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【第1325回】 日本人口学会2日目(2016年6月12日)
- 6:00起床。朝食は7:00からなので,それまでメール送受信など。今日もいい天気で,窓からの眺めが美しい。
- 朝食はほぼ昨日と同じメニュー(鮭が白身魚に変わった)だが,和食として一通り揃っていて美味だった。チェックアウトして発表会場へ。午前中は死亡・生命表の自由論題セッションを聞く。以下メモ。
- (1)井川さん(アクチュアリアン)による発表「死亡率の地域差の要因分析に基づくグルーピングと将来推計」(リンク先は要旨。以下同じ)。年金アクチュアリーの計算は賦課方式(国民年金はこっち)でも積み立て方式(企業年金はこっち)でも死亡率の推計は必須。年金のリスク管理のテクニックにおいて死亡率の精緻なモデリングが必要。死亡率の異質性について先行研究は欧米ではLee-Carterモデルとか,日本では石川晃さんの職業別就業者生命表とか配偶関係別生命表とか,石井さんたちのJMDの死因別統計による都道府県の4グループクラスタリングとか。平均寿命の地域差ということで2月に社人研で報告したものとほぼ同内容。失業率や県民所得と平均寿命は男性では相関ある→都市化が遠因としてあり,それが高齢化率を下げると同時に大卒以上割合を上げ,1人当たり県民所得を上げ,失業率と高齢者就業率を下げ,これらが平均寿命や健康寿命を上げるのではないか,というのが井川さんの仮説(叩き台として)。都市化率と平均寿命により,まず都道府県をグルーピング。完全失業率と3大死因死亡率による合成指標と平均寿命を使ってグルーピングも。空間統計的な視点は必要かどうか?→たぶん都道府県レベルでは必要ない。(■手法としてはinstrumental variableを使った回帰とか2SLSとかで行くのか?)構造方程式モデリングのような柔らかいモデリングの方ががちがちの回帰モデルよりよさそう。年齢別移動のデータは不十分。30年住んでいる人が少ない。国連の都市化予想(2014)では,日本は2050年には97%以上都市化すると予想されている。都市化の程度を補正すると平均寿命は0.44年長くなる。労働力人口や老年人口の変化による経済前提の変化によって,モデルの出力も変化。都市化の指標値の基準が3種類あって違うことを考慮した方が面白いのでは? とフロアコメント。なぜ都道府県を分析単位にするのか? というコメントも。東大の空間情報科学センターでやっている都市雇用圏なども考えると面白いというコメントも。
- (2)川口洋さん。明治初期の神奈川縣における天然痘死亡率。新しく見つけた資料により,激減を示したい。日本の総人口は1840年頃までほぼ一定。明治期は増加。1846-1872年(空白の四半世紀)のどこかで人口増加が始まった。1849年夏にインドネシアのバタビアから最初の種痘ワクチンが長崎経由で導入された。当時の手法はArm to Arm Vaccination。導入当初の足柄上・下郡における年平均天然痘死亡率は0.2-7.07パーミル。1875年5月の15歳以下種痘接種率は97%,1882年に80%という数値もある。その結果として同地域の天然痘死亡率は1880-1900には0.01-0.21パーミルに激減。ただし致命割合(=天然痘死亡率/天然痘罹患率)は10-40%であまり変わっていないと仮定。1876年5月18日から天然痘豫防規則(罰則を伴う)ができて種痘が義務化された。「種痘人 當四月廿五年以前 取調書上下書」(25歳以下悉皆)により記録されるようになったので,その記録を「種痘人取調書上帳」としてデータベース化(原資料所持者にwebでの公開許可を求めているところ)。天然痘罹患率・死亡率の計算方法は,天然痘生残率については生残者数/現住人口→やや過少,罹患率についてもやや過少に推定されているはず。だが,おそらく死亡率が激減したことは間違いない。(■WikipediaによるとsmallpoxのCFRはunvaccinatedで30%,vaccinatedで3%とあるけれども,vaccinatedで感染防御できて罹患率が下がることの方がCFR低下よりも死亡率低下への影響が大きいと考えれば,これはこれでいいのか?)
