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起きたのは6:00頃だったか,昨日引き出せなかったので現金がないし,とくに空腹でもないので,朝飯抜きで書類作りをしていて,8:00近くなったのでロビーに出た。タクシーを呼んでもらって,とりあえず4人でSIMTRIへ向かった。まだFさんが来ていないので,Fさんの部下だという(つまりSIMTRIの中では最も下っ端といえる)N君に言って図書室に入れてもらって待機となった。暫く待っていたがFさんが来そうにないので,JICAのプロジェクトの部屋に行ってみたら,今回Fさんに連絡を取るために世話になった調整員のKさんとか,そのプロジェクトリーダーのK先生がいらした。日本から持ってきた沈思黙考という焼酎をプレゼントして,暫く話した。SIMTRIの所長が不透明な経理が問題になって停職中のまま何ヶ月にもなっているのだが,どうなっているのか,こちらにいてもわからないらしい。ともかく早く処分が決まってくれないと,復職するにせよ,所長交代となるにせよ,ちゃんと権限をもった人がSIMTRIにいてくれないと困ってしまう。話の途中からI先生と韓国からのC先生も現れて,狭い部屋が人でいっぱいになったので,適当に退出した。
図書室に戻ってから,さらに1時間待って,漸くFさんが登場した。なんと子連れであった。話をきくと,息子さんが腹痛で学校を休んだため,連れてこなくてはならなくなって時間がかかったとのこと。それならそうと連絡くらいしてほしいものだが,別にきっちりと約束があったわけではないので,まあ仕方ないか。彼女は家に電話がなく,携帯電話ももっていないらしい。運転手やマラリアテクニシャンも大抵携帯をもっているのに,やはり子供がいると金がかかるということだろうか。まあ,オーストラリアに出張しているという旦那が携帯をもっているのかもしれないが。
息子さんをSIMTRIの所長室に残して,図書室でFさんとブリーフィングをしたところ,調査許可に関しては日本から送った書類によって前回の合意文書のフォローアップということが認められたので,新たに委員会を開く必要はないとのことであった。所長が停職中であってもとくに問題はないそうだ。I先生と韓国のC先生がフィールドに行くのにA氏(テクニシャン兼ドライバーでもあり,しかも調査地近くの村出身)を連れて行ってしまうので,別のドライバーを探さなくてはならないが,とりあえず今日は自分とF君が村に入れればいいので,夕方になっても問題はない。午前中は日本円をソロモンドルに替えるという仕事もあるし,買い物も必要なので,15:00にレンタカーをピックアップしてホテルに迎えに来てもらうことになった。支払いは,それより前にレンタカー屋に行って済ませておく必要があるそうなので,銀行で金を作ってからバスで行くことにした。
タクシーを拾ってホテルに戻り,それぞれの予定を開始した。F君はウェスタン州で今回とは別のプロジェクトをハワイ大学の先生と始めるために別途調査許可を得る準備を進めていて,その打ち合わせで保健省で途中下車した。ぼくは一旦ホテルに荷物を置いてから銀行に行って,サクッと換金を済ませる予定だった。
しかし今回の旅は何か悪いモノに捕り憑かれているのか,サクッと物事は進まないのだった。まずいつも使うANZ Bankに行って,自動受付機から順番待ちカードを引いたら,220番台だったのだ。処理状況としてはまだ80番台だったので,100人以上が待っているという,恐ろしい事態である。そこで先にATMで金を引き出して買い物を済ませようと思ったのだが,ANZ Bankの前のATMはANZ Bankのカード以外だと残高照会しかできず,Westpacの前のATMで順番を待ってやっと使えたと思ったら,今度は"PROCESSOR DOWN"とか表示されてCITICARDが使えないのだ。仕方なくWestpacの中に入ってInternationalのところで順番を待ち(ANZ Bankはすべての受付が一本化されていて8つの窓口があるというスタイルだが,Westpacは普通の窓口4つくらいと別にInternationalがあるのだ。