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【第994回】 人口学会関西部会(2022年3月13日)
- 7:00起床。83.35 kg、97%、36.5℃。
- Eric Topolさんが、ヨーロッパが次の波に入ったとtweetされている。新規感染者が相当数出続けているのにあれだけNPIsをリフトしたら当然だろう。
- 今日は人口学会関西部会をハイブリッド開催するため六甲へ。
- 午前中の自由論題は自分が司会。以下メモ。(1)信州大学テキアライさん。ミャンマーの農業経済研究を主にしてきた。中国の女性の出生意識と出生行動の研究を始めた。人口学会入会は去年から。一人っ子政策撤廃が出生率上昇につながっていないのは何故か? 2013(単独二人っこ)、2016(二人っこ)、2021(三人っ子)年と政策を打ち出しているが低下は継続。意欲低下のせいだろう。仮説[1]多産出生観の崩壊?[2]コストの問題?どちらも検証結果否定されたので、おそらく「一人っ子エリート主義」か(Boyd and Richerson 1985みたいな文化伝播説?)、長年続いた一人っ子政策の負の影響か。天津は4つの直轄市の1つ。北京に近い。1561万人。人口流入大。粗出生率は4つの直轄市の中でも最低。天津市希望子供数調査結果(3つの政策=二人っ子、抑制も奨励も無し、奨励=に対して)。伝統的多産出生観「養児防老」「伝宗接代」「多子多福」(5段階リッカート尺度で尋ねて主成分分析して3つの指数の和として伝統出生観指数を定義)vsポストモダン的出生観。35歳以下と36歳以上で大差が無い。分布を比べても大差ない(もっとも伝統的でないところは35歳以下が多く、もっともポストモダン的なところも35歳以下が若干多いように見えるが)。操作変数法で希望子供数を説明する二段階最小二乗法。伝統的出生観は希望子供数への係数がマイナス。ただ、ほとんどが1か2なので線形回帰ではダメそう。2人以上欲しいか0-1で良いかの2値に分けてIVプロビットモデルを適用→全体と36歳以上では係数プラス。35歳以下では係数マイナス。聞き取り対象は15-49歳女性(未婚も含む)。奨励は月600元(約1万円)の補助金。(※いろいろ質問したかったが司会なので多数の質問があって時間が埋まってしまった以上、自分の質問をすることができず残念であった)(2)衣笠先生たちのグループによる研究。2021年1月(第3波のピーク頃)に20-70代の日本人で自分か配偶者が働いているネット調査会社パネル2500人の質問紙調査。「主観的死亡率の変化」を調べるという点がキモか? アウトカムは個人の貯蓄率(2020年の所得に占める貯蓄の割合)。貯蓄率の動向としては1970-80年代高くて90年代から低下したがCOVID-19流行後、消費機会を失ったのと特別定額給付金により上昇。仮説は、「死亡率が高まったと感じることが貯蓄率が下がる要因となる」。ライフサイクル仮説(Modigliani and Brunberg 1954)は、労働所得・消費の年齢プロファイルと合致している。年少人口増加が年齢消費プロファイルを若年にシフトさせ国民貯蓄率を低下させることを実証した先行研究多数。日本は儒教的考え方や日本文化に影響されて、かつての貯蓄率が高かった。遺産動機はそれほど大きくないのでライフサイクル仮説は成立するという先行研究多数。寿命、健康、災害が貯蓄に影響するという先行研究も複数ある。震災後は刹那的になって借金をして消費が拡大する場合も。この研究では、COVID-19→「主観的死亡率」上昇→貯蓄率低下? を検証。「主観的死亡率変化」は二次資料では得られないので質問紙調査[=3つの5段階リッカート尺度質問による]。この結果はコロナ後の老後貯蓄問題にも影響しうる。災害経験、事故経験、その他貯蓄率に影響を与える要因(年齢、年齢の二乗、世帯所得、自分の予想死亡年齢、Time Preference[待てば10000円の商品券を15000円に換えられるとした場合、何日待てるか?]、老後の貯蓄、お金の管理、自粛の苦痛さなど)を調整したモデル分析(※年齢は貯蓄率だけではなく主観的死亡率とその変化に大きく影響すると思うので、むしろ年齢層別でやった方が良い気がするが?)。内生性問題(貯蓄多→治療できるから死亡率は低くなるという逆向き因果)には操作変数法で対処。仮説を支持する結果が得られた。年齢も年齢の二乗も有意(符号は逆)→なぜ? 年齢層別解析をしたら面白いと思う、とコメントした。
