Latest update on 2018年3月7日 (水) at 15:42:47.
【第173回】 国際保健医療学会1日目(2012年11月3日)
- 5:10にAAAの777で起床。昨夜作った肉野菜炒めを温め直してパンに挟んだものと,冷凍ブルーベリーにヨーグルトをかけたものという朝食。美味だったがパン3枚は多すぎた。土曜日だから6:19が始発バスだと思っていたら,祝日なので始発は6:29なのだった。しかし車の流れがスムーズだったので,6:58神戸発の電車には10分以上の余裕をもって間に合った。姫路から岡山までは新幹線で20分であり,岡山駅から岡山大学は徒歩25分なので,ちょうどいいタイミングで着いた。
- 午前中は栄養のシンポジウムを聴いた。興味深い発表が多く,質問したいこともあったが,フロアから質問する時間が限られていたので遠慮した。2日目の自由集会でも栄養の集会があるそうだから,そこで質問しようかと思う。
- 本来なら昼休みのはずの時間にポスターセッションと代議員会が重なっているという,信じられないほどtightなプログラムなので,院生がポスター発表して質疑応答しているときに居合わせられなかったのだが,後で尋ねたら,ゆっくり発表もできて質問もいくつか来たそうで良かった。代議員会で聞く限りでは,jaihは人口学会やオセアニア学会よりは運営に余裕がありそうだった。たぶん代議員や理事の会費を高く設定しているのが効いているのだろう。その反面,学生の会費や大会参加費を非常に安く設定しているので,入り口の敷居が低い。これは会員増のために,非常に上手いやり方であるように思う。来年の大会は沖縄,その次の年は熱帯医学会との合同で東京だそうだ。
- 院生たちと昼食をとってから午後のセッション。国際環境保健というセッションを聞いていたが,色々な意味でかなり風変わりなセッションであった。津田敏秀さんが座長をやっているだけのことはあって,最後にSUPAの事務局長の話をもってくるなど挑発的だったが(国際保健医療協力のメインストリームに喧嘩を売っていると言っても過言ではないくらい),途中から入ったし,聴衆も少なかったし,面倒だったので質問などはしなかった。(追記:SUPAの主張については6年前のメモにも書いたように,Scientificにはあまり根拠がない。EUがpermethrinについて植物の害虫防除用の農薬としての認可を取り消したのは,決してヒトへの毒性が強いからではなく,水生生物への毒性が強いから環境中にばらまくことになるような使用法には不適としただけである。SUPAの方は2006年頃と同じくヒトへの毒性が強いような表現をされていたし,スイス製のPermanetで使われているdeltamethrinに比べて住友化学が開発しタンザニアに技術移転して生産しているオリセットネットに含まれるpermethrinの毒性が殊更強いように思わせるmisleadingな発表だった。permethrinは環境中にばらまかれるわけではないこと,哺乳動物ではほとんど経皮吸収されない点から言っても,impregnated bednetという形で使うのに適した薬剤だと思う。SUPAの方の発表の中で,唯一合理性を感じたのは,オリセットネットをUNICEFが買い上げて無料配布することによって,それまで手工業品としてマーケットで殺虫剤処理していない蚊帳を縫製販売していた10万人の零細業者が失業したという批判であった。もっとも,本当にそれで生計を立てていた人が10万人もいたのか疑問だし,蚊帳専業でもないだろうし,他の衣類や布類を縫製販売に転業できただろうから,そんなに負のインパクトが大きかったとも思えないが。)
- その後は他のセッションが無く,奨励賞講演と大会長講演から公開シンポジウムと出た。大会長講演はさすがだったが,70分の独演会はやりすぎではなかろうか。そこと前後の休み時間を少し削ってでも,ポスターセッションは昼休みでないちゃんとした時間をとって欲しかった。今回唯一の不満。
