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2018年2月のミクロネシア連邦ポンペイ島往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2018. Last Update on 2018年3月7日 (水) at 15:45:03.

【第3日目】 打ち合わせであちこち動く(2018年2月13日)

日本時間では4:30にあたる6:30頃起き,シャワーを浴びて眠気を飛ばしてからホテルのレストランに降りた。席に座るとコーヒーポットをもったウェイトレスが回ってきて良い香りのコーヒーを注いでくれる。2.50ドルだが,何倍でもおかわりできる。ハム野菜チーズの全部入りオムレツとトーストを注文し,1時間くらいかけて今日の作戦を立てながら朝食をとったので,おかわり自由のコーヒーはありがたかった。

昨日の約束通り,水元先生が教育局の秘書に電話をしたのだが,何度掛けてもお話中なので諦めて9:00にミクロネシア短期大学に行った。週末の女性を対象とした調査のカウンターパート3人のうち1人しか来ておらず(この方は,オリバー・サックスの『色のない島へ』で有名なピンゲラップ島の出身とのことであった。ちなみに,ピンゲラップ島ではミクロネシア連邦の中で唯一,地産地消の学校給食が実施されつつあるそうだ),明日の朝同じ時刻に打ち合わせしようということになった。一応いくつか確認事項が済んだので無駄足では無かったが,なかなか予定通りに物事は進まない。

次にフランシスコ氏のところに行くと,彼はちゃんと待っていてくれて,しかも教育局の秘書の電話がずっと話し中でつながらないと言ったら別の番号に電話して話をつけてくれた。14:30に教育局で局長がアレンジしてくれた人と待ち合わせ,3つのうち2つの学校を回ることと(最初の学校では偶々PTAの役員会のようなものがあるので,そこに参加して計画を説明することになった),残り1つは翌日に行くという計画が決まった。フランシスコ氏も同行してくれるという。なかなかこういうやる気と行動力がある人材は貴重なのでありがたい。

次はポンペイ州の州都であるコロニアから車で20分くらい離れた,ミクロネシア連邦の首都パリキールに移動した。10:20頃,そこの保健省でJICAのシニアボランティアとして仕事をしている村尾さんを訪ね,研究計画について説明した。ここで思いがけずミクロネシア連邦の保健大臣(いただいた名刺の肩書きにはSecretaryとなっているが秘書ではなく,トップがSecretaryの肩書きをもつ。その下で実務をするNo.2の肩書きはUndersecretaryである)とお会いすることができて,暫しこの国のNCDとか文化について話をした。健康であろうと思えば太るべきと信じているという言説があるが,本当はたんに太ってしまった自分を許すための方便であるとか,そういう話。WHO STEPSが随分前に行われたがデータ整理ができていないため未発表なのは勿体ないという話もあった。今回のプロジェクトは有意義なのでポンペイのみでなくヤップやコスラエにも広めて欲しいみたいな話も出たが,今回の成果はもちろんシェアするので,他の州にも広げていくのはむしろミクロネシア側の保健当局の仕事ですよね,という返しをされた水元先生はさすがであった。村尾さんは続けて連邦のNCD対策部署とWHO事務所にも連れて行ってくださったが,NCD対策部署のトップは電話会議中で,WHOの方も不在だったので,改めて木曜に会合をセッティングしてくださるとのこと。とりあえず今日の晩飯を我々のホテルで4人でとりながら話の続きをすることになった。

ホテルに戻ってから水元先生は書類仕事を済ませなくてはいけないため,昼は福岡大の院生とぼくの2人で適当に食べてくることになった。SIMカードのおかげで,無事に日本でも普段使いしているAXON MINIがポンペイ島でも使えるようになったので,グーグルマップで食事をする店を探すことができた。ホテルの近くにCAFE OLEという店があり,ポークカレーとアイスティーを食べたが,ポークカレーにはキャベツがたくさん入っていて,まるで金沢のカレーのようだった。思った以上に美味だったし,写真と一緒にtweetすることにも成功した。ここまでできれば,5日間20ドルで通信し放題と思えば,そこそこ安いといえよう。回線は遅いが。

14:50から2つの学校を回り,先生やPTAとミーティングしたが,どちららも受入は好意的だったように思うし,スロージョギングができるくらいのスペースはあった。JOCVが教えてくれたよさこいソーランが気に入っているという先生から,前任者の任期が終わってから次の人をお願いしているのだが配置されないので困っているという話があった。あとで聞いたいろいろな話を総合すると,これはJICAがここにJOCVを割り当てる数を減らしたわけではなく,枠はあるのだが応募者がいないためらしい。まあ確かに,任期が2年しかなくて,先行きも不透明なJOCVという身分で活動したいという若者は,有効求人倍率が高いという昨今の情勢からすれば減っても不思議は無いかもしれない。本当の問題は,JOCVの後のキャリアパスが見えない点にあると思うが。

18:00から村尾さんと晩飯。JOY HOTELはオーナーが日本人なので豆腐入りのすき焼きなどという和風メニューもあり,村尾さんからマグロの赤身の刺身をおごっていただいたので満腹になった。木曜の連邦NCD対策部署とWHOの方とのアポもセッティングしてくださり,大変お世話になった。

眠る前に,復路グアムのためのESTA申請した。72時間以内に結果が出るらしい。そもそも2時間の乗り継ぎ待ちのためにいったん入国させるというシステムが間違っていると思うが,これでいったんESTAを貰えば暫く有効なので,次回はたぶん改めてESTAをとる必要はないはず。

それにしても,日本から送られてくるメールへの対応に時間がかかるので,毎晩眠るのが0:00を過ぎてしまって朝がつらい。

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