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【第1158回】 国際保健医療学会2日目(2015年11月22日)
- 5:50起床。シャワーを浴びて髪を洗ってからロビーへ。パンが焼ける香ばしい匂いが食欲をそそるが朝食開始が7:00なので待っていられない。6:50の電車で金沢へ行き,吉野家でベジ牛を食べてからバスで会場へ。
- 既に座長の林さんによる主旨説明が終わるところだった「タテからヨコへ〜リソースをどう使うか〜UHCの経験と応用」ミニシンポジウム会場に入った。内容は無保証だが以下メモ(一部★感想)。最初の演者の杉下智彦先生は外科医だが医療人類学も専門としていて,「レジリエンスの構築:ソロモンにおけるマラリア対策の事例から」というタイトルだったのでソロモンの話を期待したが,あまり具体的な話は無く,むしろ特定疾患の対策をするにも袖の下が必要な状況をなくすとか医療システム的な現地に根付いた組織作りが必要で,そこでは創造性が必要だという概念的な話に終始していたように思った。第二演者は国際保健医療学会のレジェンドのお一人である島尾忠男先生で「1950〜60年代の結核対策について」と題し,当時,どうやって既存の医療システムのリソースをうまく使った対策を進めていったのかというお話であった。いまWHOが言っているPublic-Private-Mix (PPM)を最初からやったのが日本の1950〜60年代の結核対策だったという話から始まり,リソースが乏しい中で高度蔓延国であった日本がどのように対策を進めたかという話がマシンガンのように繰り出されて圧倒された。昭和29年(1954年)当時医療費の27.6%が結核対策,逆に言えば医療費としての病院の収入源も結核治療であったとか,当時から桐蔭学園で保健婦,看護婦の結核研修を始めたとか,昭和28年に積極的疫学調査を始め,有病割合が3.4%あるのに,そのうち自覚していた患者は21%にすぎず,無自覚な高齢者が多いことを明らかにしたことで,昭和37年から全額公費負担で全国民を対象に結核検診(胸部X線)が始まったとか,患者の登録管理制度は昭和34年に全保健所の1/4で開始し,翌年1/4を追加,昭和36年から全国展開という丁寧な手順を踏んだとか,命令入所制度枠の拡大も国の補助金を拡大して実施することができ,当時の国民医療費の十数パーセントを占めていた結核医療費の減少に成功し,中等度蔓延国に下げることができ,そのことが国民皆保険実施が可能になるような社会状況に寄与したとか,途上国でもそのようなヨコのつながりを作っていかないと皆保険は難しいのではないかといった提言に至るまで,実にvividでわかりやすいご発表に感服した。第三演者は政策研究大学院大学の島崎謙治先生で,UHC実現の方法として社会保障の中での医療保険と年金という枠組みの話。社会保障の財源としての社会保険方式と税方式のうち,年金に税方式なのはNZくらいだが医療保険は税方式の国は少なくない。社会保険方式が難しい面があるため。低所得者が保険料の支払い能力が乏しいとか,途上国では住民税を取っている国はほとんどないとか。日本の国民皆保険は被用者保険(for フォーマルセクター)と国民健康保険(for インフォーマルセクター)の二本立て。長い経緯があり,1961年にいきなりできたわけではない。被用者保険の農村版ができないかというのが国民健康保険のスタート。当時既に地方住民税の徴収も行われていたのが大きい。医療水準は高くなかったとはいえ,秋田などでも医療利用組合が先駆的な存在としてあった。直営診療施設など実践的に展開されていた。戦後1961年皆保険の実現には,経済の急速な復興(GDPの急速な伸び,人口ボーナス)と貧困が大きな社会問題だったこと,自民党結成が戦後復興の新しいシンボルを求めていたこと,それが国民に広く支持されたことなどが要因となっている。給付率を最低でも5割以上にすることを法律で決めたことも大きい。第1次オイルショックまで順次給付を拡大し給付率を上げていったことも大きい。