往路あさま2号から大宮でMaxやまびこに乗り換え。今日は水曜日なので,例によって研究室に泊まって講義準備をする予定。
今日は,トレードオフについて書いてみる。昨日のミーティングで紹介された文献に,低い確率で発病するけれども野生種への感染を防ぐHIVの弱毒生ワクチンを使うとどうなるか,というシミュレーションを行ったものがあった。タイトルに「efficacyとsafetyのトレードオフ」とあったのを,トレードオフではないといって批判したのだけれど,実はおかしくないのかもしれない。つまり,生ワクチンの有効性は抗原性と増殖効率によって決まるし,安全性は病原性によって決まるのだから,病原性を決定する部位と抗原性や増殖効率を決定する部位が同じでない限り,これらは相殺される関係にない,という意味でトレードオフではないわけだが,ある程度有病割合が高い地域では,多少安全性を損なっても,それを上回る有効性があれば,全体として有病割合を低下させることが可能だという意味では,有病割合に対しては相殺される関係と見なしても良いのかもしれない,ということだ。
世の中,そういう意味でのトレードオフはたくさんある。日本の諺でいえば「小の虫を殺して大の虫を生かす」に相当するのだろう。しかし,殺してはいけない小の虫もたくさんある,ということは随所で指摘されている通りである。先の生ワクチンの例でいえば,25年で10%は発症してしまうようなワクチンを健康な人に接種することは,いくら全体としての発症数を減らすといっても,たぶん倫理的には許されない。
難しいのは,これが程度問題だということだ。ポリオのSabinワクチンだって,麻疹のワクチンだって,ごく稀には復帰突然変異を起こすことなどが原因となって病原性を発揮することがあるにもかかわらず,それが非常に低い確率(ポリオのSabinワクチンの場合,100万分の1以下)だという理由で,接種しないで野生株に感染したときに起こる非常に大きな不利益(ポリオの場合,感染1000〜2000人当たり1人は筋肉の麻痺を起こし,致死率も高い)を無くすこととのトレードオフを考えて,接種が勧奨されている(1994年以前は義務付けられていた)わけである。野生株への感染確率が下がれば,ワクチンの副作用がもたらす不利益が相対的に大きくなることは明らかなので,ポリオワクチン接種が義務から勧奨に変わったのは当然である(もちろん,以前書いたように,不活化ワクチンであるSalkへの移行でも良いわけだが)。
ポリオワクチンのように、安全性の絶対値がかなり高い場合は,まだいい。そうでない場合,トレードオフを考えねばならないとすれば,昨日のHIVワクチンの論文で提案されていたVPP(Vaccine Perversity Point; ワクチンがひねくれるポイント〜ワクチンによる発病の増加が,野生株への感染を妨げることで減る患者を上回る点という意味だと思われる)が,ある程度の幅をもって推定できれば,それに基づいてワクチンを使うか否かを決定することは,論理的には集団の利益をもたらしうる。しかし,当然のことだが,安全性の絶対値が低いとき,集団の利益と個人の利益が一致しないケースが増えてきて,コンフリクトが起こる。HIVの場合は個人ごとに行動の違いによってリスクが異なる可能性が高いから,このコンフリクトは余計に大きくなる。このような場合,いろいろな制約条件があるとしても,解は一意には決まらないのが普通だろう。そこでどうするか,というのが,鼎の軽重が問われるところである。いずれにせよ,すべての関係者が十分な情報をもった上で判断するのでなければ,少なくとも抑圧される可能性がある個人にとってアンフェアであろう。たぶん,この話は米国によるアフガン空爆の問題点にも通じると思うのだが,如何だろうか?
大事なことは,枠組みを取っ払って考えれば,そのトレードオフは真のトレードオフではない場合もある,ということだと思う。HIVの弱毒生ワクチンであれば,十分な有効性と安全性を兼ね備えたものを作ればいいのだし,日本の諺についていえば,小の虫も大の虫も両方生かせばいいのだ。もしそういうケースなら,誰が枠を作っているのかということを真剣に考えるべきだと思う。
ところで,早くも来週にはミーティングの発表担当になっているのだが,現在4つの候補のどれにしようか悩んでいる。ヒトを含む有胎盤類において受精卵を異物と認識せずにうまく胎盤を形成させるのに必須であることがわかっているEPF(Early Pregnancy Factor;早期妊娠因子)が有袋類でも母体による受精卵の認識の際に機能しているという話が1つ。EPFとは何かというところから話せばまとまるだろう。クロロキン耐性マラリアがアフガニスタン東部で流行しているという話が1つ。政治的抑圧を受け空爆による被害も受けているアフガニスタンの住民が,クロロキン耐性マラリアにまでやられている,ということは衝撃的だった。ここにクロロキン耐性に関する新しい知見(関与している可能性がある遺伝子とか,そのPfCRTを使った新しいスクリーニング法とか,三日熱と熱帯熱では耐性の仕組みが異なることとか)を絡ませれば話としてまとまるだろう。PNAS最新号のBtトウモロコシ特集が1つ。これはかなり分量が多いので,1時間で発表するのは難しいかもしれない。最後に,プリオン病対策として別種の動物のプリオンを不活化ワクチンのように使える可能性がある,というシミュレーションの話も,最近のBSE関連の話題を絡めればまとまりそうだ。さてどれにしよう。
15:00過ぎに英文の推薦状を書くという仕事を終えた後,19:00過ぎにやっと人口大事典の校正が完了して,大雨の中,郵便局に行ってきた。帰りに医学図書館によってJournal of Infectious Diseasesの9月15日号を探したが,未着だった。医学図書館サイトの案内ではwebから全文読める雑誌の筈なのだが,どういうわけか全学のプロクシサーバには登録されていないし,強引にアクセスしてみても読めないので,図書館まで行って来たわけだが,それも徒労に終わった。しかし,ほぼ同じテーマで別の論文を見つけることができたので,ミーティングのネタはクロロキン耐性マラリアについての新しい知見に決めた。
大雨が続いていたので,晩飯は何人かの大学院生と一緒に,キッチンジローに弁当の配達を頼んだ。食後は,早く講義準備をしなくてはと焦りつつも,明日が締め切りなので科研費の申請書作成に取り組んだ。終わらないままに日付が変わりそうだ。