目次

書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『涙流れるままに(上・下)』

書名出版社
涙流れるままに(上・下)光文社カッパノベルス
著者出版年
島田荘司1999



Jul 08 (thu), 1999, 09:54

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

久々に島田荘司の世界を堪能した。

ロジックによる謎解きの意外さを売りにしたものを本格探偵小説とするならば,この作品は,本格は目指していない。もちろん,ロジックや謎解きがないわけではないが,同じ著者によるもう一つのシリーズである御手洗潔探偵+石岡和巳探偵助手ものと違って,大がかりなトリックや奇を衒ったペダンティシズムはない。主人公の吉敷竹史刑事は,これまでの「奇想,天を動かす」「北の夕鶴2/3の殺人」でもそうだったように,先入観や浮き世のしがらみを排除し,あくまでデータと直感に忠実な,基本的で地道な捜査を進めてゆく。本作の第一の特徴は,この捜査の対象となった事件の内容にある。無実の罪で死刑宣告を受けた確定囚の冤罪をはらすために,40年前の事件を探り直すのである。島田荘司には,これまでにも冤罪と死刑の是非を問うた「秋好事件」のドキュメンタリーや,そこに着想を得た「天に昇った男」という作品があるが,この作品もまた,かつて行われた非人道的な捜査によって得られた結果がでっちあげである可能性を知りながら,面子のためにそれを握りつぶそうとする体制側の一部のくだらなさと,それが国家による殺人であるが故に看過できない,看過したら自分が刑事をやっている意味がなくなってしまう,と真実の追求を始めてしまう吉敷刑事を対比させることによって,冤罪と死刑の是非,現在の刑事裁判制度の妥当性と限界といった,島田作品に共通するテーマが見えてくる構成になっている。

第二の特徴は,これまでの作品でも謎の多い存在だった吉敷の別れた妻,加納通子がもう一人の主人公となって,通子の視点からも事件が迫ってくる点にある。御手洗シリーズの最新作「龍臥亭事件」にも登場したミチ,こと通子であるが,これまでの作品を書き進めるうちに,作者の中で広大なバックグラウンドストーリーを勝手に構成してしまったということである。本作ではこのバックグラウンドストーリーがすべて語られる。加納通子を巡る謎には,日本古来のイエ制度であるとか,横並び意識であるとか,ヨソモノを排除するウチ意識といったものの悪影響が色濃く投影されている。これもまた作者がこれまでこだわってきた日本人論の集大成といえる。

さらに,これら2つの軸が絡み合ってつむぎ出され,展開してゆくのは見事だし,釧路の元弁護士とか,盛岡の作家とか,北大の教授,道頓堀そばの世羅三郎老人,といった,脇を固める人物像も魅力的だ。悪党として描かれる藤倉兄弟ですら,彼らが生きた人間であると感じてしまうような想像力を促す,圧倒的な描写力である。かなりの起伏をもって進行しながらもひとつずつ真実がが明らかになってゆき,ぴたっと収束する物語の果ては,今後の新たな展開を感じさせずにはおかない。ただ,逆に言うと,総決算的な作品であるだけに,これまでの作品は読んでおいた方が,より楽しめるに違いない。

あまり細かく書くと興趣をそぐと思うので,内容にはこれ以上触れないが,この長さに必然性を感じるできばえだったとだけは言っておこう(もっとも,吉敷刑事に感情移入してハードボイルドとして読むのも一つの読み筋であるが,それだけならこの長さは必要なかっただろうと思う)。島田マニアだけでなく,いわゆる社会派推理小説の好きな人にお薦めしたい佳作である。


Aug 19 (thu), 1999, 17:30

E. Shioda <239.pool17.tokyo.att.ne.jp> website

島田ファンを自認するわたしが最悪作品だと思っている「飛鳥のガラスの靴」
は(外反母趾の記述では疑問符の花が全開)、「羽衣伝説の記憶」から「龍臥
亭事件」に直行するわけにはいかず、そしてこの「涙流れるままに」へと世界
を広げるための、作者にとって通過点だったのかと改めて思う。

わたしにとっては堪能できる作品だが、ところどころ気になったのは、連載の
体裁がそのまま本に反映されていること、一気に本を読んでいる側にしてみれ
ば数十ページ前の記述が(連載時の)読者へのサービスとして反復されている
ことだ。


旧書評掲示板保存ファイルトップへ