- 昼休みを挟んでシンポジウム『疫病と人口と社会』。報告4題と全体討論という構成。(1)尾鍋さん『「美しい眼」と衛生:眼の感染症と女性』医学史、科学史が専門。質的研究。石原忍(1942)『日本人の眼』→石原表の石原氏(※ということは、たぶん優生思想的な見方ではないか?)。尾鍋さんは石原氏の色覚異常の文献を研究していた(※川端君とコンタクトあるだろうか?)。この本は一般向け医学啓蒙書。「健康上完全無欠な眼こそは、真の意味に於いて美しい眼といひ得るのではなからうか」「すなはち、従来日本人が美人と呼んできたのは、多くかうした虚弱な体質の婦人をさしたもののやうである。しかし、もしも美人という言語の中に、弱々しさとか可憐さとかいふ意味が含まれなければならぬものであつたならば、それは実に間違った考へであるといはなければならぬ」とある。ここだけ読むと唐突。今日の発表はそれを解釈する。先行研究としては、山田慶児・栗山茂久(1997)『歴史の中の病と医学』と、鈴木則子編著(2014)『歴史における周縁と共生』所収の4編。日本における感染症認識として、中国は11C運気論(主気-客気)があって(※瘴気=ミアズマとはまた違うようだ)、日本に入ってきたが診療には使われなかった。中国では明末清初『傷寒論』が盛んになり、温病(伝染性の感染症)と傷寒が区別されるようになった。日本は1737年に『温病論』が渡来し、幕末明治に研究はされたが診療には使われず、温病も傷寒の一部として治療されていた。実践+ポピュラー=通俗医学書が江戸時代からあった。その頃から既に、文学における結核の、ある種肯定的なイメージ(美女や才能豊かな青年が夭折する病)が既に出現していた。結核のロマン化。ジェンダー化。浮世草子で結核は恋の病で、恋人への思いを募らせて「労咳」となる若い娘=精神的未熟かつ性欲を抑えられない女性というジェンダー観。そこで石原忍の「虚弱な体質の婦人」「弱々しさとか可憐さといふ意味」に戻ってみると、石原は虚弱な美女というステレオタイプへのアンチテーゼを主張したかったということ。養生論から近代衛生学へと移る中で、女性は衛生思想啓発装置となった。産む性としての「母性」健全性指向は、富国強兵やナショナリズムと合致した。「ケアの倫理」の背景にあるイデオロギーとして、家庭保健上の人的資源と見なされる女性のあり方→現コロナ禍の現状にも見られる。明治期の衛生論「国民の母」=国民の健康維持と繁栄、健全な生殖機能。女子教育もそのイデオロギーの延長線上にある。WHOの1980年代のデータで女子識字率の高い地域はそうでない地域よりも相対的に乳児死亡率低いことが示されたが、乳児死亡率低下への寄与とは別に女子識字率の向上そのものに意義があるはず。衛生思想における眼の感染症はマイナーだったが、国民皆兵から失明予防が重要に。通俗眼科書で、男性には兵役に耐えうる衛生を備えた健康な眼を、女性には抽象的な「美眼」と「美しい心を伴う健康な眼」という言説。石原忍『日本人の眼』の第5章「日本人の眼」:西洋人の淡色の眼に比べて強い光線に耐えられ、視力も良く、一重まぶたが眼球保護には理想的→一種の「眼の優生思想」。失明予防のため、淋病対策(夫の性的放埒が多いのに本人の衛生喚起ではなく、周辺の女性[娼婦・妻・産婆]の衛生完備を求める)とトラコーマ対策(女中や奉公人を雇うときのトラコーマ検査推奨)が強調されていた。(unconciousな?)gender biasが現れているということか。(※質問したところ、眼病の感染性と非感染性のものについての温病・傷寒との対応はないとのこと)。(2)樋上さん「梅毒と死産・乳児死亡」主に戦前の大阪の話。梅毒、淋病、軟性下疳などの花柳病はかなり多く、大阪府や大阪市の公娼の定期検診で、視診で陰性となった人でもワッセルマン検査をすると半分近くが梅毒であった。私娼(多くは街娼)の送致後検査陽性割合は、梅毒と軟性下疳については公娼の10倍(※症状が出た人は定期検診に行かない気がするのでサンプリングバイアスかも?→質問したら、医者が遊郭に検査に行っていたが、検査カバー率のようなものは不明とのこと。発見されたら指定病院に入院することになっていた)梅毒死亡率と出生率や死産率との関連(本籍地による場合と稼業地による場合と別々に都道府県単位の地域相関で)は一部あり。