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公衆衛生学−1.公衆衛生の概念と歴史

参照

▼テキスト第1章

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概要

第1回なので,全体の講義構想を説明し,公衆衛生とは何か,健康とは何かという問題を概観する。さまざまな考え方があるということを弁えておくべきであろう。

内容

公衆衛生学とは? 衛生学との関係は?
▼衛生とは「生命や生活をまもる」ということ。江戸時代には個人の生命や生活をまもる方法論として「養生」というコトバが使われていたが(貝原益軒「養生訓」1703年),明治時代に長与専斎はヨーロッパを視察し,生命や生活を守る概念として使われているhygieneの考え方が社会基盤整備を含み,集団を対象としていることから,敢えて「養生」を転用せず,「衛生」というコトバを中国の古典から見つけて訳語とした(hygieneの考え方は,明治時代に西洋医学全般とともにドイツから入ってきた)。
▼公衆衛生学は第二次世界大戦後に占領軍が来たのと同時にもたらされ,占領政策の一環として医学教育に組み込まれた。英語でいえばpublic health(healthには健康という訳語が既に当てられていたけれども,public healthの訳語は公衆健康とはされず,公衆衛生学となった)。ウィンスロウ(C.E.A. Winslow; WHO)の定義(1949)「公衆衛生は,共同社会の組織的な努力を通じて,疾病を予防し,寿命を延長し,身体的・精神的健康と能率の増進をはかる科学・技術である」。内容としては,環境保健,疾病予防,健康教育,健康管理,衛生行政,医療制度,社会保障があげられている。
▽まとめると,公衆衛生学も衛生学も,集団の健康についての学問であることは共通。衛生学がhygieneであり,ヨーロッパ生まれの基礎科学。公衆衛生学とはアメリカ生まれのpublic healthであり,そもそも政策的側面を含んでいて,応用科学。患者でなく,普通に生活する健康な人々を対象とする点が,臨床医学と異なる。対象とする人々の種類によって母子保健,産業保健などに分かれる(→講義概要)。
健康とは?
▼根源的な問い:そもそも健康とはどういうことか?
▼素朴に考えれば,病気や死の対極に位置するもの。しかし,境界線が引けるか? というと難しい。相対的な概念だとすればゴールもない。
▼WHO憲章の定義「健康は身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態をいい,単に病気がないとか病弱でないということではない」「到達しうる最高の健康水準を享受することは万人の基本的権利であり,人種・宗教・政治的信条・社会経済条件の如何を問わない事項である。それぞれの人間集団が健康であることは,平和と安寧を得る上で不可欠のことがらであり,このためには個人も国もお互いに十分協力しなければならない」(WHO, 1947)
▼「完全に良好」はたんに理念としての到達目標。現実にはほとんどありえない。生活概念としての健康は社会的健康が重要。
▼昨年成立し,今年5月から施行されている「健康増進法」ではどういう定義か?
1998年〜1999年のWHO憲章改訂問題について
▼問題の焦点:"dynamic"と"spiritual well-being"を入れるかどうか。
▼経緯は,WHO Exective Board (http://www.who.int/gb/)や世界保健総会(World Health Assembly=毎年1度行われるWHOの総会)のドキュメント:Exective Boardからは反対ゼロで総会に上がったが,総会の予備審議であるコミッティBでは事務局預かり事項になった。さしあたりペンディングということ。
▼同じドキュメントをみても違う受け止め方がある
さまざまな健康のかたち
【図版1】ソロモン諸島ガダルカナル島の写真
▼スンダ島農民の"sehat"概念
▼体力と健康
▼障碍と健康
病気とは
▼医学・生物学的側面と社会的側面がある
▼医学・生物学的側面=疾病(disease:傷病,疾患とも同義)……診断名,国際疾病分類(ICD)
(cf.)Darwinian Medicine的な考え方:進化の過程
▼社会的側面も含んだ行動上の概念=病気(sickness)
▼主観的な日常的表現=具合が悪い(ill)
▼患者(patient):医療機関で診療を受けている者。伝統医療の場合は微妙。
▼WHOによる分類:機能障害(impairment),能力障害(disability),社会的不利(handicap)
→患者を対象とした機能障害の回復から,能力障害の回復あるいは代替による社会的不利の減少を目標とするように変化
健康の測定と健康指標
▼健康を測定するポイント:(1)個人の健康か集団の健康か? (2)測定目的は?
▼健康指標(health indicator):集団の健康を知るためのモノサシ。病気や死の多少によって間接的に評価しようとする指標が大半。
