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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『経済学の終わり 「豊かさ」のあとに来るもの』

書名出版社
経済学の終わり 「豊かさ」のあとに来るものPHP新書
著者出版年
飯田経夫1997年11月



Sep 05 (wed), 2001, 09:30

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

経済学者が書いたものにしては珍しく我が意を得たりという内容であった。大まかな議論の流れとして,著者は,アダムスミスがもたらした市場原理によって成長しつづけた産業化社会の経済が,さまざまな点でヒトに無理を強いるものだったというマルクスの批判は正しかったと認め,また一方ではケインズの政策と福祉国家に一定の評価を与えながら,人々が予算の奪い合いをした結果として国家の財政が破綻している現状を批判する。そして,マルクスの予測が外れて共産主義国家が自滅したのも,福祉国家が債務超過に陥るのも,ヒトが残念ながら良き存在ではなかったからだと示唆する。さらに,豊かになった社会では金に換えられない価値を市民が要求することや,市場原理が地球環境に強いた無理についてはマルクスやケインズの想定外だったと指摘している。そうして著者が最後に辿り着くのが,福祉国家への反省としてやたらに規制緩和をして何でも民営化すればいいという「主流派」経済学者に対しての,それではアダムスミスに戻るだけで,この二百数十年の経済学は徒労だったことになる,「経済学は終わった」という結論である。対案として,儲けにつながらないが絶対に必要なことはあって,それは政府が担うべきだと主張しているが,あまり具体的ではないのが残念である。

著者が自身認めるように「非主流派」であるにせよ,近代経済学者であることは驚きである。「規制緩和」とか「財政構造改革」とかいう「主流派」が二百数十年前に戻ろうという単純素朴な論を唱えているだけだということが,経済学の言葉を使って,経済学の土俵の上で,本書にはくどいほど丁寧に書かれているので,高校生以上くらいでまともな読解力がある人なら誰でも議論の筋を追うことはできると思う。政治経済リテラシーとして多くの人に読まれるべきと思う。とくに,忙しく働いている普通のサラリーマンに,真剣に読んで欲しい。小泉政権が進める「財政構造改革」と重点投資は,金がなくなったことによる必然としてのアダムスミス回帰と大衆民主主義(=大衆迎合)政治の奇怪なキメラ的産物なのだ,と理解できると思う。その上で,この改革を支持するのかどうかを真剣に考えて欲しいのだ。


以下,欲張りなのかもしれないが,本書のフレームの外から注文をつけたい。評者は経済学についてはMabry RH and Ulbrich HH (1989) "Introduction to economic principles", McGraw-HILLくらいしか読んでいないので,もしかしたら的外れかもしれないが。

現状(1997年)の日本が豊かだという認識は正しいと思うし,2001年現在の日本だって富の分布の偏りが大きくなりつつあるだけで豊かなのだと思う。それなのに,経済成長が止まることを恐れている気配があるし,政府の懐の深さとしての国の経済力が維持できないと生活が貧しくなると考えている風なのが,著者が経済学者であるがゆえの限界だと思う。著者がもしマルキシズムの影響を受けた人類学の生態人類学や経済人類学への展開を知っていたら,労働の本質にまで考えが広がって,本書の趣旨は変わっていたに違いない。もっとも,本書には明記されていないが,性善説とか性悪説とかいったことを議論する過程で,おそらくは経済学の問題点が人間を単純化しすぎ,しかもそれが不変のものだとしている点にあることには著者は気づいていると思う。人間は必ずしも合理的な行動はしないし,状況しだいで価値観すらコロコロ変わるものである。しかも十人十色なのだから,ある一つの説明原理は,ごくマクロにごく短期間しか通用しないと考えるのが自然だと思う。おそらくそうした人間の多様性に目を向けると経済人類学になってしまい,経済学の範疇を逸脱するのだろうが。せっかくあれだけ拝金主義を批判しているのだから,真の生活の豊かさをもたらす解の可能性を示すことは不可能ではなかったはずだ。時短+減給+ワークシェアリングとか,職業政治家廃止とか,農業を義務教育に組み込んで社会制度化するとかいったレベルの具体案が,この著者なら示せたのではないかと思う。今後の著作に期待したい。

●税別657円,ISBN 4-569-55856-9(Amazon | honto


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