枕草子 (My Favorite Things)

【第584回】 生態学的社会観+ストレス解消(2001年7月10日)

往路あさま502号の車中で,今日の午後ディスカッション予定の留学生の研究計画に目を通す。前回よりかなり具体性が高くなっているが,もう少し練らないといけない点がいくつかあるように思った。

さて,表題の生態学的社会観だが,要は,これまでにも何度か書いてきた思想につける名前を思いついたということだ。例えば,地球上の資源は有限なので経済成長が無限に続くことはありえないとか,少子化はカタストロフ的な死亡増加を避けるためのソフトランディングであるとかいったことの総称である。説明を繰り返すことは避けたいので,詳細はリンク先を見て欲しい。

では,血を流すことも厭わない骨太の改革とやらで中小企業の淘汰が進むのは,生態学的にはどうか,ということを考えてみた。生物の世界は,鈴木光司がいう通り,圧倒的に競争よりも共生関係が常態である。競争によって強い淘汰がかかるのは新しい種が入り込んだ直後の過渡的な現象で,やがて共生あるいは動的平衡に至って安定する。

もちろん,本当に小さなニーズを奪い合う形になるのなら,同業種が食いつぶしあうのも仕方ないかもしれないが,生産者も消費者も同じヒトである以上,それはありえない。逆に大きなニーズがあるのなら,スケールメリットを生むために大企業に統合されるのも納得できるが,ヒトは多様なのだから,誰もが同じモノを望むとは考えにくい。本来は,多様な小さなニーズがたくさんある筈で,それに見合うだけの中小企業が存在してもいいのではないだろうか。そうすれば,たくさんの中小企業が共生することができるだろう。

つまりそれは,ニッチ産業とかニッチビジネスとか言われるものが本来のニーズであり,規格化された大量生産品は,モノにヒトが合わせることを強いているのではないか,ということである。生産効率だけを最適化するために大企業による寡占が進行するというこれまでの方向では,生活が豊かにならないように思う。流通コストまで含めて考えれば,地域ごとにかなり独立性の高いブロックを作った方がエネルギーの無駄は減りそうだ。もしかすると,その方が個人のニーズに合ったきめ細かいモノの提供も可能かもしれない。経済のグローバル化と情報化によって,世界中でコストの安いところで作られた(人件費が安いということだから,そこの労働者が抑圧されているともいえる),自分のニーズに合ったものを,世界中から配達してもらうという幻想もあったわけだが,実際は大量に作ってしまったものが売れないと困る大企業は,宣伝投資をして,本来なかったニーズまで作り出さないとペイしないという悪循環に陥ってしまっているように思える。それもそろそろ限界に達し,ニーズがなくなったというのが現状だろう。つまり,景気が悪いのは,草を食い尽くして飢えているウサギと同じことのように見える。じゃあウサギの数を減らしてしまえ,というのが「骨太の改革」なのだろう。草を植えたり,土を肥やすミミズや菌類を増やすという戦略だって,不可能ではないと思うのだが。時短政策はその一つにならないだろうか。

ところで,小泉内閣メールマガジンは200万人が読んでいるとして,もし10億かかっているなら(費用の内訳を公開してなくてはいけないと思うが),1人あたり500円である。それだけの税金が投入されているわけだし,与党のPR誌的ではいけないと思う。あくまで政府がやっていることの情報公開であるという位置付けを守って欲しい。ついでに,常時接続が当たり前になってきた今日,政府広報とか審議会の記録とかも流してもいいんじゃないかと思う。WEBをチェックするのは億劫だから,各種審議会の報告書を全部テキストとして流してくれるメールマガジンが欲しいと思うのだ(場合によっては内閣メールマガジンとは分離しても良い)。是非ご一考願いたい。

8:50に研究室に着いて,9:00から午前中はずっと人類生態学講義の演習形式の発表会を聞いていた。なるべく学生同士にディスカッションさせるという趣旨だったのでコメントを我慢していたのだが(時折我慢しきれなかった),辛いものがあった。ストレス解消のため,ここで書いてしまおう。

