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2018年2月〜3月のラオス往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2018. Last Update on 2018年3月7日 (水) at 20:03:45.


【第1日目】 ハノイ経由でルアンパバーンへ(2018年2月27日)

5:40起床。眠い。レトルトの玄米ご飯を温め,野沢菜漬けを載せて朝食。トマト1個追加。海外出張の時に毎回悩むのは,冷蔵庫の中の生鮮食品を空にすることだが,今回も何とかなった。これから初ラオスで,後で写真を追加してフィールド紀行に収録予定だが,できるだけリアルタイムで鵯記でも更新していきたい。

バスで三宮に出て,バスチケット乗り場が長蛇の列だったので気が揉めたが,何とか予定した7:00発の関空行きに乗ることができた。バスの中では爆睡していたが,不思議と第一ターミナルの手前で目が覚めた。関空でもベトナム航空のカウンターは空いていて(キャセイパシフィックには物凄く並んでいた),無事にチェックイン終了。荷物はルアンパバーンまでスルーにできたが,ハノイからがラオス航空のチケットになっているため,ハノイでトランジットカウンターに行って発券するように言われた。共同運航便なのに,なぜそういう買い方になっているのかは謎だが仕方がない。

海外旅行保険を契約したら5回目の利用なので,タリーズの飲み物1杯無料券を貰った。半年有効だそうだが,今日使ってしまうつもり。で,長蛇の列だった南ウィングの手荷物検査場を無事通過し,出国審査はあっという間に終わったので,28番ゲートに向かったところ,タリーズはちょうど28番ゲートの隣にあったので,トールラテと無料券を引き換えて貰った。トールラテ1杯は,PCでメール送受信したりしながらボーディングまで30分待つのに丁度良い量だった。

ベトナム航空331便はANAとのコードシェアで,横10列の大きな飛行機だった。各座席にOn Demandのエンタメプログラムが提供されるディスプレイがあり,4時間半くらいの飛行中,自分のイヤホンで映画を2本見た。ジョジョの奇妙な冒険の実写版と君の名はだが,君の名はのRADWIMPSの音楽の使い方の巧みさと,ノベライズ版にはなかったシーンが良かった。昼食が出て,ウェスタンスタイルの方を頼んだが(もう1つはアジアンスタイルということだった),パスタとロールパンとフルーツという,まあ標準的なものだった。飲み物は久々にトニックウォーターを飲んだ。ちょうど,君の名は,を見終わったタイミングで飛行機が着陸態勢に入った。

ノイバイ空港ではまずTRANSFERデスクに行ってルアンパバーン行きのボーディングパスを発券して貰ったところで帝京大学の丹羽さんと合流できた。ここでは入国はせずに手荷物検査だけして,再びDeparture Loungeに来た。乗り継ぎ待ちが4時間半くらいあって,現地着が20:30なので,まずはコーヒーでも飲みながら仕事をして,軽く食事をしたらちょうどいい感じか,ということで,丹羽さんと2人で電源がとれる喫茶店を探してうろうろしたが,そういう店は見つからなかった。そもそも,店以外でも広大なラウンジで電源が取れるところが1ヶ所しかなく,そこには机などがないので,バッテリーが切れたら仕事は終わりだな。

結局,赤い星のロゴが目立つStar Cafe ASという喫茶店でカプチーノMを5ドルで買って仕事中。レシートにWiFiに接続するための情報が印字されていて,客は無料でWiFi接続できる仕組み。速度は遅いが悪くない。

現地時刻16:45頃に某学会の査読が終わったのでメール送信。これで後顧の憂いなく調査に集中できる。名谷キャンパスのネットワーク機器の不調とかいうメールも来ていたが,海外出張中では何もできないので忘れることにする。