2013年の厚生労働に掲載された島尾先生の論考に対して。社会保障制度審議会が1960年頃に結核対策の重要性を認識・強調していた。公衆衛生局だけでなく保険局にも結核が重要問題であったこと(結核が家計破壊の大きな原因かつ公衆衛生行政にも財政的に大きな負担であった)。当時両局の仲は悪かったので,1961年の結核予防法改正と国民皆保険達成は示し合わせて行われたものではなく,偶然だったかもしれないけれども,重要な事実で(施行権限は厚生省に一元化されていたし),これがあったからこそ社会保険方式の皆保険がうまく離陸できた。皆保険の輸出でUHCが可能かというとそうは限らない。第四演者は石川信克先生で,結核対策とUHCというタイトル。結核はどこの国でも医療負荷として大きいだけでなく社会的貧困者に集中していること,不適切な対策だと多剤耐性が増えることなどが問題で,システムが必要。結核対策の効果的運用は保健システム強化に役立つ。国の結核対策(タテ)と保険制度(ヨコ)の関係について,ミャンマーの事例での話。Community-based TB care(主要感染症対策プロジェクトの一環)。2009年に全国のprevalence調査をしたら,いままでのWHO推定値よりも2.5倍あることがわかった。つまり患者発見率は50%程度。強化が必要。そこでCommunity DOTSを導入。モデル開発地域を決めて(ピンマナ),そこでボランティア(CHVs)を地区保健センターの助産師や地域リーダーを選んで育成。CHVsが患者を地域で見付ける。3ヶ月以上咳をしていたが未受診の人もいた。ボランティアの家に集まって薬を飲むことでDOTSまでしなくても服薬コンプライアンスが上がるとか,村長が活動の場として自宅を提供することで活発に活動できるといったアウトカムがあった。これらの全体のシステムを地域結核ケア(CBTBC)と呼ぶ。これはモデル地区の事例なので,全国展開できるかを常に議論している。地域ワークショップでディスカッションとか。タウンシップ病院の強いリーダーシップ,タウンシップ病院とコミュニティの強固なつながりがCBTBCの成功に必要。USAIDでは保健ボランティアが患者を1人連れてきたらいくら払うといったシステムだが,JICAではお金は払わない。サステナビリティを考えても大事。有機的に他の保健活動ともつながっている。ある意味で,ソーシャルキャピタルの強化になっている。いろいろなことに応用できる。Insurance-based finance reformをUSAIDが分析中。UHCがシンプルにそれでいいというのは単純化しすぎで危険とalertしてる。療法・サーベイランス・患者管理などを,各国の実情に応じてどうやって進めるかが鍵という議論になっている。病院だけでの治療では60%弱しか治らない。CBTBCでは治る人が増えるので非常に重要。タテだけでもヨコだけでもないシステムを,結核対策を含めたUHCシステムとして試行していくと良いのではないかという提案。
- 質疑は狩野さんから,ソロモンのマラリア対策はまず佐々先生がタテに始め,WHOやGFATMが大規模に資金投入してうまくいかず,その後JICAがネットワークとかコミュニティベーストとか時々入って,これから杉下先生がUHCを入れてやろうとしているがうまくいく自信があるのか? という問い。耳が痛いがケニアなどでの経験からモニタリングシステムなどもしっかりやりながら……という話だが,★インフラが決定的に不足していて,村に住んでいると診療所や病院が物凄く遠い,あの状況ではリアリティがないと思うなあ。石川先生は,さまざまなタテの活動を現場では同じ人がやっている。日本では現場にいた人たちが多角的に展開して,そこでも結核の経験が生きるとか。★わかるけれどもトップダウン的な……中央からの保健医療専門職派遣的な思想だなあ。村の人は地域保健活動より携帯電話やビールやラーメンの方が価値を感じているので,motivationないと思う。ヨコの活動って衣食が満ち足りた状態にならないと生まれないのでは?
