枕草子 (My Favorite Things)

【第473回】 寝不足ではないのだが,試験監督は眠かった(2001年1月21日)

研究室に着いて0:00から2:00までメールを見たり講義準備を進めたり。その後寝袋に入って仮眠をとり,6:30起床。睡眠時間としては,新幹線での仮眠も含めれば決して短くないのだが,何故かまだ眠い。きっと今日一日の退屈さを思い浮かべると気分が暗くなるからだろう。たぶん,今日は研究室には戻らず,試験監督が終わったら直接上野駅に回って新幹線に乗る予定。

ぼくは試験監督が嫌いだ(無試験か,レポートあるいはプレゼンテーションと口頭試問だけにするのがいいと思っている)。何度も書いているように,なかでもセンター試験の監督が最悪である。喋ることまで決められている,ロボットでもできそうな退屈な仕事なので,やる意義が見いだせないのだ。新しいことを見つけるのが商売である研究者にとって,これほど消耗する仕事はない。なぜ生身の人間がやるのかといえば,不正防止のためだと思われるが,それならそれに適した専任の職員を大学入試センターで雇って貰いたい。いっぺんに試験をやると大量の職員が必要で効率が悪いというなら,毎週とか毎日とか試験をすればいいのだ(いや,もちろん廃止が理想だけれど,どうしてもやるというのなら,こうして欲しい)。受験生はいつでも好きなときに試験を受けてよく,科目毎に直近の結果を採用することにすれば(ただし各科目年度内2回までとか回数は制限しないと,毎回受ける物好きが出そうでまずいかもしれないが),受験生にとっても大学入試センターの収入としても良いのではないだろうか。問題作成をどうするかといえば,各科目ごとに,これがコアになる重要な部分だという範囲をすべてカバーするように,問題の原型を出題数の数倍で納まるように作っておくことはできるだろうから,それにコンピュータでバリエーションを与え(数学だったら数値を変えるとか),乱数をふって(これはランダムマスターでも使って真の物理乱数を発生させるべきだろう)問題番号と回答の選択肢番号を並べ替えてから必要な問題数分,上から順に採用することにすれば人手はかからない筈だ(現在,出題にどれくらいの手間がかかっているのか知らないが,それがなくなるか,あるいは減れば,出題すると思われる教授の負担も減るだろう)。大学入試センターの研究開発部の人たちも,出題の自動化システムを改良するという仕事ができるので,「何をしているのかわからない」という批判をかわすことができていいのではないか。ともかく,大学の教官が試験監督をしなくて良くなれば,実際に無駄になる物理的時間が減るのみならず,精神衛生上も非常に良い影響をもたらすと思われるので,このアイディアは一石六鳥くらいの名案ではないかと思う。如何なものだろうか?

閑話休題。その恐るべきセンター試験の監督は,今年も眠かった。去年考えたバトロワタイピングをやってみたら,なかなかうまく配役ができて面白かったのだけれど(「なかなか」というのはザ・サードマン三村の適役がいなかったため),一度配役ができあがってしまうと,それ以上時間がつぶせなくなるのが欠点だとわかった。ともかく,仕出し弁当を食べた直後の理科(1)の監督をしているときの眠さと言ったら筆舌に尽くしがたいものがあった。

もう一つ困ったのは,見ないと書いたバトル・ロワイアルの映画だが,公式サイトにあったMPEGムービーを見たことが,ぼくの脳に強い印象を残していたことだ。監督すべき教室の受験生の定員がまたちょうどよく40人で,しかも最初の国語で2人受けなかったりしたものだから,黒板に<BR法>と書いて「いいですかぁー,今日は皆さんに,ちょっと殺し合いをしてもらいます」とか「残り38人」とか言ってみたいという欲望に駆られてしまったのだ。なんとか我慢できたが,ここで一歩道を踏み外すと,社会生活が営めなくなってしまうのだと必死に自分に言い聞かせた成果である。理科になると受験生が減ったので,これがまた「残り○○人」にぴったりで参ったり。

さて,もはやバトロワタイピングでは眠気覚ましの役に立たなくなり,理科(2)のときに考えたのは,人口学会に仮題として出した研究のモデルの構想であった。もちろん紙もコンピュータも使えないので(以前,試験監督をしながらコンピュータを使った強者がいたらしいが,さすがに受験生からの批判があって禁止になったそうだ)限界はあるが,モデルの良さには原型となるアイディアが決定的に大事なので,練ってみたわけだ。これはうまくいった。理科(2)の後半から公民に至るまでは,まったく眠くならなかった。1つ有望なアイディアも浮かんだし,考えてみれば最初からこうすればよかったのだ。いや,それでは頭の中でこねてるだけでは時間が長すぎたかもしれないので,これで良かったのだろう。そう思うことにしよう。

帰りは妻から預かった物を池袋まで届けてから上野に向かったら,地下4階ホームに着いたのが,ちょうど19:22発あさま531号の到着3分前だった。熊谷,高崎,安中榛名に停まらないから,空いているし,長野電鉄への乗り継ぎもちょうど良さそうだ。珍しく運がいい日だった。


前【472】(最終の新幹線に乗って(2001年1月20日) ) ▲次【474】(こんなに講義準備に時間をかけていていいのか?(2001年1月22日) ) ●枕草子トップへ