どちらの銀行もVIPはまた別なのだが),漸く順番が来たところで,恐ろしい事実が判明した。なんと,こんなことはこれまで一度もなかったのだが,日本円の現金をソロモンドル(SBD)に替えることができないのであった。レートが出ていないということだ。急激な円高のせいらしい。日本円でもTCなら,売買とも1 SBD=11円台なので,こんなことならTCを作っておくんだったと後悔したが,後の祭りだ。ANZ Bankに戻ってみると,まだ100番くらいだったので,次の銀行に向かった。先頃Solomon Islands Banking Corporationを経営統合だか併合だかして意気軒昂なはずのBank of South Pacificである。ここは為替レートは出ていたが,TCが売買とも1 SBD=11円台なのに対して,現金は1 SBD=16円台後半という法外なものだったので,最後の手段に残しておくことにして,いったんホテルに戻った。そこでふと思いついて,ホテルのフロントに聞いてみたら,1円が0.066 SBDというレートで換金してくれることがわかった。これだと1 SBD=15.15円くらいなので,Bank of South Pacificよりは随分レートがいい。そこで,一応ANZ Bankの順番が来るまで待ってから,ダメだったらホテルで換金することに決めた。
それにしても順番待ちがかなりあったので,一旦ホテルの部屋に戻ってコンピュータ仕事を30分ほどやってから出直した。12:30に食事にしようとO先生とF君と約束したので,それまでに銀行の順番待ちが終わって欲しいところだ。3度目のANZ Bankで待っていたら,不意に後ろから声をかけられた。え,と思って振り返ったら,T嬢という調査地の村の娘が立っていた。前の晩からホニアラに出てきていて,今日村に帰るのだという。T嬢は高校まで出ていて,たまにホニアラでアルバイトをしているらしい。60代の両親と同居していて,基本的には村で家事手伝いをしているが,彼女くらいの年齢の娘が村にいると,親戚の子供の面倒をみたり,食事を作ったり,畑仕事をしたりと一日中とても忙しく働かねばならないので,たぶん町に出ている方が楽だろうと思う。最近どうしてる? と尋ねてみると,毎週水曜から金曜までホニアラのUniversity of South Pacificの分校がやっているコンピュータのAdvanced Courseを受けに来ているという返事で驚いたが,Advancedといっても中身はExcelとかWordの入門編らしかった。まあ,通常の事務仕事ならそれで十分なのだろう。
ぼくらも3時にホテルを出てハイラックスで村に行くつもりだから,一緒に行かない? と誘ったのだが,トラックで帰るからいいという遠慮深さは何なのだろう。でも,今日行くのは自分とF君の2人だけだからスペースはたくさんあるよ,と重ねて誘ったら,じゃあ行くかも,と言って去っていったT嬢であった。それからさらに15分ほど待って,漸く順番が来た。
係の男性に日本円をソロモンドルに換金したいんだけど,と訊くと,ちょっとお待ちを,と言ってレートを調べてくれたのだが,沈痛そうな顔を作って為替レート表を見せながら,サー,残念ですが当行では本日は日本円の現金は買いませんと言うのであった。Westpacでダメだったので覚悟はしていたのだが,残念だ。しかし,こちらもタダで引き下がるわけにはいかない。ホテルで換金するとなると,群大の事務にどうして銀行で替えなかったかの理由を証明する必要が出てくるかもしれないからである。そこで,この為替レート表のコピーが欲しいと頼んで,コピーを貰った。銀行にとっては一銭の得にもならないので嫌そうな顔をしていたが,コピーしてくれて助かった。