腹が減ってきたし,たぶん1時間20分のフライトではちゃんとした夕食は出ないだろうと読んで,Big Bowlという店でフォーを食べた。10ドルはちょっと高い気もするが,3種類の肉とたくさんの野菜が入っていたし,味も悪くなかったので,まあ正解ではなかろうか。ただ,丹羽さんが頼んでいた8ドルの鶏もも肉入りのフォーの方が器も大きく,肉自体は美味そうだったので,次に来るときはそっちにしたい。この店もフリーWiFiの接続はレシートを見ればできるし,実は壁際の柱に電源コンセントがあるのだった。使っていいものかどうかはわからないが,何となく大丈夫そうな気がした。その後,売店で2ドルののど飴を買ってボーディング。27番ゲートからバスで機体近くまで行き,地上から機体後方の階段を上るという懐かしいスタイルだった。

ハノイからルアンパバーン行きの飛行機

横4列しか座席がない双発のプロペラ機が国際線なのが凄いところだが,無事にラオスのLuang Prabangに到着した。エンタメサービスなどはないが,機内誌がなかなか美しくて良かった。機内食は読み通りにロールサンドみたいな軽食だったが,デザートにシュークリームが付いていたのが驚きであった。飲み物はラオスのビールとかも注文可能だったが,とりあえずここでは7upにしておいた。入国審査も簡単で,荷物も無事に出てきて,ゲートを出る前にあったBeelineというSIM屋(日本でいうとドコモでは無くソフトバンクみたいな位置づけの回線業者らしい)で7日間データ通信無制限でUSD 14のSIMカードを買った(ちなみにリンク先にはこのプランは書かれておらず,*122#でbalanceを見るとゼロと返ってくるが,問題なく使えている)。AXON MINIにセットして貰うところまでやって貰った。アンテナ横の表示はHまたはH+なので3Gであるらしい。APN名もBeeline3gとなっていたので,たぶん4GとかLTEはないのだろう。ちなみにこのSIMでも,毎日10分まではローカルの通話を掛けることもできるという話だったし,電話番号もあるので受けることもできるようだ。

空港を出てすぐのところに2台のATMがあり,片方はSMBC信託PRESTIAのカードが使えなかったが,もう1つの方で無事に150万kipを2回,合計300万kip引き出すことができた。空港内の受付カウンターでタクシーの契約をして(Luang Prabang Legend Hotelまで前払いで7ドル,二人なので一人当たり3.50ドルだった。明朗会計なのが素晴らしい),10分くらい乗っただろうか,無事にホテルにチェックインできた(先に着いていた長崎大の西本さんが既にいろいろな手続きをしてくださっていたおかげか,パスポートを提示―たぶんコピーをとったのだと思うがすぐに返却してくれた―してカギを受け取るだけで良かった)。ホテルの客室には湯沸かしポットもあり(おかげで持参したドリップコーヒーを淹れて飲むことができた),冷蔵庫に冷えているミネラルウォーターも500ミリリットルのペットボトル2本は無料だし,WiFiも無料で(使えるアクセスポイント名とパスワードは目の前の壁に貼ってあった)快適そのものと言える。コンセントが少し見えにくいところにあるのが弱点だが,形状は日本のプラグがそのまま入り,電圧は230ボルトらしい。ぼくが普段から使っているLVSUNのACアダプタは100-240ボルト自動対応なのでまったく問題なく使えた。

明日は7時にチームメンバー揃って朝食をとり,8時にノンキアウに向かって出発する予定なので,早めに眠ろうと思う。


【第2日目】 ムアンゴイへ(2018年2月28日)

6:00にPCのアラームを設定していたのだが,なぜか4:00に鳴ってしまった。PCのタイムゾーン設定をUTC+7にしたのだが,アラームはUTC+9のJSTで認識されていたらしい。T-Clock Redux x64のアラームはスリープから復帰したときに設定時刻を過ぎていると鳴り出すという恐ろしい仕様であることから考えると,リアルタイムで時計を見ているのではなく,鳴ったかどうかのフラグがあって,現在時刻が設定時刻を過ぎていてフラグが立っていたら鳴るということではないかと思っていたが,もしかすると時刻を比較するのではなく,何時間後という設定がされてしまうのかもしれない。わからないが。