- (3)大津さん(是川さん,石井さん)。日本の長期時系列死因別死亡統計(会場で配布された資料が充実していた)。1950-7はICD6からICDが変わる度に死因分類が変わり,1995年以降はICD10に基づく。ずっと原死因を分析している。ICDの変更による死因別死亡への影響,例えば1993→4と1994→5年の2段階の心不全激減は,長期統計を考えると望ましくない。いくつかの補正方法がある。他の死因に振り分けるスムージングとか。簡単分類で無くもっと細かい死因(4桁分類)レベルでもこういうスムージングをしようというのがMODICOTプロジェクトの目標だった。手順としては,個票を使って,日本の死因分類をICDの元の分類に変換し,対応表(ICD9のこれがICD10のこれに対応しますという表)。1981-1994年の死因別死亡数を,心不全を他のモノに振り分けた。脳血管疾患もICD9によって分類されているデータをICD10で再分類すると脳血管疾患などもスムーズになる。しかし高血圧のように修正しない方がスムーズなものもある。(■慢性疾患はそれでいいかもしれないが,感染症はアウトブレイクがあるから難しいんでは?→肺炎とか気管支炎とかは確かに難しい)質疑:逢見さん:分類変更だけで無く原死因の診断基準の変更の影響もあるのでは?→できるだけ推定して合わせている。(■1960年代に久山町研究がされるまで脳卒中のうち9割が出血と書かれていたという診断自体の誤りがたぶんあったはずだし,戻るほど難しいと思う。→日本は3人でやっているので遡る方はあまりできてない。けれども,診断の誤りもできるだけ補正している。フランスは戦後くらいまで遡っている)
- (4)石井さんのJMD,とくに届出遅れの補正について。JMDはHMDと整合性があるように,日本の生命表を再編成したデータベース。HMDは国際標準の死亡データベースなので,日本のデータをこれに整合させることは重要。HMDの生命表推計手法をレビュー・再現し,さらに日本の死亡状況に適合させるための新たな手法を開発(HMDとの整合性を維持しつつ)。全国版は1947-2014年を公開。各年各歳が最も詳細な表。HMDにも収載されている。都道府県版は1975年以降,5年5歳階級が最も詳細な表。社人研のサイトから利用可能。今後の課題としては,提供年次拡大(全国は戦前,都道府県は1974年以前),コーホート生命表開発(戦前データが当然必要になるので,それとセット),都道府県別詳細表(各年各歳)の開発,死因長期系列の開発(HMDは数年前から数ヶ国について検討されていて,そのうち公開される可能性があるが,JMDでもそれに合わせて公開できるように……連絡調整中?),生命表推計手法の改善。今日の話はとくに全国版について戦前データを入れるために取り組まねばならない,死亡の届出遅れの問題。戦前は前年以前の死亡についての届出が万単位であった。戦後減少し,近年はかなり少ない。生命表改作に関連する先行研究がいろいろある。第5回以降の生命表を基礎データとして利用し,それ以前の生命表を補外で補正するようなことが行われてきた。長期の届出遅れ状況については,1968年以前と1992年以降について可能。第二次大戦期(1944-6年)の届出遅れが多い。1944-6は1960-2000年のデータに指数関数を当てはめて補間。長期遅れパタンは5年以上遅れデータに指数関数を当てはめて減少率を推計。長期データが無い場合は減少率を用いて50年分に振り分け。年齢パタンについては1979年以降について当年度届出に対する届出遅れの割合を年齢別に求めて平均。さらに,届出遅れの年齢分布の効果をみるため,Life Table Entropy(Keyfitz)と届出遅れ率から全年齢に一様に届出遅れが発生した場合の平均寿命の変化を推計。(■スライドに示されたグラフをみると一様? ではないようだが。あと,戦前だと届出漏れとかゼロ歳死亡を死産扱いしていた部分との整合性をとるとか,逆にそれをデータとして使って補正するとかはしないのだろうか?)
- (5)別府さんの傷病と健康からみた通院期間の分析。平均寿命の伸びに対する年齢別死亡率変化の寄与率は,現代日本では男女とも1980年以降は65歳以上が半分以上。健康で生きられることが国民の重大な関心事に。そこで健康の定義が問題になる。高橋・別府(2014, 2015)は患者調査による疾病別受療率を用いて分析。林(2015)は国民生活基礎調査を元に非寝たきり寿命を分析。本研究では主観的健康度にフォーカス。主観的健康度が良いとする人の余命は全体より延びているか? 傷病と主観的健康度について傷病別期間は健康度によってどう違うか? 国民生活基礎調査―健康票は3年ごとに実施されるが,施設入所者や長期入院者が対象外―のデータを用いる。以下すべて2001年から2013年への比較。年齢別通院率は形はあまり変わらない(やや高年齢方向へシフト)。80歳くらいがピークで,それを超えると減る。通院しない人が長生き? 通院期間の動向としては,入院・通院していない状態を健康と定義してSullivan法により健康生命表を作成し,入院も通院もしていない平均年数を平均健康期間,通院をしている平均年数を平均通院期間として算出。平均余命と平均通院期間は男女とも若干伸長。健康期間は若干短縮。通院期間が延びている。入院していない人の主観的健康度(よい〜よくない)別に平均余命の変化をみると,「よい」が減って,「ふつう」が増えている。