少子化をテーマとした発表は,掘り下げ方が浅かった。先進国だけの問題だと言っていたが,中国はどうなのか? 出生力が政治的,社会的要因で容易に影響を受けるという点を過小評価していたように思う。また,日本の少子化の要因として非婚率の上昇を挙げ,他の先進国と比べても日本は合計出生率は低い方であるということを表で出しておきながら,そこから一歩進んで,「論争・少子化日本」(中公新書ラクレ)所収の岩澤美帆「結婚しない恋人たち−非婚型カップルを認める社会へ」で展開されているような,デンマークなどでは非嫡出出生が嫡出出生とほぼ同じ水準に達しているから出生力が日本ほど低くないという側面に踏み込まないというのは,浅いといわざるを得ない。

リプロダクティブヘルス/リプロダクティブライツの発表は面白かった。既存の言説の多くが女性の権利という視点からのものであるのに対して,次世代影響という視点から環境汚染もリプロダクティブライツを侵害するのだという立論は鋭い。上野千鶴子+綿貫礼子編著「リプロダクティブ・ヘルスと環境−共に生きる世界へ」(工作舎)での綿貫さんの主張を読んだのだろうが,これを含めてかなりの文献に目を通して,自分たちなりに消化したのだろうと思われた。ただ,アフリカなどで多く行われている女性性器切除の話で,200万人というのが年間のincidenceであることを明言しなかったのは,やや弱かったし,1974年にブカレスト会議が開かれた背景として,1968年のポール・アーリック「人口爆弾」と1972年のローマ・クラブ「成長の限界」への言及があれば,国連人口と環境会議が少なくとも当初は世界人口の抑制を目指したものだったことが強く立論できたと思うと,やや残念である。まあそこまでの厳密さや見識を学生に求めるのは酷というものだろうが。

フードセキュリティは議論が盛り上がったので,議論の材料を提供するのには成功した発表だったと思う。が,フロアの学生から指摘があったように,日本の食糧自給率の低下を説明する要因として,輸入物が安くなったこと,輸入圧力,人口密度の高さといった側面に触れなかったのは片手落ちだったように思う。

環境ホルモンの発表は,まあそうなるだろうなという予想通りのものだった。カナダのクマで雌雄同体のものが見つかったとかいう話は,何を論拠にそれが外因性内分泌撹乱物質によると判断されたのかを聞きたかった。intersexのヒトが昔からいることを考えれば,遺伝子は突然変異や複製のエラーを低い確率でも常に起こすもので,それは遺伝するのだから,カナダのクマがそうでないという論拠は別になくてはならないだろう。最近JECONETに流れた,植物ホルモンの作用を撹乱する物質は外因性内分泌撹乱物質と呼べるかどうかというような議論が出なかったのは当然かもしれないが,例示として精子数減少についてデンマークでの調査結果と言っていたのは残念だった。デンマークで1992年といえば,いわゆるスカケベック論文のことだろうから,あれはメタアナリシスで,デンマークでやった調査ではないということくらいは押さえておいて欲しかった。リスクマネージメントに触れたのは良かったが,その本当の意味をわかっているのかどうかも聞きたかった。わかった上で,マラリア対策と天秤にかけたときにDDTは途上国の人々にとって許容可能なリスクかどうかといったレベルの議論をしてくれたら,こちらとしては面白いのだが。

新興・再興感染症の発表は,概論,各論3つ(プリオン病,ATL,サルモネラ),実態と対策,という構成が議論をしにくいスタイルだったので,あまり盛り上がらなかった。プリオンの話は良く調べてあったし,面白かったので,いっそプリオンに絞って発表した方が良かったのではないだろうか?

今日最後の「HIVの進化」というテーマは,広まってくるにつれて弱毒株が増えてくるのかどうかという辺りを論じて欲しいという目論見は外れて,出現から拡散過程の話に終始した。それなりに良く調べてあって,THE RIVERに触れたのは良かったが,体制派の動きだけでなく,ハミルトンの主張にも触れて欲しかった。東南アジアの状況や,異性間性交渉での伝播が中心になりつつある現在の話に触れられなかったのも,ちょっと残念だった。

以上。ああ,すっきりした。

昼食後暫くしたら,留学生の研究計画についてのディスカッション,続いて教室ミーティングと,英語でのディスカッションが続いた。ちょっと疲れた。帰りは終電1本前。


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