二度寝してスマホのアラームで起きるつもりだったが,5:30に目が覚めてしまったので,そのまま起き上がった。スマホのアラームは正しく6:00に鳴った。外はまだ真っ暗だ。

ルアンパバーンの朝メール送受信をして,ここまでの記録をアップデートしたりしているうちに6:40になり,漸く外が明るくなってきた。ちょっと近所を散歩してから朝食に行こうかと思う。

近所に喫茶店と航空会社のオフィスらしきものがあり,そこにも24時間稼働しているATMがあったが,PRESTIAは使えなかった(認識はされるが引き出すところで拒否される)。たぶんマスターカードでキャッシングはできそうだったが。地元の人が利用するらしいオープンなレストランがあったのは,さすがに東南アジアだと思った。標識によると800メートルほど離れたところで手芸品のナイトマーケットがあるらしかったが,昨夜行かなかったので,もし行けるとしたら帰国の日か。

元神戸大学の人口地理学者で人口学会で昔から知っている高橋先生と,名古屋大の院生も交えた5人で集合して朝食。このホテルのレストランの朝食はバイキング形式で,炊飯器で炊いたご飯にカレーを掛け,それとは別に野菜がたくさん入った焼きそばとかベーコンとか,さらに卵料理を1品注文できるのでベジタブルオムレツを頼んだ。フルーツも5種類提供されていたがバナナを貰い,後はオレンジジュースとコーヒーまでガッツリ食べた。名古屋大の院生が体調不良だそうで心配だが,ぼくを含めた他の4人は元気で,いろいろ情報交換した。8:00頃に迎えの車が来るとのことで,それまでに荷物をまとめて集合となった。

ノンキアウ近くに郡病院があった

集合後,運転手付きで借り上げたミニバンに乗ってノンキアウに向かった。途中二度ほどトイレ休憩を挟んで無事到着。ノンキアウに近づいたところで,右手に病院が見えた(上写真)。Ngoy District Hospitalと書かれていた。最初のトイレ休憩の時にカウンターパートと出会って挨拶したので,ノンキアウでは昼食を摂りながら大変強い酒を酌み交わすことになった。餅米を麹で発酵させた醸造酒を蒸留したものにハーブを入れてエキスが溶け出した薬酒だという(下写真)。儀礼としてお猪口くらいの容器に2杯は飲み干さねばならないという。で,結局6杯(途中からお猪口半分くらいにして貰ったが)飲まされたので,すっかり酔ってしまった。食事は辛かったが美味で満足した。餅米のせいろ蒸しのような主食が素晴らしい。

ハーブ入りラオラオ

大変困ったことに,ノンキアウではBeelineのSIMカードは圏外であることが判明した。せっかく容量無制限の契約をしたのに台無しだ。ノンキアウで圏外ならムアンゴイやその先の村では絶対に圏外だろうという話なので,丹羽さんともどもBeelineのSIMカードを外し,近所の店で改めてUnitelのSIMカードを買うしかなかった。データ通信専用のSIMカードが10000kip(200 MB/30 daysの通信までフリー),50000kip分の通信料をリチャージして,合計60000kipかかった。空港の店と違って設定はしてくれなかったが,西本さんに教えていただけたので問題なかった。121に電話して回線をアクティベートしてからリチャージ用のカードのスクラッチを削って出てきた番号を登録し(*121*番号#),さらに西本さんに教えていただいた通りの通話プラン(50000 kipで5120 MB/30 days)にアプライするため*209*24#に電話し,無事にデータ通信が5 GBまでできるようになった。足りなくなったら同様の手順でカードを買ってリチャージすれば良い。*122#で通話残高が確認できるが,99 kipだけ残っていた。99 kipでどれくらいの通話ができるかしらないが,何かあったら西本さんに助けを求めるくらいのことはできそう。