- 次は基調講演。前WHO事務局長補で慶應SG事業特任教授の中谷比呂樹先生による「グローバルヘルスのイノベーション―疾病対策の挑戦と新展開―」。世界地図による高齢化率予測のコロプレス図から。GapMinderでロスリングがやっていたプレゼンで,いま途上国のところも以前に比べると一斉に少産少死に移行したという話と通底。既に世界人口の死因の上位は心筋梗塞,脳卒中,慢性肺気腫になっている。中所得国の死因がそうなっているから。今後はさらにがんが増えると予測される。慢性疾患増加は病気を持ちながら生きる人が増えるので,疾病負荷をみてみると,一番多いのは鬱病。PHEICを考えるとつながった世界における感染症も気になる。IHR2005で対策されている。5年間で千数百件以上(ほぼ毎日1件)。日本からは6件。東日本大震災,福島原発事故,去年のデング熱アウトブレイクとか。SDGsは視野が広くすべての国の人たちの問題。自分たち自身のためのもの。国際保健も国内保健も同じ。パラダイムシフト。でも,SDG3の中に感染症,NCD,UHCの話がすべて含まれている。UHCの項目の中に適切な質の薬に安価でアクセスできることも含まれている。薬の問題は量の問題だけではない。疾病対策の成果は,貧困と疾病の悪循環を断ち切ったところに出た。そのベースを提供したのがMDG4, 5, 6。マレーらのランセット論文をみると,2000年以降の健康投資が増え,とくにゲイツ財団を初めとする民間からの資金投入とGAVIなどの官民協力のステイクホルダーの資金投入が増えたことが一目瞭然。ゲイツ財団からの資金だけでWHOの総予算と同規模。★まあ,この辺のことは講義でやるために押さえている。 マーガレット・チャンは,公衆衛生の黄金時代はこれからだと言った。Global Health Cycle:MDG6のうまくいった典型的な例としてのHIV/AIDS対策の説明。WHOの内部では製薬企業との関係はデリケートで,"frienemy=friend+enemy"だそうだ。しかし肝炎の薬は1錠あたり6万円で,これを毎週1錠10週間とかは,中進国の人たちは買えないし,低所得国と違ってODAで貰うことも無い。肝炎→肝がんはGlobal Health Cycleは今のところ失敗している。これからやらねばならない。WHOはガイドラインをたくさん出している。タテの安全対策がたくさんでると,ある途上国の保健担当者がいうように,シートベルトでがちがちに縛られて運転できないということになりかねない。でもイノベーションは大事。大規模感染症保険を世銀が作ろうとしている。★financial mitigationだな。髄膜炎ワクチンは先進国での消費がアフリカでのワクチン供給につながる仕組みを作って患者が減ったとか。偽薬対策は大事。SMSで偽薬が判断できる技術をガーナで開発中。国際協力の機会(会議も含めて)は今年,来年も目白押し。★でもやっぱり途上国の村人からしたらリアリティに乏しいと思うなあ。
- ポスター発表を少し聴いて,ランチョンセミナーはプラジカンテルの小児用剤の開発の話に参加。弁当が美味だったのと,小児用剤の開発が想像以上に難しいのだなあということが印象に残った。午後も口頭発表と英語のバングラデシュのミニシンポとポスターセッションに参加してから,母子手帳の公開シンポから閉会式という流れ。今年は閉会式より後に自由集会の時間が取られていて,例年通り国際栄養の自由集会に参加したが,18:00の予定時刻には終わらず,申し訳ないが中座した。が,バスで金沢駅に着いたら,乗ろうと思っていたサンダーバードにはギリギリ乗れず,こんなことなら自由集会に最後までいれば良かったと後悔した。次のサンダーバードまで1時間待ちなので晩飯を済ませることにし,店を探したら金沢ブラックカレーというのが旨そうだったので入ってみた。メンチカツ載せブラックカレーを頼んだら,想像以上に美味で当たりだった。キャベツの千切りを混ぜながら食べるというのも面白い趣向だったので,今度家でもやってみようと思った。サンダーバードの中では博士論文原稿の査読作業を済ませ,新大阪で新幹線に乗り換えて新神戸へ。既にバスはないので,鵯越駅から徒歩30分で帰宅という可能性も考えたが,結構荷物が重いので諦め,地下鉄で名谷に出て大学へ。
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