ちょうど12:30を過ぎてしまったのでホテルに駆け戻り,ロビーで待っていたO先生とF君に遅れを詫び,カウンターで10万円を換金して為替レート表を貰い(これも事務に提出するためだ,もちろん),上海楼という中華レストランで昼食にした。すぐ隣にGarden Seafoodという別の中華料理屋もあるのだが,我々の間では上海楼の方が絶対にうまいということで意見が一致している。このときは種類の違う炒飯を2皿頼んで3人でシェアしたが,今回も最後の慰労会はここでやろうと思わせるくらいには美味だった。食後,バスに乗ってレンタカー屋に向かった。Pacific Casino Hotelの中にあるのでバスを降りるのは容易い。最初は月曜は往復だけだから4時間だけ時間で借り,水曜の朝から土曜の夕方まで4日間借りようと思っていたのだが,レンタカー屋のお兄ちゃんが24時間で600 SBD,1時間で120 SBDだから,その借り方だと2,880 SBDかかるが,今から土曜の夕方まで通しで借りても3,000 SBDしかかからないから,そっちが得じゃないか? と何度も言う。明日は使わないから120 SBDの違いだって無駄な金を払う気はない,と最初は言ったのだが,途中で気が変わって通しで借りることにした。つまり,明日も借りておけばO先生たちがタラウラとか別の場所で補足的な調査をするにも使えるわけだし,何よりも今日4時間で帰れる保障がないということに気付いたからである。後になって考えてみれば,この選択は賢明であった。懸案だった9,000 SBDのデポジットについては,I先生のようにクレジットカードを預けるまでしなくても,クレジットカードでpreauthorisationというサービスを使うと,実際の請求をする寸前の状態にしておけて,車が無事に戻れば請求はしないし,車が戻ってこなかったり損傷した場合は自動的に引き落とすということがわかって,そうした。普通にクレジットカードを使う場合のようにサインまでするのだが,カードを預けてしまうよりは安全だろう。土曜日に9,000 SBDの現金が戻ってきても困るし,そもそもが銀行で換金できなかったのでI先生方式しかないかと半ば覚悟を決めていたので,このやり方を提案して貰えたのは助かった。ピジンで交渉したおかげか?
ホテルへ戻る途中,WINGSというスーパーマーケットでコーヒーを買った。今回は100%ブラジル産RIVA GOLDという美味そうなやつを買ってみた。72.5 SBDもしたが,これだけは気合いを保つ命綱なのでケチらないのだ。戻って20分もすると15:00になってしまったので,荷物をまとめてロビーに行き,チェックアウトした。
さてしかし。待てど暮らせどFさんと運転手氏は来ないのである。一緒に来たら? と誘ったT嬢も来なかったが,たぶん彼女はトラックに乗ったのだろうから問題はない。しかしソロモン人には珍しいほど仕事熱心なFさんが来ないのはおかしい。月曜日だというのに,どうしたことだろうと思いつつ,我々は待つしかないのだった。待ちくたびれた16:00過ぎになって,漸くハイラックスがやってきた。事情を尋ねると,運転手が見つからなかったの,ごめんなさい,という。頼んでおいた運転手がどこかに行ってしまって,急に代わりの人を探していたので遅くなったらしい。FさんはSIMTRIの研究協力部門では下から2番目の地位にいる下っ端なので権威がなく,他のセクションの人は言うことをきいてくれないし,かといって彼女の直属の上司は5月まで出張中だし,その上は不適切経理問題で停職中のB氏なので,他に研究協力部門の人はいないわけで,この状況はいかんともしがたい。保健省に外圧をかけてFさんに偉くなってもらいたいところだ。後日提出するレポートで指摘しておくか。
漸く出発したハイラックスはホニアラ市内こそ普通に走っていたが,郊外に出ると無茶苦茶なスピードで飛ばすのだった。運転手のE氏は,昔はSIMTRIでバリバリ働いていたらしく,舟で調査に出たときにエンジンが落ちて,ワニで一杯の海にダイブした武勇伝などを語ってくれるのだが,こちらは脱輪とか人身事故とかを起こすんじゃないかと気が気ではなかった。高速走行はベランデ川を渡って左折し,村に入って行くガタガタ道に入っても続いた。もちろん舗装道路ほどではないが,水溜りにもバッシャーンと盛大な水しぶきをあげて突っ込むので怖かった。しかし何とか村に辿り着いてほっとした。
ところが,外に出てふと車を見ると前輪の片方がぺちゃんこになっている。パンクであった。しかも悪いことに,このレンタカーにはスペアタイヤが積まれていないのだった。最悪である。もちろん,村にはハイラックスなどないので,村でスペアタイヤを入手することは不可能である。