水牛ボート乗り場では長い階段を降りる必要があったので,こんなに酔っていてはスーツケースを落とさないか心配だなあと思っていたが,たぶんボート乗り場側の誰かが運んでくれた。ボート自体は屋根付きで2列の座席がしつらえてある12人乗り? のもので,わりと立派だった。一番前の席が水は撥ねかかるけれども良い写真がとれると言われたので,そこに座って写真をtweetしたが,海と違ってほとんど波も無いので,実は水飛沫は気にならないくらいしか掛からなかった。ボートがムアンゴイにかなり近づいた頃に,川岸の砂地にたくさんの水牛がいて,なかなかきれいな写真が撮れた。

ムアンゴイのボート乗り場から上までの階段は,自力でスーツケースを運ばねばならなかった。まだ酔いが残っているのでちょっと辛かった。ゲストハウスまではちょっと距離があるので荷物は後でトラクターで運んでくれるという話になり,道路工事中で凄まじい悪路になっているところを歩いて行った。外国人旅行者がとても多く,ここは観光地なのだなあと実感した。しかし良い意味で商業主義にそれほど毒されておらず,土産物屋などはわりと控えめだし物価も安い。ゲストハウスは温水シャワーもあるし電源もとれるのに1泊11万kipだそうだ(後でわかったが,温水シャワーは朝方使うとほとんど水だった。そのせいか知らないが,1泊当たり85000kipしか請求されなかった)。

18:00に再集合してカウンターパートと明日からの調査の打ち合わせをしてから晩飯ということになったので,それまで部屋で少し横になって休んだ後,調査対象村落の資料をプリントアウトしたり,持ってきた調査用具のチェックをしたりして過ごした。こういう環境でAXON MINIでJazzを流しながら仕事をしていると捗る気がする。

打ち合わせはボート乗り場近くのレストランでということになったので,再び悪路を歩いて行った。陽が落ちると寒いくらいだ。AccuWeatherで確かめたら気温25℃となっていた。打ち合わせが2時間弱,その後ラオビールを飲み,晩飯を食べながらいろいろな話。フライドフィッシュや野菜と卵を辛く味付けて炒めたものなどが美味かった。高橋先生から五十嵐先生の話が出たので,ご遺稿が出版されたという話をしたら,ご逝去されたこと自体ご存じなかったようで,大変驚いていらした。ゲストハウスに戻ったのは21:30頃だったと思うが,酔っていたし,スマホを充電しただけでそのまま眠ってしまった。

フライドフィッシュ野菜と卵を辛く味付けて炒めたもの


【第3日目】 トラクターで村へ(2018年3月1日)

目が覚めたら4:30だった。まあ7時間は眠ったし,そのまま起きてしまうことにした。まだ外は暗いが,鶏の声が騒がしい。パプアニューギニアやソロモン諸島の村暮らしを思い出すこの感じは悪くない。

ミートサンドイッチ6:20頃まで掛かって昨日のメモを打ちながらメールに返事。便利と言えば便利なんだが,日本の仕事がこんなところまで追いかけてくるのは辛い。7:00から朝食ということになっているので,その前にシャワーを浴びておこう。今日から村に行くが,とりあえず今日は泊まらずにムアンゴイに帰ってくる予定。カウンターパートのドクター・ケイトに通訳+補足説明して貰いながら調査も始めるつもりで,今後の日程を考えると今日中に20人はヘルスチェックしたいところだが,初日はおそらく村長から歓待されて昨日の昼に飲んだ強烈な酒を酌み交わす儀式があるというので,仕事ができる状態を保てるかどうか不安。

外気温が15℃くらいしかなくて,シャワーを浴びたら,温水にするダイヤルを一番強力な側に回してもたぶん30℃台であったため,大変寒かった。これでは風邪を引いてしまいそうなので,今度からシャワーは調査終了後の夕方浴びるんだな。

朝食は近所の店に入って鶏肉入りサンドイッチを頼んだ。20000kipだが,まるでサブウェイのようにトマトやキュウリがたくさん入っている上に甘辛く煮た鶏ムネ肉(と思う)が山盛りになっていて,大変美味だった。

