Latest update on 2018年3月7日 (水) at 15:42:47.
6:30起床。健診があるため朝食は抜き。問診票を書いてから3番のバスで出勤。
今日も雨模様で鬱陶しい。
11:20にWER仕事がやっと終わった。大変だった。次は採点だ。14:00からが職員健診のため昼も抜かねばならないから,ずっと続けて仕事ができる。が,採点前にメールに返事をしようと思い,fmsbのバージョンアップ作業をしていたら,14:00近くなってしまった。cranへのアップロードのとき,NEWSを1行更新し忘れてしまったので,修正版をアップロードしようとしたら,同じ名前ではできなかったので-1を付けてアップロードし,メールに事情を書いてみた。
職員健診は14:00少し過ぎに行ったら数人並んでいた。全部終わるまで20分くらいかかった。相変わらず体重が漸増傾向にある。毎日少しでも運動する時間が取れるといいんだが,走るとか難しいので,眠る前に素振り100本でもするか。なお,視力検査の時,右目が霞んでよく見えないことに気づいたのだが,今日って右目だけ酷使したっけか?
生協に行って野菜ジュースとカップ麺を買って昼食。人口ピラミッドを重ね描きできないかという質問メールが届いていたので返事。現在のところ拙作pyramidパッケージではできないのだが,plotrixパッケージのpyramid.plot()関数にはadd=TRUEというオプションがあって重ね描きできるということで,サンプルコードを作ってみた。将来的には地図上にピラミッドを複数描画したいという野望があるので,pyramidパッケージは既存のグラフ上の任意の位置に任意のサイズで描画できるように改良したいのだが。fmsbパッケージに入っている日本人口データを使ったサンプルコードは下記の通り。
library(plotrix) library(fmsb) Ages <- 0:109 age <- c(ifelse((Ages%%10==0), paste(Ages), ""),"") pyramid.plot(Jpopl$M2000/100000, Jpopl$F2000/100000, labels=age, lxcol="#aaaaff", rxcol="#ffaaaa", unit="population/100000") pyramid.plot(Jpopl$M1950/100000, Jpopl$F1950/100000, lxcol="transparent", rxcol="transparent", add=TRUE) legend("topright", legend=c("2000年男性","2000年女性","1950年"), fill=c("#aaaaff", "#ffaaaa", "transparent"))
Brian Ripley大先生から,あっという間にfmsbパッケージについて"on cran now"というご返事があった。素晴らしい。いくつか機能追加や修正点があるのだが,メールで届いた要望に応えたのは,radarchart()のラベルサイズ変更を可能にしたこととfitGM()の欠損値があるデータへの当てはめ方法を改善したこと。
ダイエーで食材を買って,直通終バスで帰宅。晩飯は買ってきたばかりのサンチュとハムとトマトを昨夜の食パンの残りに挟んでクレイジーソルトを掛けたサンドイッチ。シンプルで美味。
榎木英介『嘘と絶望の生命科学』文春新書,ISBN 978-4-16-660986-4(Amazon | honto | e-hon)を読了。構造的にピペド(=ピペット奴隷)が再生産される生命科学(バイオ)の研究現場についての批判本であった。自らの経験や周囲の人からの伝聞による情報と客観的な数字の両方から,このままではいけない,という主旨は伝わる。引用されている文献の中には,かなりポジショントーク的なものが含まれていることには注意すべきと思うし,もう少し研究のあり方の多様性に触れてくれても良かった気はするが,そうすると問題の焦点がぼやけるから新書としては仕方ないのかもしれない。ただ,こうすれば不正は防げるという明確な改善案はない。終章「バイオを取り戻せ」で,米国の研究公正局,文科省が2011年に出したキャリアパス指針,米国AAASが民間組織として如何に多様な活動をしているかという話,ソーシャル査読という形でのネットの集合知の活用,オープンアクセスジャーナルが増えてきたし自宅で研究する「殿様生物学2.0」が可能では? という提案(ふぇちゅいんさんのDIYバイオを思い出した),東京大学理学部生物学科の進学ガイダンスに書かれている,生命現象に感じる素朴なセンスオブワンダーを研究の出発点にすべきという話,等々,いずれも意味のある提言ではあるが,ビッグサイエンスでなくては画期的な研究成果が得られる可能性が低い現状を打破できるようなものではない。純粋研究は応用可能性でなく質で評価すべきという論点には同意するが,誰が適切に質を評価できるのか? 研究者間のピアレビューでさえ適切な質の評価は難しいし,大枠での予算配分の決定に至っては,研究者でない議員や産業界の人がしている現状からすれば,適切な質の評価などできるとは思われない。個人的には,科学研究をまっとうな形にするためには,徹底的な性善説に立って,一切の評価を止めたらいいと思う。正確に言えば,評価は最終的なアウトカムによってのみすべきと思う。それくらい長期的なスパンでみないとわからない営為を許すくらいの余剰がある社会でないと,人類が文明をもった意味がないと思う。もちろんこれは暴論だが。
素振りは30本だけやった。時間的には100本できると思ったが,30本振った後で暫く休んだのが失敗で,眠気に負けてしまった。明日は100本やろう。
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