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【第1594回】 4コマ講義とミーティングの翌日は朝から六甲台で会議をしてから名谷へ(2017年5月25-26日)
- 木曜朝のひよどり台は霧が深く,そのせいかバスが徐行運転だったので三宮着が遅れた。阪急六甲から早足で登坂し,ギリギリ5分前に国際協力研究科の講義室に辿り着いた。蒸し暑い。毎週恒例の4コマ講義だが,午前中は博士後期の院生に発表して貰い,それに質疑をする形で進めた。先週発表されたばかりのWHS2017のデータを使って最近の国際保健のトレンドについて話して貰うという主旨だったが,母子保健にフォーカスした内容だった。けれども,統計データは,所詮自分でじっくり眺めないとわからないので,講義ページからDashboardをリンクし,詳細は各自確かめて欲しいということで話を閉じた。人口学は移動だったのでデータを扱う部分が少なかったが,コロプレス図はコードを更新しておこう(できればデータも追加したい)。医療人類学はPNGの呪術についてdebateしてもらった。双方それなりに面白い主張をしてくれたが,debateの判定は引き分け。神戸駅のKOHYOで食材を買って帰宅。ドラゴンズが惨敗で悲しい。
- 前川喜平前文部科学事務次官が,メディア的においしい登場の仕方をさせられた(?)ことで,共謀罪に関する国連特別報告者からの公開質問の件が報道から飛んでしまったのは大変残念(国際的にはそちらの方が遥かに大きな問題だと思うのだが。ニュースバリューって何なのだろう)。もっとも,発言内容からすれば,書類の出所と性状について前川氏が事実を語っていることは明らか(ただし,内閣府の審議官から総理の意向だと聞いてきた部下を信じると言っているだけなので,もしこの部下が作り話をしたとか審議官の発言を誤解したとかいう言い抜けはできてしまい,首相が関わった証拠にならない。仮に前川氏を証人喚問して同じ内容の証言をしたとしても内閣を追い詰めることができないかもしれない)。高等教育機関の設置に関する行政方針は,悪平等だとしても,これまで客観的基準に基づいて頑固に公平に行われてきたのが,特定の法人だけを根拠無く利するように歪められたことも間違いないと思う。この期に及んで前川氏に対して個人攻撃をしたり論点を逸らすメディア(読売新聞とか)やtwitterアカウントのうち,ハブになっているものを探してみると,500円とか高橋洋一(嘉悦大)が見つかる。岸博幸(慶應大)氏のダイヤモンドオンラインの記事も,客観的取材をした風を装っているが一切エビデンスは出しておらず(名前を確認済,と書いているだけ),しかも岸氏自身リフレ派だし安倍氏の側に立っていることは明らかなので,取材対象者がそんな人に対して正直に答えるはずもなく,彼らのように客観的な風を装ってポジショントークを展開する人には注意すべき。でも,一般の人はわからないだろうなあ。いずれにせよ,現在の安倍政権を支持している人は,頭が悪いか間抜けか,あるいは権力を利用して自らを利することを意図しているかのいずれかであろう。給料が上がっているからとか株価が上がっているからという理由で支持を続けている人は麻薬中毒患者と同じで,気がついたときには引き返せなくなる。構造的に引き返せなくなる分岐点が共謀罪成立なので,これだけは絶対に通してはいけない。第二次世界大戦前の治安維持法と何ら変わるところがない。テロ対策としては何の役にも立たないことはわかりきっていて,「我々」と「彼ら」を分ける戦略はゲリラやテロには無効であることは歴史が証明しているので,その種のまやかしに騙されてはいけない。
- 金曜も朝一番に六甲台で会議だったので三宮経由で登坂。今日は天気が良いので蒸すわけではないが日射しが強く暑かった。現代日本プログラムの会議が終わって名谷へ。
- メールの返事に時間が掛かって仕方ない。次から次へと案件が入ってくる。
- 64ビットでいろいろ高速化されたRであるRevolutionsをMicrosoftが買収して開発を継続しているMicrosoft R Openの3.4.0がリリースされた。リリースノートに書かれているように,Windows版の場合,3.3.3よりインストーラのサイズが小さくなり,複数バージョンの共存ができるようになったのがポイントのようだが,R本体の方が3.4.0では大幅な高速化などわりと大きな変更があり,Microsoft R Openも,基本的には最新版の本体ソースコードに対して拡張を適用する形のようだから,バージョンアップする意味は小さくないと思う。
- 『Rで学ぶ人口分析』の根本を変えるアイディアを思いついた。たぶんこの構想で書かれた人口学の教科書はこれまで無かったはずだし,完成したら役に立つ人は多いと思う。問題は書く時間があるかどうかだ。
- NHKニュースでも報道されていた,日立の新しい乳がん検査デバイスだが,「検診の精度」とか「高精度な検診」という表現は曖昧なので止めた方が良いと思う(量的な情報について検査の精度が上がるという表現とは意味が違う)。このリリースにあるように,これまでのマンモグラフィが「若年層やアジア人に多い高濃度乳腺の場合に、腫瘍の検出感度が低いことが課題」だったという文脈からすると,感度が上がったということだろうか。これまでの検査では,特異度について,比較的高かったものの有病割合が低い年齢層では陽性反応的中率が低いという問題もあったわけだから,特異度への言及も欲しいところ。国立がん研究センターが出している乳がん検診のガイドラインでは,まるで小説の『ハードナッツ!』のように,感度と特異度を包含する検査性能を表す見出し概念として「検査精度」という表現をしているが,それはむしろ検査性能(performance)の方が相応しいと思う。精度(precision)には,疫学・生物統計学では偶然誤差が小さいこと,信頼区間の幅が狭いこと,という明確な意味があるので,二値の判定の精度が上がるとしたらサンプルサイズが大きくなる以外の理由はないはずで,その意味であるためには,百歩譲っても判定不能例が減ることの影響しか考えられない。たぶんそういう意図ではないだろうと思うので,やはり感度と特異度を区別した記述が欲しい。
- 6限にゲストスピーカーによるエスノグラフィと看護研究という講演を聴きに行ったのだけれども,とくに目新しいことはなかった。ただ,文化人類学は客観データを扱わないかのような説明はちょっと違うかなあと思った(看護の質的研究が型にはまりすぎというのは同意するが)。文化人類学の中でも生態人類学は量を扱うし,Conklinの"Hanunoo Agriculture"とかRappaportの"Pigs for the Ancestors"のような,量的データを使った優れたエスノグラフィは多々ある。人だって動物なので,消費に見合うだけの摂取をしなくては生きていけないし,食物獲得のために投入するエネルギー支出よりも食物から得られるエネルギーの方が大きくなくてはいけないという制約条件は,どんな集団にだって存在する。観察事実は大事で,それは量的データでも質的データでも同じである。主観が全てという立場は文化人類学の中でも偏っているので,そういう誤解を与えかねない説明になっていなかったか危惧する。あの場でそんな発言をするのもゲストスピーカーに対して失礼な気がするし,立場の違いだから発言しなかったが。
- 学会で関西に来た妻と待ち合わせをした三宮経由で帰宅。阪神三宮駅の改札付近でradikoを聴いていたら,9回裏二死無走者から大島選手,ビシエド選手,ゲレーロ選手の三者連続ヒットで同点となって思わずガッツポーズをしてしまった。そこで妻が着いたので,続く藤井選手のサヨナラ二塁打は帰宅後にテレビのスポーツニュースで知った。
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