トラクターで村へ到着

N村へのトラクターの旅は45分くらいだったが,下り坂は迫力があった。朝は靄がかかり,帰りは夕陽に照らされた幻想的な眺めが素晴らしく美しかった。午前中に26人のヘルスチェック(今回は予備調査なので,完全にボランタリーだし,やったことは体重測定,血圧測定,尿検査,唾液によるストレス検査のみ。結果もどれくらいの値が出るか,どれくらい参加してくれるのかをみることが目的で,参加者には返すが発表などはしない)ができた。副村長が経営するレストランで昼飯を食べたときに強い酒を酌み交わす儀式はあったけれども,午後はゆっくり9人やって終わった。

ムアンゴイヘルスセンター予想より多くの人が来てくれたので,明日はもう一つ奥のP村でヘルスチェックして,帰り際に今日の結果を写真付きで参加者に返すことにした。その次の日も奥の村で結果を返してから,健康概念についての聞き取りをしようと思う。

帰り道でムアンゴイのヘルスセンターに寄ったが,入院もできる立派な施設なのに,医師は常駐しておらず看護師しかいないという話だった。そのため,村の人たちは重病になるとノンキアウかルアンパバーンに行くか,または国境を越えてベトナムまで陸路移動するということだった。ただし,村外で臨終すると村に葬ることが許されないという風習があるため,本当に病状が悪化すると引き取ってくるらしい。それはそれで大変だなあと思った。

宿に戻ってデータ整理をし,L版の写真用紙に結果と写真を打ち出すのが今日の夜のミッション。

19:00から晩飯に出て,美味だったがカウンターパートの皆さんからビールを何杯も飲まされたので仕事ができなくなった。早く眠って明日の早朝からやろうと思う。


【第4日目】 トラクターでもう一つ先の村へ(2018年3月2日)

4:00に起きてRのスクリプトを修正したが,どうしてもラオス語のフォントがうまく扱えない。仕方ないので写真用紙への出力は英語にし,マジックでドクター・ケイトにラオス語を書き入れて貰うことにした。それでもデータ入力が終わらなかったので,PCとプリンタを村まで持っていって印刷することにした。7:00から30分で朝食を済ませ,残り30分で入力をしてからトラクターに乗り,昨日行った村では降りずにそのままもう1つ先の村まで行った。

棚田村人が手作業で切り開いたという話なのだが,かなり急な坂道を上って降りるのはトラクターでも怖いくらいジェットコースターのようだった。ただ,坂道の途中から見えた棚田は美しかった。ちょっと長野の姨捨辺りの景色を思い出した。しかしトラクターという乗り物は,多少の川ならそのまま乗っていけるのが凄いと思う。ちなみにこの川には水力発電のダイナモがいくつも設置されていて,村の電力はそれで賄っているらしい。

着いた先の村にも白人の観光客がいたのには驚いたが,話によると2月は雨は降らないし夜になれば気温は下がるし,ラオス観光のトップシーズンだそうだ。

トラクターの運転手がこの村の村長なので,昨夜のうちに話を広めてくれておいたらしく,スムーズに人も集まって2時間くらいで予定通りヘルスチェックが終わった。昨日の村まで戻って,再び強烈な酒(こちらの人はラオまたはラオラオと呼ぶ,餅米を麹で発酵させた酒を蒸留して造るもの。タイでの調査が長い丹羽さんはラオカオと呼ぶので,たぶん同じもののバリエーションなのだろう……と思っていたが,後で西本さんから教えて貰ったところ,ラオというのが酒のことで,ラオラオというとラオスの酒という意味で,観光客相手に商売をするときなどに使う表現なのだそうだ)を飲みながらの昼食をとってから写真用紙へのポートレート入り結果出力をした。これも順調に終わり,14:30頃からドクター・ケイトと一緒に昨日の場所まで行って,昨日の参加者に結果返却。