どうしたものかと悩んでいたら,村のリーダー(伝統的なチーフとは違って比較的若く,行政区分上の村長的な役割を果たしている)が,家にポンプがあるから持ってきてやるという。タイヤもないのにポンプ? 何なのだろう? と思って待っていたら,何と自転車用の空気入れなのだった。これじゃあ無理だよ,と思ったのだが,ジャッキを入れて車を持ち上げてから,タイヤのバルブを開けて,この空気入れをつないで空気を入れだしたのだ。へ? と思ってみていたら,不思議なことにタイヤが膨らんでいくのだった。凄い。しかしもちろん,この程度の圧では走行できないし,何よりもポンプを外した途端にバルブがタイヤの中に吸い込まれてしまって,どうしようもなくなってしまったのだった。
空はだんだん暗くなってくる。Fさんは腹痛の息子をお母さんに預けたままだというし,E氏は明日帰国するJICAチームのリーダーK先生のビザが延長されたパスポートを受け取りに行くために明日の朝一番でイミグレに行かなくてはならないという。二人とも,できれば今夜中にホニアラに帰り着きたいのである。しかしE氏が持っていた携帯電話も圏外でつながらないため,ホニアラに応援要請もできない。徒歩15分の村からホニアラに定期的に運行しているバスもトラックも最終便が終わってしまった。空と同じくだんだん暗くなっていく我々の心だった。
しかしそこに,バイクの轟音と共に救いの神が現れた。3年前の調査でアシスタント的なことをしてもらっていて,その後オイルパームプランテーションのマネージャーになったので村にはずっといなくて,ちょうど今日から初めての休みを貰えたので,村に帰ってきて,ずっと放っておいた家の新築作業の続きをするのだというJ氏であった。今日から暫く,毎日午前中はバイクで町に行き,午後は村に帰ってくるのだという。まるで下手な小説のようなご都合主義的偶然だが,事実である。E氏の携帯電話をJ氏に預けて,SIMTRIスタッフの誰か(車を出してスペアタイヤを持ってこられる人)への連絡をお願いした。バイクでなら近くで車を持っている人に交渉して車を出してもらうこともできるかもしれない,400~500 SBDかかるかもしれないが,大丈夫か? というので,SIMTRIからの応援がダメだった場合はそれでもいいと答えた。背に腹は変えられない。
この村出身の牧師でありJ氏の弟でもあるC氏の留守宅(セントラル州に赴任中だが,仮に在宅していても間借りをさせてもらえるので,ぼくらの定宿にしている)に荷物を入れ,ぼくとF君が眠るための蚊帳を準備してもらってからJ氏を待っていると,夕食が出てきた。WINGSで買ったブラジルコーヒーは,想像を超えた美味さだった。下手なペーパードリップに勝っているかもしれない。またこれが,各種イモ類に合うのだ。キャッサバ(写真でいうと黄色くて細長いやつ)は太いスジがあって,あんまり好きではないんだが,コーヒーを飲みながらだったら何とかいけるし,クマラ(サツマイモ)は甘くてほくほくしていて,もう何も言うことはない。至福であった。たしかFさんとE氏も一緒に食べたはずで,E氏の武勇伝の続きを聞いたりと談笑しながらだったような気がするので,我々にも楽観的なムードが漂っていたのであった。
やがてJ氏が戻ってきて言うことには,SIMTRIの偉い人には連絡がつかなかったが(と言ったって,ここに来る途中で酒屋の前にいるのを見かけたLB氏のことなので,たぶんダメだろうと思っていたが),A氏への連絡がついたので,何とかなるだろうということだった。前述の通り,A氏は昼間はI先生のテクニシャン兼ドライバーをしているが,この近所の村の出身で,凄く頼りになる人なのだ。ほっとした空気が漂いつつも,22:30頃にスペアタイヤを積んだA氏が運転するハイラックスが着くまでは,とても待ち長かった。けれども今回も最後は(いや,調査自体は始まる前だが)救われて良かった。ハイラックスを見送ると23:30近かったので,この日はもう眠ることにした。曇っていて,前途多難を感じさせる夜であった。
それにしても,さすがにパンクはこちらの責任にはならないだろうな?
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