぶせて人間にするという話なので,字面ほど衝撃的な意味なのではない。何度もフィルターを通ることで妙な言説が形成されていくのは,本当に怖いことだ。また,それを変に利用する西尾幹二氏のグループみたいなのも存在するから,何重かのフィードバックがかかって,議論の方向自体も変容していくこともありうる。その意味では,一覧表にでも「おかしいぞ」と文句をいうのは正しいことかもしれない。
- いかん,ちょっと腰砕け。
- American Journal of Clinical Nutritionの最新号は面白い。鉄栄養関係でもいくつか出ているが,何といっても,Weyer C et al.のバイオスフィア2を使った人体実験結果が注目される。かつて,ミネソタ実験といって,6ヶ月の間,32人のやせた男性を半飢餓状態において,エネルギー摂取が低ければ人体はそれに適応してエネルギー消費量が低下することを示した強烈な人体実験があったが,バイオスフィア2の中に入って生態学的な実験や計測に携わった8人の研究者は,2年間の間,期せずして低エネルギー,低脂肪の食事を2年間もしたので,半飢餓というほどではないマイルドな低栄養に対しても同様な適応が起こるかどうかを調べるために格好の対象となったのである。この論文によれば,エネルギー消費量を調べた結果,驚くべきことにバイオスフィア2を出て6ヶ月経って,エネルギー摂取量が十分に高くなってからも,エネルギー消費量は低いままの状態が続いていたという。体重やBMIや体脂肪割合は対照群と差が無い状態になってもエネルギー消費量が低いということは,低エネルギーに対して起こったこの生理的な適応が,数年間は続くということを意味するということだ。メインの研究の副産物でこんな面白い結果がでてしまうんだから,バイオスフィア2って凄いよなあ。
- 書き忘れていたが,先週の学生実習で聞いた大事な話。東京都水道局が奥多摩にもっている水源林では,きのこアタックが黙認されているそうだ。行く暇があればなあ。
- 帰りは終電1本前の予定。
- 研究室を出るのが9:15になったので,昨日と同じくヨドバシカメラ前のロータリーに自転車を停めたが,それでも9:30発あさま535号にはぎりぎりの時間だった。さすがに15分では苦しいか。1号車に座れたので,昼間借りた,遙洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」を読み始め,軽井沢過ぎで読了。ゼミのやり方は参考になるが,ケンカの仕方については,ぼくがここで時折書いていることと大差なく,上野千鶴子教授が特別だとは思えない。学問の常道だろう(ちなみに,ぼくのいう学問とは,誰もコメントをくれないのだがここに書いた意味)。
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