他のメンバーの仕事が終わるのを待ちながら今日のデータ入力をして,16:30頃に再びトラクターに乗ってムアンゴイに戻った。

外気温が高いうちにシャワーを浴び(温水シャワーではあるのだが,あまり温かくならない),サッパリしてから晩飯へ。カレーとかピザとか,少々食べ過ぎた。21:00頃に宿に戻ってそのまま眠ってしまった。


【第5日目】 結果を返してから健康概念の聞き取り(2018年3月3日)

3:30に目が覚めたので前日のデータ入力を終わらせ,Rのコードを書き換えてcsvから結果を読み込ませて処理し,\includegraphicsを使ってIrfanViewのバッチ変換で1枚ずつpdfにしておいたポートレートを読み込ませるようにしたLaTeXソースを出力し,TeXLive2016でpdfを作ってからiP100でプリントアウトした。

7:00にいつもの店に食事に出たが,チーズサンドイッチを頼んだのが大失敗で,チーズは申し訳ばかりに入っているだけで,ほぼベジタブルサンドイッチであった。ムアンゴイ到着翌朝に頼んだチキンサンドイッチより3000kip安いのだがお釣りも返してくれなかったので,これは頼まない方が良い。チキンサンドイッチとフォーは美味かったのだが。

ラオラオづくり8:00に村へ出発したのは昨日と同じで,昨日調査した村まで行ったら,ちょうど蒸留でラオラオを作っているところに通りかかった。暫く見ていたら2杯飲まされてしまった。ということでほろ酔いながらも各戸訪問して見方を説明しながら結果を返した。その後,村長が経営するレストランで健康概念の聞き取りをした。村長は少し腹が出ていて,健康とは何かという質問に対して腹が出ていないこと,例えば西本さんみたいなのが健康だと答えたのが面白かった。彼がベトナムで買ってきたという緑茶を淹れて貰ったが,普通に美味しかった。

今日は世帯インタビュー調査チームがこっちの村まで来て昼食となったが,当然のごとくラオラオ廻し飲みがあり,しかも午後のインタビューはフレンドリーな感じにするためということでラオラオを酌み交わしながらだったので辛かった。ここのラオラオは自家製なので家によって若干風味が違うのだが,このときのラオラオには若干刺激臭があって辛く,ぼくは途中で勘弁して貰って(ドクター・ケイトが彼はもう無理だからと言ってくれた),湯冷まし(ただの水ではなく,木片と一緒に煮込むので赤い色がついている)とベトナムの緑茶に切り替えたが,西本さんは最後まで付き合っていたのが流石だった。後で聞いたところでは,ラオラオを注がれても飲まずにそのまま置いておくのもありだそうだ。が,それではフレンドリーな感じにするという目的が達成されないので頑張って飲むしかなかった。しかも,聞き取りの最後の方では甘酒のようなもの(餅米を麹で発酵させ始めて2日目くらいという話だった)をスプーンで食べるというおまけまでついてきた。というわけでフラフラになりながら16:00過ぎに調査終了。トラクターに乗ってムアンゴイに戻ったら17:30頃だった。

ラオラオを飲むお猪口みたいなグラス

晩飯は18:30からムアンゴイ初日の夜と同じNING NING RESTAURANTで食べた。今日はもうビールも飲みたくないので乾杯の1杯だけで勘弁して貰ったが,料理もそれほど辛くなくて胃に優しい感じだった。チーム全体としても今日は昼間ラオラオを飲み過ぎたせいか,晩飯時のビール消費量が昨日までの1/3だった。

3000kipで500mLのミネラルウォーターを買って宿に戻り,今日もそのまま眠ってしまった。


【第6日目】 健康概念の聞き取り2日目の帰りに洞窟を覗いてみた(2018年3月4日)