- 1日目最後の公開シンポジウムは,岡山の国際貢献と題し,『岡山の精神風土〜弱者が存亡の危機に瀕した時に動く』というテーマで行われた。AMDAグループ代表の菅波茂先生が座長。最初のシンポジストは岡山大学名誉教授で特命教授(研究)という肩書きもある岡田茂先生。ミャンマーにおける医療人材育成の話。軍事政権下の2002年に,ミャンマー保健省と岡山大学が大学間協定を結んだという。1990年代から共同研究したり交流はずっと続けてきた。2011年3月に民政移管し,今年は民主化が進んだので,今後は例えばミャンマー人が岡山大学に4年以上留学して学位を取るといったこともできるようになると期待されているとのこと。メディアではいろいろ書かれているが,ミャンマーのことを本当に知って批判している人は少ない。ちゃんと想像して欲しいとのこと。人口6200万人,135の民族が生きる多民族国家。首都はNay-Pyi-Tuw(ネ・ピ・ドー)。苗字は存在しないので,アウンサン・スー・チー女史はあれが全部個人名。1886年から1948年はイギリス統治だが1937年まではインド属州。ビルマ総督が分断統治した。少数民族をキリスト教化して統治者にした。ミャンマーで語り継がれる日本は,イギリスからミャンマーを解放してくれたと思われている。乳児死亡率は54/出生1000,5歳未満死亡は71/1000。日本で見られない疾患が多々ある。岡田先生のグループの活動としては,まず売血を禁止し安全に献血できるようなシステム作りをした。献血車やクリニックも贈呈。
- 2人目のスピーカーは長泉寺住職の宮本龍門さん。長泉寺はjaih-sの学生がたくさん宿泊させて貰っているそうだ。災害支援のために宗教の違いを超えた宗教者がネットワークを作って国際貢献するという活動をしてきた方。設立以来ずっとAMDAとは連携してきたとのこと。東日本大震災のときは発生の翌日AMDAに行って何ができるか相談し,その翌日からいろいろな宗教者が協力して岡山駅前で募金活動をしたり,各宗教合同の慰霊祭をしたりした。岡山では違う宗教者が仲がいいし,AMDAという医療NGOとも仲がいい。これが岡山の精神風土。日本最初の孤児院は岡山。設立者は20歳で洗礼を受けたプロテスタント。つまり宗教者。
- 3人目は岡山大学の心臓血管外科の佐野俊二教授。毎年300万円の私財を投じて東南アジアに心臓手術をしに行っていると紹介された。ブラックジャックがヒーローだったので外科に入ったそうだ。若い頃NZのグリーンレーン病院に留学しSir Brian(死者の心臓血管の移植と低体温手術を発明したことでSirの称号を得た)に師事した。1500例/年の心臓手術。大勢のスタッフがいろいろなアジアの国から来ていた。その後,メルボルンのDr. MEEが助教授として雇用してくれたので,小児心臓外科医として生きていくことを決めた。日本の子供,アジアの子供を救うために岡山に帰り,数年は年間30例くらいだった手術例数が,1993年に教授になってから急に手術例数が増え,日本の国立大学で初めて年間200例を超えた。日本一。NHKプロフェッショナルやTBS情熱大陸にも出た。Sir BrianやDr. MEEから育てて貰った恩返しに,アジアの若い医師を育てようとしているとのこと。
- 最後は総社市長で,さすがに政治家だけあってわかりやすく適度に笑いをとる飽きさせない話術で,AMDAのような国際的な医療支援NGOと市レベルの行政がタッグを組むと如何に効果的に動けるかという話であった。政治家というのは本来こういう志ある人がなるべき職業だと思う。
- 30分ほど予定時間を超過したが,ほとんど席を立つ人がいない公開シンポジウムであり,この手の企画としてこれまで見た中では最高の成功だったと思う。
- 晩飯は院生たちと一緒に岡山駅東口側のVIVREの近くにあるMOBYというメキシコ料理屋で。ビールが充実している店だったのだが,ぼくは例によって350 mLも飲むと十分なので,2杯目はマテ茶にした。料理ではスパイシーなソーセージとトルティーヤが美味であった。22:00までにチェックインしなくてはいけないので,21:45頃に院生たちを残してビジネスイン セントラルという宿へ向かった。一泊3,300円という激安なのだが,シャワーもトイレもちゃんとしていたし,テレビもエアコンもあったので十分なパフォーマンスだったと思う。
△Read/Write COMMENTS
▼前【172】(講義と統計相談の日(2012年11月2日)
) ▲次【174】(国際保健医療学会2日目(2012年11月4日)
) ●Top
Notice to cite or link here | [TOP PAGE]