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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『衣服は肉体になにを与えたか・・・現代モードの社会学』

書名出版社
衣服は肉体になにを与えたか・・・現代モードの社会学朝日新聞社(朝日選書)
著者出版年
北山 晴一1999



Aug 10 (tue), 1999, 23:51

天婦羅★三杯酢 <shiva-p3.alpha-net.ne.jp>

元来の不精者である私にとって、服装やファッションは鬼門であった。今でも会う人には私の格好は余りいい印象を与えていないという。
そんな私がこんなタイトルの本を手に取るというのは多少変な感じでもあるのだが、ぱらぱらとめくった最初の方に、第1次世界大戦がファッションに与えた影響、という事が書いてあるのを見て、もしかしたら今漠然と興味を持っている身体と社会との関係も解き明かすのではないかという期待から、他の何冊かの本と共にレジに持っていったのである。
内容的には、永井荷風の『ふらんす物語』から始まり、マドレーヌ・ヴィオレというデザイナーの話、から『プレタポルテ』という映画の話、顔と仮面の話、性の話、乳房の話、百貨店の話・・・元々が日経新聞の連載コラムだったので、多少テーマがバラバラであるし、正直著者が読んできた内外の書物の引用がかなりの部分を占めてはいるが、しかしそれだけのものを読んできた上で(その中には邦訳されてないものも多い)の論は、逆に組み合わせの妙も感じさせる。それはまた、服地の色の種類など昔も今も実はそれほど変わりないのに、その組み合わせで思いも寄らぬ効果的なメッセージやイメージを作り上げるのと同じであろう。
モードというものが、衣類の形態論だけにとどまる物ではなく、それを着る者、見る者、作る者との相互作用の中で意味づけられていく以上は、むしろ仕方がないことであろう。2次元平面である布地を、裁断し、くせをつけながらパーツを作り、3次元の体に合わせて服が作られるように、それぞれのトピックスを押さえながら、緩やかに関連づけをして著者はモードを語っているのである。そうしなければ、モードという「関係性のお化け」は捕まえられないのかも知れない。

・・・世の中には、他人の着ている衣服を批評せずにはおれない人々がいる。(中略)では、「面倒臭い、最初から衣服のごとき瑣事にかかずらうのはやめてしまえ」といった、衣服に距離を置く考え方を採用してみたらどうなるか。(中略)だが瑣事だからという理由で、こうして人生の細部をひとつひとつ排除していったあとに残る人生とは、いったいなんなのであろうか。(中略)人生から衣服への関心を排除してしまった生活がどれほど侘びしく、無味乾燥であるかは用意に想像できよう。・・・(p241)

まあ、私も少しは服装に関心を持つべき、なのだろう。それが決して自然なものでも必然的なものでも無いことを自覚しながら。


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