2:30に目が覚めたが流石に早すぎるので二度寝し,スマホのアラームで4:30起床。寒いのでダウンジャケットを着て昨日のメモ打ちが終わったのは6:20頃だった。今日も7:00頃に朝食に出て,8:00に村へ出発し,最初に行った方の村で結果返却の残りと健康概念の聞き取りをする予定。ぼくは今日で村に行くのは最後で,明日の朝ムアンゴイを発って帰国の途に就くことになっているので,やり残しがないようにしなくてはいけない。ちなみに,もっと長くいるはずだった名古屋大の院生が体調を崩してしまったため,ぼくと一緒にルアンパバーンまで戻ることになった。

丸木橋を渡る朝食はいつもの店で鶏肉入りのフォーにした。ついてくる柑橘系の果実を搾って振りかけるとさっぱりして美味しさが増す。今日はナンプラーも少し入れてみたが,これも合う。

8:00にトラクターに乗って村へ行く道はこれまでと同じ。結果返却の残りをしながら村の家々を回って健康概念の聞き取りをした。午前中3件ができたところでトラクターに乗って奥の村へ行って昼食。ラオハイ(蒸留してラオラオになる前の醸造段階の酒らしい)を用意するから来いという話だったらしいのだが,結局ラオハイは出ず。珍しく酒が出ない昼食だった。おかげで,午後もしっかり聞き取りをすることができた。

15:40頃終了したのでムアンゴイまで歩いて帰り,途中で洞窟に寄ってみることにした。ペット君というニックネームの現地アシスタントが道案内してくれた。途中,丸木橋を渡るところがあって,久々にドキドキしたが,まあ大丈夫だった。かつてパプアニューギニアで大雨の後で轟音を立てて流れている川にかかる丸木橋を渡ったときや,ソロモン諸島でつるつる滑る20メートルくらいの丸木橋を渡ったときに比べればどうってことはない。これくらいなら,たとえ足を踏み外しても多少濡れるだけのことだ。

橋を渡ってほどなくトラクターが通った道路に合流し,すぐに洞窟の前に出た。洞窟が庇状になっていてベンチが置かれている場所のすぐ脇に,四つん這いになってやっと通れるほどの横穴があって,ヘッドランプを付けた白人観光客が入っていったが,今回何も装備が無いのでそこには入れなかった。階段を上がって入る大きな入口の方も,照明もないし下には水が溜まっていて長靴がないと進めないような感じのところにすぐに行き当たってしまったので引き返すしかなかった。次回はヘッドランプを持ってこようか……いや,もちろん次回にそんな暇ができるかどうかはわからないし,怪我でもしたら本末転倒だから,たぶん持ってこないが。

出口のところに案内所か監視所かわからないが近所の村人が作ったらしい小屋があって,そこに村と洞窟に入るには10,000kip払うようにと書かれていたので,ペット君と2人分の20,000kipを払ったら,たぶん払わずに行ってしまう人が多いのか,大変感謝された。

洞窟の中から

洞窟を出てからムアンゴイまでは徒歩30分もかからなかったと思うが,宿に戻って生ぬるいシャワーを浴び,着替えてハンモックに揺られていたら極楽であった。その後19:00頃に宿を出て,現地の人が経営している感じのレストランで晩飯をとった。酒類は引き続きビールコップ2杯くらいで控えたが,これまでの1週間で酒が身体に溜まっているのか,結構酔った。20:30頃宿に戻ってそのまま眠ってしまった。


【第7日目】 帰途に就く(2018年3月5日)

4:30起床。記録をうち,昨日の晩飯時に撮った写真をプリントしてからスーツケースの荷造り。

7:00過ぎに宿を出て,ここに残って調査を続ける居残り組と一緒にボート乗り場近くのビュッフェサービスをしている店で朝食。1人当たり30,000kipだったが,パンケーキとか炒飯とかピザとか果物が取り放題で,コーヒーもネルに入れた粉を浸漬して出す方式のものだったので,ちょっとコーヒー自体に甘ったるいフレーバーを付けていると思われたのが残念だが,ちゃんとしたコーヒーであった。フォーやサンドイッチに飽きたらお薦めかもしれない。食事中,奥の村の村長(既に書いた通りトラクターのドライバーでもある)が,例の強い酒をお土産に持ってきてくれたのが有り難かった(ただ,1.5リットルのペットボトルに半分くらい入った状態だったので,このままでは持ち帰れない)。居残り組を乗せたトラクターが去って行くのを見送ってから宿に戻った。

