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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『龍臥亭事件(上・下)』

書名出版社
龍臥亭事件(上・下)光文社文庫
著者出版年
島田荘司1999(単行書は1996年)



Dec 04 (sat), 1999, 16:03

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

横溝正史「八つ墓村」のネタ元である「都井睦雄の30人殺し」をネタの一部とした作品でありながら,横溝でなくて高木彬光と神津恭介に献辞が捧げられているのは,恐怖を煽るよりも本格推理ということに主眼をおいた,という意思表示か?

本作品は久々の御手洗シリーズだったのだが,御手洗が直接出てこないので,御手洗ファンからは発表当初ブーイングがあったらしい。しかし,巻末の二階堂黎人の解説によれば,その骨太な描写ゆえに喝采をもって迎えられ,愛蔵版すら出たということだ。ぼくとしては後者に賛成したい。

冒頭,海外に行った御手洗に置き去りにされた孤独感を味わっていた作家,石岡和巳のところを二宮佳世という女性が訪れ,「霊にとりつかれているので供養の旅に出なくてはならない」といって同行を頼んでくるところから,物語は始まる。彼らが辿り着いた行き先の貝繁村は,バス停からも山を1つ越えないと行き着けない山奥の村なのだが,立て続けに密室殺人が起こる。密室のトリックは何かと考えながら読み進むと,今度は死体がさまざまな冒涜的な扱いを受け,事件は猟奇性を帯びてくる。しかも,それについては誰もが口をつぐんでしまうのだが,戦前に起こった都井睦雄事件と関係しているらしいことが臭ってくる。連続殺人に恐れ戦きながらも,貝繁村の豊かな自然に癒されつつあった石岡さんは,あまりに謎が大きいので,航空便で御手洗に助けを求めるのだが,御手洗は「狙われている誰かを守るのは君しかいない」などと書いてよこし,石岡さんを鼓舞するだけである。そこで一念発起した石岡さんが頑張って,いつもの狂言回しだけでなく,探偵役もやってしまう,というのが本作品の骨子である。下巻の後半,都井睦雄30人殺しの解説にかなりのページが割かれているために,龍臥亭の連続殺人の謎と関心が二分してしまうのはある意味では欠点なのだが,日本の社会が生んだ惨劇という側面こそ,島田荘司が書きたかったことであろうから,仕方あるまい。

都井睦雄事件について,悪い癖で裏をとってみたので,書いておく。作品中に出てくる,講談社「昭和 二万日の全記録」(1989-1991年刊)は確かに実在する本なのだが図書館に見あたらなかったので,「昭和史全記録」(毎日新聞社刊,西井一夫編,1989年)の昭和13年の部分から該当記事を引用する(表記はオリジナルと若干変更した)。

    八つ墓村 5.21 岡山県津山市北方の西加茂村で
    都井睦雄(22)は,送電線を切り,黒セル詰襟
    の学生服にゲートル,地下足袋姿に,鉢巻で懐
    中電灯二本を角のように付け,日本刀,匕首二
    本,九連発ブローニング銃を抱えて斧で祖母の
    首をぶった切ったのを手はじめに,十一軒を襲
    い三十人殺害,二人重傷の殺人を行い,峠で遺
    書を残し胸を撃ち自殺。幼少で父母を結核で失
    い,自分も結核で徴兵丙種,村の女との関係も
    失敗しての犯行。横溝正史『八つ墓村』モデル。

これから考えると,本作品中で「八つ墓村」に言及がないのは不自然と思う。まあ,所詮パラレルワールドだからいいのだが,島田荘司は,横溝が嫌いなのだろうか? ちなみに,「昭和史全記録」によれば,昭和13年といえば,4月1日に国家総動員法が公布され(施行は5月5日),この国が全体主義の戦時体制にいよいよ突き進んでいた時であった。自自公ごり押しによる矢継ぎ早の全体主義的立法が当時の雰囲気を思い起こさせる昨今,都井睦雄事件と同じ構造の悲劇はいつでも起こりうる。ムラ社会的暗黙のルールからの逸脱を許さないやり方が,逸脱せざるを得なかった者を追いつめ,とんでもない悲劇を生んでしまうということである。音羽の二歳児殺害事件も,ある意味ではこの構造を内包しているのではなかろうか。

●税別743円(上)743円(下),ISBN 4-334-72889-8(Amazon | honto)(上),ISBN 4-334-72889-8(Amazon | honto)(下)

本作品についての追加コメント。かなり緻密に組み立てられているのだが,それだけにいくつか粗が残るのが目立ってしまう。犯人を含むネタばれになってしまうので,以下改行して続ける。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆ 以下,犯人を含むネタばれのため注意 ☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2人目の犯人の動機が,あれほどのことをさせるにしては弱いと思う。結果的に彼が余計に殺したのは一人で済んだ訳だが,1人目の犯人の計画が何の失敗もせずに済んでいて,不幸な事故もなかったなら,彼は一人でターゲット以外の何の恨みもない人間を5人も殺さねばならなかったことになる。それを普通の情欲だけでやってのけるとしたら,彼は精神に異常がなければおかしいわけだが,そういう説明は一切ない。また,全体の経緯がわかってから考えると,1人目の犯人がp.280あたりでユキちゃんにいう科白も不可解だ。逆の意味には取れないし,もし逆の意味だとしたらユキちゃんの態度に屈託がなさすぎる。また,3人目の犯人はパターンなので上巻の途中でわかってしまった。3人目についてのミスディレクションは滑っている。

ラスト近く,ミチさんのフルネームがわかって,この作品がカッパノベルスから出たことの意味がわかり,島田荘司の世界が大きく広がるのには,発表当時に読んでいたら衝撃を受けただろう。この作品が出た時点で,「涙流れるままに」<http://minato.sip21c.org/bookreview/oldreviews/19990708095458.html>が書かれるのは必然になったといえる。だから,この作品単体の中で上述のようなロジックの粗が多少あっても,それに文句をつけるのは筋違いかもしれない。名探偵御手洗潔も直接は出てこないわけだし。二階堂黎人解説が指摘する通り,ある意味ではこの作品は壮大な前振りなのかもしれないのだから。


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