丸山博による1937-8年の岸和田の死産調査でも梅毒が2/47だが他の死因も梅毒に遠因があるものも含めるともっと多い。1935年の都道府県別公娼・芸妓比率と梅毒死亡率も正の関連あり。同年の酌婦・女給比率と死産率の関連は、女給比率が高い都道府県で死産率が高い傾向。梅毒死亡率と芸妓、公娼、酌婦の比率、死産率への梅毒死亡率、公娼比率、酌婦比率、女給比率の回帰分析結果も一部有意。酌婦や公娼は親が子どもを売ってなるが、女給は違うからか? という考察。戦前は先天性弱質が乳児死亡の原因として多かったが、先天性弱質は未熟児とか呼吸器疾患など多様な死因をまとめた枠なので、実情は良くわからないとのこと。休憩5分を挟んで(3)二谷智子さん「旧金沢藩領におけるコレラ流行と地域社会」日本経済史が専門。明治のコレラについて最近の研究は、竹原万雄『近代日本の感染症対策と地域社会』清文堂(2020年)、木下順「社会政策史・再考―内務省地方局府県課の成立と展開―」社会政策学会第138回大会発表、丸本由美子『加賀藩救恤考―非人小屋の成立と限界』桂書房(2016年)、玉井金五『共助の稜線―近現代社会政策論研究―[増補版]』法律文化社(2022年)。今回の課題設定は、旧金沢藩でのコレラ流行時にどのような人がどのように対応したか? 阿波加脩造(@魚津町)に着目。1858年のコレラ流行について町史編纂室の資料の検討。資料5では、藿香正気散の効果があることを試行錯誤で見つけたとしている。(4)Jeongran Kimさん「境界、浸透、そして排除:戦後日本におけるコレラの流行と朝鮮人の密航者」過密で不潔な帰還船では、トイレが不足していて、寝場所も狭かった。1945年11月頃からインドと中国でコレラ流行。1946年3月29日に広東を出発し浦賀に向かっていた帰還船でコレラ症状の患者が発生。4月5日入港。3人の死体と17人のコレラ患者が船内にいた。その後も続々とコレラ患者を載せた帰還船が来日。国内流行も起こった。1245名の患者、560名の死者。Crawford F. Samsは中国の出発港において帰還作業をしていた軍医が出港検疫の手続きを正しく管理することに失敗したため、と書いている。4月13日Colonel Charles Ennisが帰還船の検疫実施を命令。朝鮮半島でコレラ大流行。1946年春、釜山港付近から密航船で日本に向かう朝鮮人急増。その多くは戦後日本から朝鮮に帰った帰還者。密航者の80%は生活困難(朝鮮に帰ったものの食糧難・住宅難・失業・物価高騰・犯罪・衛生悪化など深刻な社会問題から生活難)のため日本行きを決定→日本にもコレラ患者が流入→日本の政界が朝鮮人密航者の問題を治安と衛生の問題とした→朝鮮人密航者によるコレラの流入を強調、在日朝鮮人社会に対する制裁と取り締まり(※スティグマ形成過程ということか……たぶん実際に日本人引き揚げ者とどちらの寄与が大きかったかは、コレラが糞口感染であって直接伝播ではないので、モデル研究さえ難しいと思うが)。西欧社会にあったEpidemiological orientalism(※Varlik N, 2017[参考:Charters E, Heitman K, 2021]みたいな? 朝鮮を含むアジアが感染病の流入源と考え、アジア人は病気に曝されてもそれを解決する能力も理解する能力も無いという説明だったが)を日本も共有……という。
- 最後は川口先生の司会で1時間の総合討論。指定討論者溝口先生と逢見先生の討論からスタート。逢見さんは死ななくてもマイナーな病気とは限らず、疾病負荷を考えるべきでは? という指摘が流石であった。過去の統計の(分類を含む)不正確さから来る分析の限界は、まあ仕方ないところだろう。屋上屋を架すような分析に意味があるか? というのは尤もな指摘だが、別の方法で検証して付き合わせてみるとか? たぶんフロアから発言する時間はなさそう……で、予想通りだった。しかし大変充実した良い関西部会だった。発表者・参加者の皆様、平井先生、ありがとうございました。
- 今日のドラゴンズは4-1でバファローズに勝ち。柳投手が6回を紅林選手に浴びたソロホームラン1点に抑え、高橋周平選手が4打数4安打という。ファームの教育リーグはタイガースに11-0で勝ち。凄いな。
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