この後9:30頃に荷物のピックアップが来て,宿をチェックアウトしてからチャーターボートに乗ってノンキアウに向かう。その後は車でルアンパバーンに行って飛行機なのだが,車が途中どこかに寄ってくれるらしく,そこで飲まされそうなのが若干心配。

チャーターボートが小さくてエンジン馬力も弱かったのでノンキアウに着くまでに時間が掛かり(その分,チャーター料金も20万kipで済んだ。オフィスの表示によれば,大きいボートをチャーターすると30万kipらしい),途中どこにも寄らずにルアンパバーンへ。ルアンパバーンに近づいてSIMカードを入れ替えようとしたとき,Beelineどころか日本で使っているSIMカードも紛失してしまっていることが判明し,大変落ち込んだが仕方がない。帰国したら紛失を届けて再発行の手続きをとらねばならない。

14:30頃着いて昼食をとってから,時間があるということで,まず本屋に行って貰って料理本を2冊買った。次に土産に貰ったラオラオを入れるための容器を探しに行った。一軒目の店では適当なものが無かったが,二軒目で店頭にディスプレイされていたスクリューキャップのワインの空き瓶を見つけ,ドクター・パンツァイが交渉してくれて,無料でもらい受けることに成功した。共洗いしてラオラオを詰めたらちょうど一杯になるくらいだろうと思ったら,完璧にその通りだった(空港に着いてからタオルで包んでスーツケースに入れたらちょうどフィットした)。

この時点でまだ1時間あるなあ,ということで,アヒルのバーベキューを食べに行こうということになり,当然のごとくビールを飲んでしまった。途中,公衆衛生関係の人たちが飲みに来て,稲岡さんに佐賀で指導を受けたという方や門司さんのプロジェクトで稲岡さんと一緒に仕事をしたという方と挨拶したのは良いのだが,場が盛り上がってしまって飛行機のチェックイン時刻が迫ってくるのが心配になった。しかし最後の線はちゃんとドクター・パンツァイもドクター・ケイトも弁えていて,17:10頃に空港に向かい,17:25頃到着した。車中で,同乗してきた方が,どういう文脈か忘れたが,かつてNさんはラオスの女性たちからハンサムということでもてて大変だったのよ,という話をしてきたところ,ドクター・ケイトがいや私は別のNさんの方がハンサムだと思う,と力説していたのが可笑しかった(どちらがどちらのNさんかは敢えて書かないでおく)。ハノイ行きのチェックインカウンターが結構混んでいたが,18:00前にチェックインできた。荷物も関空までスルーにできたし,ボーディングパスも2枚くれたので,後は乗るだけだ。

が,出国審査を済ませ,手荷物検査場に着いたところで呼び止められた。スーツケースにPCが入っているのではないかという疑いがかかったのだが(この空港ではPCは手荷物にしろという掲示が出ている),スーツケースを開けてプリンタの誤認であることを納得して貰って事なきを得た。手荷物検査は問題なく済んで,ハノイ行きはほぼ定刻に出発したが,機内で水しか出なかったのは予想外だった。ノイバイ空港でCafe Bambooという安めの店に入って軽く晩飯(カフェオレとホットドッグ)を食べながらネット接続して懸案のオセアニア学会仕事を済ませたりメールの返事を打ったりした。そうこうするうちに,ボーディングまであと1時間半くらいか。

どこかの高校生と引率の先生と思われる集団がいて,先生が旗の代わりに花を模した棒を持って集合の指示などしていて大変そうだった。そんな空港内の様子をぼんやりと眺めながらtwitterを見ていたらボーディングが始まった。後は帰るだけ。


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

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