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19:30にJALのカウンター前で待ち合わせなので,19:00少し前に空港第2ビルに着いた成田エクスプレス45号という選択は少し早かったかもしれない。でも,多少は買い物も必要だし,ちょうどいいかも。
成田エクスプレスの改札を出てすぐのところにパスポートをチェックするゲートがある。まあ大した手間でもないけれども,いつも無駄なんじゃないかと思う。そこを抜けると,すぐに旅行用品の売店がある。買い物というのは,ここで予定していて,抗菌目薬とトランクにぐるっと回す帯状の器具(どういうわけだか名前が出てこない。健忘症か?)とメモ帳と強力LEDライトを買ったまでは予定通りだった。しかしこういう店には物欲を煽るモノがいくつもあって,これまでにも買いたかったミニ三脚と,外貨を入れるための財布を(いや,別に普通の財布だが,日本円を入れてある財布と区別する必要があるので)買ってしまったのだった。まあこれくらいならいいか。
JALのカウンタに行く前に,3階に上がったところでK先生にお会いした。これまで2つの大学を定年退職されたあと,辞めるつもりでいたのに引き続き「こきつかわれている」とおっしゃるのだが,まだまだ矍鑠としていて,とても引退されるようなお年には見えない。もちろん,ぼくらの調査のマラリア検査はひとえにK先生の確かな顕微鏡検査技術に支えられているので,引退されていただいては困るのだし。既に近くのカウンタでJL761の受付カウンタを尋ねてくださっていて,PカウンタがJALの受付だと言われるので,その近くまで行って待っていたら,ほどなくO先生がいらした。O先生は都内の研究所に所属されていて,主にマラリアと住血吸虫の対策のため,世界中を飛び回っていらっしゃる方である。O先生が到着されたとき,ぼくは,着てきたジャンバーをトランクにしまいこむのに悪戦苦闘していたのだが,K先生とO先生にも手伝っていただいて,やっとトランクの蓋を閉めることができた頃には,もう一人のメンバーである東大人類生態の後輩F君もやってきた。F君はいくら暖かい日だったといっても流石にそれはないだろうというくらいの軽装だったので驚いた。既にソロモン化しているのか? 正しい態度だと思うが。
さて4人揃ったのでカウンターに向かおうとしたところ,JALの係員がDの機械に行ってくださいと声を掛けてきた。自動チェックイン機でまずは受け付けるということらしい。パスポートは読み取ってくれたのだが,ブリスベン経由でホニアラに向かうことと,荷物はホニアラまでスルーにして欲しいことを係員に告げたら,結局それはチェックイン機ではできないので,カウンターに行くように言われた。まあ,ブリスベンまでしか行かない客はチェックイン機でことが済むわけで,その分カウンターが空いていたのは良かった。
カウンターに行ったら順調だったかというと,そうでもなかった。中でも驚いたのはオーストラリアの法律で32kgを超える荷物を労働者に運ばせることが禁じられているとのことで,33.4 kgあったトランクの中身を減らさねばならなくなったことである。せっかくさっき苦労して詰めたのに,水の泡だ。紙類を1つを手荷物の方に移し,もう1束の紙をF君に預けて,再び苦労してトランクの蓋を閉め,計量したら31.7 kgであった。われながら絶妙な目分量だ。これで漸くチェックイン手続きが進んだ。
ボーディングまでは暫く時間があったので,二人して小腹が空いているF君と一緒に新しくできた回転寿司に行ってみた。これが当たりで,量も多すぎず,味も悪くなかった。狭い店なだけに,回っているものはそれほど多くなくて,大抵の場合1品ずつ注文して握ってもらえるのだ。アジ,エンガワ,ブリ,もう1品何かを食べたが,とくにアジが美味だった。胃にもたれることもないし,寿司は偉大な発明品だ。出発時刻が近づいたので回転寿司を出て94番ゲートに向かったところ(AKIHABARAという電飾がかかった店の電気用品売り場で土産物にするというMP3プレーヤーを選んでいたF君を残して先に行ったのだが),異様に混んでいた。機材到着が遅れているとかいうことで搭乗手続き開始が30分ほど遅れたが,ボーディングはとくに問題なく終わった。機内映画は低調だったが,レッドクリフIだけ見た。諸葛亮孔明と周兪の描かれ方が異様に格好よかった。とくに,Jazzのフリーセッションみたいな箏を通した腹の探り合いの緊張感が素晴らしかった。飛行時間が短かったので,ブリスベン着時はほぼ予定通りだったが,食事とかいろいろ起こされたので,あまり眠れなかったのが少々痛い。
