目次

書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『キリンヤガ KIRINYAGA: A FABLE OF UTOPIA』

書名出版社
キリンヤガ KIRINYAGA: A FABLE OF UTOPIAハヤカワ文庫
著者出版年
マイク・レズニック(内田昌之[訳])1999



Jun 01 (tue), 1999, 12:32

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

マイク・レズニックの小説を読むのは,数年前の『アイヴォリー』に次いで2作目である。当時の読書ノートによると,「壮大な叙事詩。その象牙,見てみたいもんだ」とある。たぶん,地を超え,時を超えて巨大な象牙を追う話だったと記憶している。象牙は,たんに象の牙であるばかりでなく,自然と部族社会の象徴であったと思う。

このキリンヤガは,キクユ族の呪術師(ムンドゥムグ)である主人公コリバが,すっかり欧米文明に染まってしまったケニアに愛想を尽かして,真のキクユ族の再生を目指す同志とともに小惑星に移住し,ユートピア建設のために努力するのだが,なかなか思うようにはいかないという話である。2123年4月19日から2137年9月までに起こる10の出来事を時系列で編んだオムニバス長編である。舞台を未来にしてあり,テラフォーミングされた小惑星に移住した人々を描いているが,物理法則や人間の行動・感情・能力はすべて現実に即している。最近読んだSFの中では最高傑作と思う。

本書の最大の特徴は,コリバが良かれと思ってやることが,「ある意味で」しか正しくない点にある。伝統社会の掟を守る立場からは正しいのだが,果たして掟を守ることが常に正しいのか,というとそうは限らない。しかし掟を一つ変えることを許したら,既に現代において多くの伝統社会がなし崩し的に伝統を失い,欧米化してしまっていることを見ればわかるように,欧米化は免れず,それでは「真のキクユ族」のユートピアからは離れてしまう,というコリバの立場にも一理はある。著者自身あとがきでいっているように,この両義性が(「ブワナ」を除く)物語に深みを与えている。異文化接触において何が正しいという判断が何を根拠に行えるのか,持続できるとは限らない国際援助は相手を幸せにできるのか,といった今日的な問題を考える上で,非常に示唆に富んでいる。世の中は単純ではないのだ。

最終章のテーマは,本書全体のテーマからはややずれているように思う。でもあれ以外の決着のつけかたは難しいかもしれない。
(以下は若干ネタばれを含むので改行)

最後に個人的感想を少々。
著者自身の好みと一致するのだが,ぼくもこの連作中最高のものは「空にふれた少女」だと思う。悲しくて悲しくて,怒りを感じるほどだった。大義と小義のどちらをとるかと聞かれて,共存の道を探るというのは美しいけれど,現実にはありえないことが多い。老化の体細胞廃棄説を考えたら,老人の大義よりも子どもの小義の方を優先するべきなんだけれどなあ。悲しいかな,普通選択されるのは大義なのだ。所詮「義」なんてのは相対的なのに。


旧書評掲示板保存ファイルトップへ