Latest update on 2018年3月7日 (水) at 15:42:47.
【第1408回】 現代日本プログラムキックオフシンポジウムとか(2016年9月23日)
- 6:00起床。風呂に入って髪をトニックシャンプーで洗って目を覚ました。
- フライパンにオリーブオイルを垂らし,冷凍中華野菜と冷凍牛豚合い挽き肉を炒め,カットシメジを加え,味醂を加えてから小さく切ったピーマンも加えて蓋をしてさらに暫く加熱し,麺汁とおろしショウガと刻みショウガを加えたおかずを作った。主食はレトルトご飯を電子レンジ加熱した。
- 今日は10時から会議で,午後は現代日本プログラムのキックオフシンポジウムで六甲に行かねばならない。
- 12:10頃六甲キャンパスに着き,生協食堂で昼飯を食べてから瀧川記念会館2階大会議室へ。12:30にシンポジウム・フォーラム開始(以下,メモは適当なので無保証)。油井先生からのイントロ。今日はKeynote Speechのみ英語で,他は日本語でやるとのこと。まずは井上理事挨拶。続いて油井先生から現代日本プログラム(KU EPOCJ)の紹介。Risk beyond bordersで感染症に国境は無い話を保健学研究科からとあったが,やはり喋ることになったか。火曜午後ということなので,解剖実習で公衆衛生実習が潰れる回か,公衆衛生実習が終わってからかでないと無理なんだが。
- 続いてKeynote Speech。Prof. Eyal Ben-Ariは油井先生の30年来の友人とのこと。30分喋って残りは質疑にしたいそうだ。"Sociology of knowledge on Japanese studies in English-using world"という15年以上やっているプロジェクトの話をするとのこと。1990年代に冷戦終結,グローバリゼーション進行,西洋知識の批判とともに,学問の市場化が起こった。当時日本研究はアニメ研究などが目立っていた。冷戦終結後は,米国での地域研究予算縮小された。とくに日本研究よりも中国研究が幅を利かせるようになった。これを踏まえて2つの議論を提示したい。1.米国主導のアカデミアに取り込まれる現状,2.ユニークさ(ポップカルチャー)。世界のアカデミアは3層(英語使用コミュニティの優越,旧宗主国のコミュニティがそれに次ぎ,国際的にはほとんど拡散していない言語が3層目)。各コミュニティにセンターと周辺がある。論文生産のアカデミックモードとして,日本の研究室モデルは変化している。アメリカ的なpublish or perishに。若い研究者は早く論文を出さねばというプレッシャーに曝される。じっくり研究している暇はない。米国の専門誌に出すにはそこで使われるジャーゴンが大事になる。いま,Japan絡みのwordsはネガティブ。研究者,施設,論文にはそれぞれクリティカルマスがある。センターの力:アカデミアの権威は社会的権威によって作られる。周辺には周辺の知識がある。センターの視点に依存すると,そのシステムの中で周辺知識は「何が研究する価値があるか」。システム外で作られる周辺知識は他の価値評価による。日本の民話は日本語では豊富な研究世界があるが,英語世界では知られていない。地域研究のディシプリン:各ディシプリンの専門家としての伝統モデルがある。人類学では,調査する,テキストを書く,アカデミアでのキャリアを積むという3つの活動領域がある。このモデルのおかげで人類学者は(対象社会の人々の)行動を書き,説明し,規定することができる。自分の場所にいることを考えると,人類学者のどの活動も地域研究に関連している。地域の特定は重要。しかし人類学は地域研究に特定の関連をもつ。他のディシプリンでは,政策科学は定量的方法に移行し,地域は分析のためのデータを提供する。人口学と経済学では,地域は分析機のためのデータを生成する。言語と地域特定の必要は無い。地域研究には変化の動因がある。新しい知識の必要が社会から起こる。日本のポップカルチャーは? 日本研究の連続性と豊かさのための最重要ソース。米国はそれは政治化しているが,日本のポップカルチャーは脱政治化しているのが対照的。例としてU Pennの東京キャンパスにおけるコース提供。日本のポップカルチャーの学術的研究への入門。日常生活を通してそれを深めるのが大事とCourse descriptionに書かれている。質疑。インドネシアの人から,インドネシアは周辺かセンターとなりうるかという質問に対しては,インドネシア語のアカデミックマーケットの大きさによるとの返事。次はシンガポールの人から,英語で日本研究のセッションをすると現地語しかわからない人が参加しない問題はどうする? 最近5年は韓国のポップカルチャーが広まっているにより日本と同じような流れになるか? という質問については,よくわからないとの答え。ロシアの人から,ロシアからイスラエルへなどセンターが動くすることはあると思うか? という問い。統合されていくと良いのではないかという答え? ちょっとはぐらかしたような感じに聞こえたが,ぼくの誤解かもしれない。
- ここで20分休憩となったが,Keynote Speechに質問したい人はまだまだいたと思うので,休憩は10分で良かったのでは?