通院しているかどうかで区分すると,通院ありでは「ふつう」と「あまりよくない」が増加。通院なしでは「よい」が減少,他はあまり変化が見られない。通院期間に占める傷病別割合は,健康状態「よい」「まあよい」は高血圧がトップ。「ふつう」もあまり形は変わらないが,「あまりよくない」「よくない」では腰痛や糖尿病による通院割合が高くなる。(■健康寿命の研究では,よく,国民生活基礎調査でも主観的健康度ではなくて日常生活に制限があるかどうかのデータとか,あるいは介護保険データによる要介護認定2以上の人のデータが使われるけれども,たしかに国民生活基礎調査ではいろいろな健康関連指標を訊いているので,主観的健康度を使った比較もありかと思う。ちなみにこの研究で使われた基準―主観的健康度とか通院とか―で都道府県比較をしたらどうなるのだろう?→なお,昼食時に尋ねてみたら,別府さんご自身は,まだ都道府県別はやっていないとのこと)
- (6)逢見さんの発表。琉球政府生命表の問題点について。戦前の1921-25年の生命表では沖縄の平均寿命が全国より非常に大きい。占領期の1955-1965の生命表でも高い。その後下がったように考えられているが本当にそうか? 水島治夫(1896-1975)の府県別生命表の中で,1921-25の生命表は1960年11月に英語論文として発表されたもの(受理は1959年12月。沖縄については届出不完全でデータが信頼できないから議論から除外すると書かれている)。1952年の論文では1926-30からと書かれているが,1954の論文では1921-25からと書かれている。1939年の論文では沖縄の乳児死亡が低いデータについて信頼できないと書かれている。しかし1959刊の第1回琉球政府生命表では1921-25のデータが入っていて,沖縄タイムスの記事にも含まれている(未発表のはずなのに)。米軍と琉球政府は沖縄の寿命の高さを戦後の延びであるとしつつ,1921-25年の数値を出して沖縄が伝統的に長寿だったとも書いている。しかし厚労省の前田専門官を呼んで1960年生命表を作ろうとしたときは,前田専門官により,新生児死亡・乳児死亡の届出漏れが多い(死産や新生児死亡の場合はまったく無かったことにしてしまうのが普通だった→■ヤノマミのように天に還したのだろうか?)と評価されている。1965年の琉球政府の簡易生命表については,前田専門官は届出漏れの影響を指摘すると同時に,乳児死亡が本土と同じだと仮定しても平均寿命は沖縄の方が高いという指摘もしている。しかし実際には沖縄の乳児死亡は本土より高いだろうから,もっと低くなるはずとも書いている。1996年に発表された崎原生命表の考察では,復帰後に乳児死亡が増えたと書かれているが,逢見さんが生後0,1w,4w,6m,1yと細かく死亡率をみたところ,復帰前1965-72はそこの死亡が異常に低く,復帰後1973-79は本土と同じパタンになっただけなので,おそらく復帰前は届出漏れが大きかったと考えられる。水島が信じていなかった表の数字が占領下の米軍や復帰後の非専門家の何らかの意図をもったと思われる引用によって一人歩きした可能性が高い(昭和55, 60年には男女とも全国一位の長寿になったので「伝統的に長寿」イメージが定着した→食生活の乱れなどで2000年から急落,というストーリー),というのが結論。
- 午後は自由論題出生セッションを2題(とくに2題目の小西さんの発表の後半は日本人女性のfecundabilityについての前向きコホート研究の中間報告で,大変興味深かった。研究完了が待たれる)聞いてから萩原さんの発表(うーん,人口学会ではギデラのイントロとしては,あんなに現地写真を出すよりは,伝統的婚姻規制とか,それが崩れてきている話とか,かつては子ども数ゼロのカップルが多かった話とか,村による人口増加率の違いと人口移動についての1980年代の大塚さんの研究をを紹介した方が,系譜人口学の必要性を提示するには良かったのではないかなあ……結果についてもまだ解析途中とはいえ,もうちょっと見せ方があったんじゃなかろうか)に行き,その後はセクシャルマイノリティの人口学という意欲的なテーマセッションの後半を聞いたが,まだ研究分野として手付かず過ぎてよくわからない感じだった(フロアセッションで三橋順子さんがトランスジェンダーの人口についてご自身のブログに書かれている内容を説明されていたが,途上国の小集団人口学以上にラフな推計しかできない,それくらいデータを取るのが難しい感じだった)。PAAでは毎年2,3題の発表があるということだったが,米国ではどういう研究がされているのかをレビューして貰ったら,少し感じがわかったかもしれない。それとも主旨説明とかでそういう話はあったのだろうか?
- というわけで2日間にわたる人口学会は終了。南柏駅まで歩いて,松戸まで各駅停車,そこから快速で上野へ。山手線で浜松町に出てモノレールで羽田空港に着いたのが19:00過ぎだった。SkyMarkにチェックインしてから2階のそば屋に入って肉そばとミニ天丼のセットを食べ(ボリュームがあってなかなか美味だった),ほぼ定刻のフライトで神戸空港に着いたら強い雨が降っていたが,貿易センター前から終バスで帰宅。疲れた。
- たぶん風呂釜の中が乾いてくれたのか,種火着火に成功したのでシャワーを浴びることができて良かった。
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