トランジットは最近の例にもれず普通のトランジットカウンターでは扱ってくれなくて,直接ゲートに行くようにいわれた。ゲート76Bというのは新しく延長されたウィングにあって,ともかく果てしなく遠かった。しかも,ゲートで確認したところ,Eチケットでtransitする人に対してはボーディングパスが準備されていなかった上,改めて発行し直すのに異常に時間が掛かり(この話には,結局は上の階のオフィスでの発行が間に合わず,手書きのボーディングパスを手渡されたという落ちもついた),40分ほど離陸が遅れた。いつもながら一筋縄ではいかないのがソロモン行きである。たしかナウルの航空会社だったはずのOur Airlinesの運行だったが,まるで塗装の途中なんじゃないかと思われるような真っ白な機体の飛行機で飛んだのは初めてだった。昼食はローストビーフがメインだったが,わりと美味だった。例によってスウィートが付いてきたが,今回のチョコレートムースはそれほどベタ甘ではなかったのは評価できる。
タクシー2台に分乗して(ここのタクシー代は乗る前に交渉して決まるのだが来るたびに値上がりしていて,今回は70 SBDが協定料金だと言われた。ホテルの送迎バスなら1人50 SBDだということを知っていて,ホテルのバスより安いだろうとか言ってくるのだ)メンダナホテルに着いて,チェックインは無事に済み,明日8時にロビー集合と決めて,各々の部屋に分かれた。荷物を置いて一息ついてから,まずATMに行って現金を引き出そうと思ったのだが,ここでまたアクシデントが起こった。WestpacもANZ BankもATMが使えない,つまり,まったく何も反応しないのである。暫くカードを挿そうと無駄な努力をしていたら,ANZ Bankの前に屯していた若い男が,気の毒そうに"Sorry, no power."というので謎が解けた。日曜の午後だからかもしれないが,どうやらATMに通電していないらしいのである。仕方ないのでホテルに戻って,記録を打ち始めた。
途中,電話がかかってきた。ぼくが初めてソロモン諸島に入ったときのチームリーダーだったI先生で,韓国の先生と一緒に,ホテルのロビーまで来ているという。そこで,部屋に来ていただいて,少し打ち合わせをした。先週届いたメールでわかっていたが,I先生たちは1週間かけてマライタ島の調査を済ませ,ガダルカナルの村へ通い始めたところだそうで,月曜火曜でタラウラへ行って,水曜からバンバラに行きたいという。ICTでマラリアチェックをしているそうで,だいたい10%くらいの陽性割合だがマライタ島のF村はもっと多いそうだ。バンバラは,まず久しぶりに訪問して様子をみたいということだが,できれば同じICTでのチェックをしたいとのこと。指先穿刺の血を多目的に使うので,足りればいいんだが,どうかなあ。まあ,こちらの計画に支障を来たさない範囲内でやっていただこう。パシフィックカジノホテルに泊まっていて,1泊340 SBDだそうだ。メンダナの半額くらいか。ホテルでレンタカーを借りていて,400 SBD/日で,デポジットもクレジットカードを預けることで済ませているそうだ。ぼくらも研究所の研究協力窓口であるFさんに頼んでパシフィックカジノホテルのレンタカーサービスで600 SBD/日,デポジット9000 SBDのTOYOTAハイラックスを借りることになっているのだが,彼女の顔を立てるためには言い値で契約してやった方がいいのかもしれないし,どうすべきか難しいところだ。
19:00から晩飯のため待ち合わせ。I先生たちも日本料理の方に来るという話だったが,我々は日本から来たばかりなので,何もメンダナの日本料理を食べる必要もなかろう。ともかく相談してからだな。データ入力もしたいし,コピーもしたいし,ネットにもつなぎたいし,やることがいろいろあるなあ。
結局,洋食の方に行ったのだが,偶然にも注文したのは3人とも(注:K先生はホテルでは食事はされない)日本料理となった。O先生が鉄板焼き定食,F君が生姜焼き定食,ぼくが焼肉定食だったのだが,なぜかF君のだけが届いたとき冷めていた。これが20 SBD分のサービスの差なのだろう。しかし味噌汁まで冷めていたのはひどい。どうもメンダナのレストランは年々ダメになるような気がする。熱々で届けば,決して味は悪くないのだが。
部屋に戻り,0:00頃まで書類作りをしてから眠ったような気がする。疲れた。
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