▼健康水準(health level):そのモノサシの目盛りで示される健康の程度。都道府県間比較,国際比較,時系列比較(公衆衛生活動の評価),行政の目標などに使われる
▼よく使われる健康指標:罹患率(届け出による),有病率(国民生活基礎調査による【有訴者率,通院者率,生活影響率】),受療率(患者調査による),粗死亡率,年齢調整死亡率,乳児死亡率,平均余命,平均寿命,健康余命,健康寿命,50歳以上死亡割合,死因別死亡率,さまざまな身体計測値,病欠率など
人口統計
→詳細は第2回
▼世界と日本の人口の歴史:Deeveyの階段,人口転換理論
▼人口統計:人口静態統計(census statistics),人口動態統計(vital statistics)
出生率:粗出生率,合計出生率,再生産率(本来の意味での「率」ではない)
生活と健康
▼疾病構造転換(epidemiologic transition;疫学的転換ともいう)以降の社会:慢性疾患(chronic disease)が病気の主流
▼慢性疾患には(遺伝と)乳児期からの生活習慣が関連しているため,適切な生活管理が予防に役立つ可能性がある。「ライフスタイルの改善」
▼人間生態系の重要性(第10回,第11回に詳しく)
▼プライマリー・ケア(cf.1978年のアルマアタ宣言)やQOL尊重など
▼慢性疾患に関連が強い生活の要素:生活環境,食物と食事,アルコール飲料,喫煙,運動,睡眠など
健康問題の歴史的変遷
▼人類史としては後で詳しく
社会の発展段階健康問題対処技術対処方法
狩猟採集漁労社会周産期の胎児と新生児死亡シャーマニズム儀式や祈祷
農耕牧畜社会腸炎,寄生虫症,肺炎宗教,民族医療僧侶,牧師,寺院
工業社会栄養失調,性病,結核環境浄化,臨床医学社会制度化
脱工業社会慢性疾患,新興・再興感染症多因子病因論,生態学的技法,QOLコメディカルを含めたチームアプローチ,総合地域保健,生態系と地球環境保全
▼公衆衛生と医療の歴史:狩猟採集時代の適応,BC3000エジプトの防腐と殺菌の技術,BC1500中国「本草綱目」〜2000種類の薬,BC753〜ローマ時代の上下水道整備,BC5ギリシャのHippocrates(「医学の父」),AD130〜200のローマ時代最盛期の医師ガレヌス多数の著書,中世ヨーロッパのペスト流行や流行病の世界的移動,1700年ラマッチーニ「働く人々の病気」,1800年頃ドイツのヨハン・ピーター・フランク「完全なる医学的警察制度」,1849年ドイツのウィルヒョウは医学を社会に正しく適用することを唱えた。イギリスの急速な都市化に伴う生活環境悪化を食い止めたのは,チャドウィックとサイモンによる公衆衛生法と救貧法と「健康な町協議会」。19世紀末から細菌学の進歩と予防接種による疾患特異的対策ができるようになった。20世紀は薬剤の発達と施設利用の進展により公衆衛生は停滞,近代医療の限界が見えてくるのに伴い,「キュアよりケアの時代」到来。ラロンド「行政的に健康社会を実現するには,環境対策,ライフスタイル改善,適正な保健医療福祉制度の確立が必要」(1974年)。
▼日本の公衆衛生と医療の歴史:江戸時代は貝原益軒「養生訓」(1703年)に代表される儒教ベースの考え方が主流。西洋医学とのかかわりとしては,「蘭学事始」(1815年),神田種痘所(1861年)。明治になると内務省衛生局長・長与専斎がベルツらを招き,北里・志賀(以上2人はコッホ門下)・緒方・坪井・森(以上3人はペッテンコーフェル門下)らをドイツに留学させた。1897年「伝染病予防法」,1916年「工場法」,1922年「健康保健法」,1937年保健所設置,1938年内務省から厚生省独立。戦後は米国の指導により指導行政に変化したが,1950年代は労災と職業病が多発,1960年代は公害病が問題化,1967年「公害対策基本法」,1968年「消費生活基本法」,1972年「労働安全衛生法」,1982年「老人保健法」,1991年「再生資源利用促進法」,1998年「環境影響評価法」,2002年「健康増進法」(→コメント
公衆衛生活動
▼基本:人口統計及び保健統計,健康教育,試験検査と環境保健,保健福祉サービスまたは保健福祉事業(公衆衛生看護事業を含む),保健医療福祉計画と行政(医療社会事業を含む)(cf. 健康日本21
▼分類:疾病予防・健康増進活動,環境保健活動,栄養改善運動,食品衛生,保健・医療・福祉制度の管理運営
生命医学倫理(bioethics):保健医療福祉の倫理
▼道徳(moral)と倫理(ethics)。古典的には倫理観は単純。技術の進歩と社会の複雑化に伴って問題噴出
▼資格と免許〜安心感の必要性
▼医師の倫理:ヒポクラテスの誓い
▼国際的宣言:ジュネーブ宣言,ヘルシンキ宣言(日本医師会による訳
▼消費者の権利
▼患者の権利と自己決定権
▼脳死と臓器移植
▼終末期ケア:尊厳死,安楽死,延命医療,ホスピス

Correspondence to: minato@ypu.jp.

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