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2009年2月のソロモン諸島調査

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【第6日目】 健診3日目は午後から繁盛(2009年2月20日金曜)

6:50起床。今日はハイラックスが来るだろうか。

Friday's breakfast

朝食は今日もコーヒー&ビスケットだった。悲しいが仕方がない。ぼくらが作業をしている間(夜なべは除く),ぼくらの世話をしてくれている家の人たちも眠らないで待っているので,朝食の準備を十分にはできないのだろう。

オミに家があってテテレ警察署に勤めている男が,今日は休みで家にいるため,朝から健診を受けに来てくれた。テテレ警察署はホニアラとこの村のちょうど中間くらいに位置しているので,日勤の場合はバスで通っているのだが,今週水曜と木曜は夜勤だったのでテテレに泊まっていたそうだ。彼の言うことには,水曜夜に脱獄した囚人がGPPOL(アブラヤシプランテーション会社)のハイラックスを奪って逃げ,昨日は1日中その捕り物で大騒ぎだった。空港の東端に張った検問で車とともに5人は逮捕したが,1人だけ逃げ続けている犯人がいるらしい(後で見たSolomon Starの記事によると,Stanley Gitoaという)。物騒なことだ。

夜なべで作ったファイルを印刷しつつ,今日の健診の準備をする。机を用意したり,手の甲に貼るシールに受付番号を書いたり,尿検査で使うカーディイオンメータ(堀場製作所)のキャリブレーションをしたり。印刷が終わったら9:00を過ぎていたので,すぐさま受付を開始した。しかし昼までは20人弱しか来なくて,その分丁寧に聞き取りをすることができた。

Friday's lunch

どうも今日は給料日で,学校も半ドンだったようで,早めの昼を済ませたら,続々と子供たちや学校の先生が健診を受けに来た。遠くから赴任してきている先生の家族とかは,本当は対象じゃないのだが,住民サービスと思って受け付ける。夕方まで何十人か来て,前日血液検査だけしていない人とか,採尿容器を渡したけれども尿サンプルが未提出だった人とかも加わったので,このままでは尿検査が明るいうちに終わらなくなると考え,17:00頃に受付を止めた。その後尿検査をしていたら,カイオのお洒落をした20代の既婚女性が,尿検査で妊娠判定とかできないの? と訊いてきた。既に2人の子持ちである彼女が,なぜ妊娠検査に関心があるのかはよくわからないが,尿中hCGを使った妊娠判定キットは米国から輸入すれば単価100円くらいで手に入るし感度もいいので,不可能ではないけれども今回はそのツールを持ってきていないからできない,次回以降に検討すると答えておいた。ただ,本当にやるとしたら,既婚女性の希望者だけだとしても,インフォームドコンセントの内容も変えなくてはいけなくなり,倫理審査もやり直しとなる可能性が高いので,やはり難しいかもしれない。できることは,この人にキットを持ってきてあげるくらいか。

最後のサンプルが届いたのは18:30頃だったと思うが,結局暗くなってからも検査を続け(今回白色LEDのフラッシュライトを持ってきたのは正解で,この光なら何とか尿検査結果が目視判定可能だった),19:30頃に完了した。

Friday's dinner

これまでの通例からすると,村での最後の夜には鶏をつぶしてくれて,お別れパーティとなるのだが,この夜は違っていた。JCN氏の言うことには,ぼくらも遅くまで検査をしていたし,それ以上に,町に行ったJ氏に鶏の入手を頼んでいたのに,たぶん給料を貰ったJ氏がビアを飲み始めてしまって,鶏のことを忘れて飲み続けているらしく帰ってこないということだ。JCN氏が済まなそうに,ソーリートゥーマス,鶏は明日の朝食と昼食で出すから待っていてくれ,という。いや,JCN氏は悪くないし,食事としてはサツマイモで十分だから気にしないでくれと伝えたが,彼にしてみれば不本意なのだろう。普通に食べ終わった後,パーティはできないが,御礼だけ言わせてくれ,というので挨拶交換となった。彼は,相変わらず目配りの行き届いた長いスピーチをしたが,こちらは検査作業で疲れていた上に,まだ転記をしなくてはいけないので,短く済ませた。でも,そこは彼も理解してくれたようだ。大人だ。

20:40頃から転記作業に入った。作業をしながら,だんだん脳みそが疲れてきたのだろうか。突如として読み上げる数字が3の倍数のときにアホになるという「世界のナベアツ」のネタを始めるF君であった。昨日以上にヤバい。ぼくも笑ったので元気が出たが,周りにいた子供たちが笑っていたのは意外だった。数字の意味がわからなくても笑えるという,さすが世界のナベアツの笑いは世界に通用するんだな。後になって冷静に考えると,大学教員が示す態度としてはどうかと思わないでもないが,このときは,もはやそうでもしないと気力が続かないほど追い詰められていた。22:00近くなって,漸く転記作業が終わった。

遠くで騒ぐ声やラジカセの音が聞こえるのは,給料日効果らしいが,近所の人たちは別に飲んでいるわけでもなく,静かに語って最後の夜を過ごそうと思ったようだ。ぼくらも30分ほど付き合っていたが,まだ写真を整理して主な結果を打ち込む夜なべ仕事が残っているので,23:00頃部屋に入った。狭い蚊帳の下での作業完了は0:30頃だったと思うが定かではない。寝袋に入るとすぐに意識が途切れた。

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Correspondence to: minato-nakazawa@people.kobe-u.ac.jp.

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