- 休憩後は,日本研究センター長フォーラムということで,まずはテーマ「公共財としての日本研究」について緒方センター長からの主旨説明。ここからメモは配付資料に手書きするので概ねスキップ。ソウル大学の南基正先生から少子高齢化が進む日韓間での安全保障のための協力の可能性の話に続き,インドネシアのガジャマダ大学のIkaputra先生からdifferent abilityのある人たち(かつてはdisabilityと呼ばれていたが,それは差別的なので多様性の1つと考えてdifferent abilityがあると考えた方がよい)と災害についての話と,シンガポール国立大学のLeng Leng THANG先生による,リタイアした後オーストラリアに移住した日本人の故郷についての帰属意識の話という,日本を例にしたもっと大きなテーマの講演で,これら2題は英語で発表された。
- ここで再び休憩が20分あったので,メールで入ってきた国際交流案件に返信。次の演題は,中国山東大学のYongfeng XING先生による,在日新華僑の有り様という発表(日本語)。さっきのTHANG先生の話とは対照的に,若い働き盛りの中国人が日本に移住して働くときに,どういう生活をしているのかという話。これは当事者だけのことではなく,それによって日本社会のあり方を示すことも出来る。インタビューまたは自由記述欄のあるメール質問に基づく質的研究で,今日は対象者の中で代表的と思われた4人の回答を発表するとのこと。4人とも中国籍で,家庭内では中国語を使うようにしているとのこと。日本に帰化する予定はないそうで,中国への帰属意識は強い。その点,先行研究で取り上げられてきた老華僑が帰化する方向にあるというのとは違う。けれども,必ずしも中国に帰りたくはないそうだ。日本社会は多文化共生を実現できるのか? 神戸の南京町が成功例として近年たびたび取り上げられているが,鍵は南京町の華僑が「外国人」ではなく現地人や「主人公」の立場でイベントを行っている点にある。次は中国東北大学のQiuju WANG先生による,公共財としての日本の社会技術研究という話。技術と道徳の問題についてということで,ルソーから説きおこされた。技術は人間の能力を退化させるという。ルソー的な自然回帰は老荘思想とも共通するがそれだとロマンティックに留まる。で,ハイデガーの『技術の問題について』から技術の多義性(自然属性と社会属性)へと分け入り,日本では技術という言葉は明治時代に西周が初めて使ったとかいう話に触れつつ,法律や言語も技術と言えるというMechemの言葉を紹介してから,日本の社会技術研究について詳説。なるほど,この発表のテーマはSTSなんだな……と思ったら,社会技術研究開発センターの4番目の研究分野である「科学技術と人間」が「伝統的なSTS研究に類似し,……」という話になったので,視点はもっと広かったようだ。最後の発表は,香港中文大学のWai-ming NG先生による,現代技術の日本研究への影響という話。デジタルヒューマニティーズの話が出てきた。研究不正の話などもあった後で,結語として,ひとたび現代技術というパンドラの箱を開いてしまったら,もう元に戻る道はないというのが印象的だった。
- ここで再び20分の休憩を挟んでラウンドテーブルとなり,17:30に閉会となるはず。フロアからの質問が足りなければ賑やかしに質問でもしようかと思っていたが,必要なかったな。閉会後に再び名谷へ行く予定。
- ラウンドテーブルの最後らへんでフロアから出た質問が,人口学の専門家としては手を挙げてコメントを返したい内容だったが,既に時間が無くて無理だった。
- 名谷に戻ってから自販機のパンを2個食べて暫く仕事。湊川公園廻りの終バス1本前で帰宅したら疲れていて眠ってしまった。
△Read/Write COMMENTS
▼前【1407】(昨日と同じ(2016年9月22日)
) ▲次【1409】(院生指導とか書類仕事とか(2016年9月24日)
) ●Top
Notice to cite or link here | [TOP PAGE]