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2018年2月〜3月のラオス往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2018. Last Update on 2018年3月7日 (水) at 20:03:45.

【第2日目】 ムアンゴイへ(2018年2月28日)

6:00にPCのアラームを設定していたのだが,なぜか4:00に鳴ってしまった。PCのタイムゾーン設定をUTC+7にしたのだが,アラームはUTC+9のJSTで認識されていたらしい。T-Clock Redux x64のアラームはスリープから復帰したときに設定時刻を過ぎていると鳴り出すという恐ろしい仕様であることから考えると,リアルタイムで時計を見ているのではなく,鳴ったかどうかのフラグがあって,現在時刻が設定時刻を過ぎていてフラグが立っていたら鳴るということではないかと思っていたが,もしかすると時刻を比較するのではなく,何時間後という設定がされてしまうのかもしれない。わからないが。

二度寝してスマホのアラームで起きるつもりだったが,5:30に目が覚めてしまったので,そのまま起き上がった。スマホのアラームは正しく6:00に鳴った。外はまだ真っ暗だ。

ルアンパバーンの朝メール送受信をして,ここまでの記録をアップデートしたりしているうちに6:40になり,漸く外が明るくなってきた。ちょっと近所を散歩してから朝食に行こうかと思う。

近所に喫茶店と航空会社のオフィスらしきものがあり,そこにも24時間稼働しているATMがあったが,PRESTIAは使えなかった(認識はされるが引き出すところで拒否される)。たぶんマスターカードでキャッシングはできそうだったが。地元の人が利用するらしいオープンなレストランがあったのは,さすがに東南アジアだと思った。標識によると800メートルほど離れたところで手芸品のナイトマーケットがあるらしかったが,昨夜行かなかったので,もし行けるとしたら帰国の日か。

元神戸大学の人口地理学者で人口学会で昔から知っている高橋先生と,名古屋大の院生も交えた5人で集合して朝食。このホテルのレストランの朝食はバイキング形式で,炊飯器で炊いたご飯にカレーを掛け,それとは別に野菜がたくさん入った焼きそばとかベーコンとか,さらに卵料理を1品注文できるのでベジタブルオムレツを頼んだ。フルーツも5種類提供されていたがバナナを貰い,後はオレンジジュースとコーヒーまでガッツリ食べた。名古屋大の院生が体調不良だそうで心配だが,ぼくを含めた他の4人は元気で,いろいろ情報交換した。8:00頃に迎えの車が来るとのことで,それまでに荷物をまとめて集合となった。

ノンキアウ近くに郡病院があった

集合後,運転手付きで借り上げたミニバンに乗ってノンキアウに向かった。途中二度ほどトイレ休憩を挟んで無事到着。ノンキアウに近づいたところで,右手に病院が見えた(上写真)。Ngoy District Hospitalと書かれていた。最初のトイレ休憩の時にカウンターパートと出会って挨拶したので,ノンキアウでは昼食を摂りながら大変強い酒を酌み交わすことになった。餅米を麹で発酵させた醸造酒を蒸留したものにハーブを入れてエキスが溶け出した薬酒だという(下写真)。儀礼としてお猪口くらいの容器に2杯は飲み干さねばならないという。で,結局6杯(途中からお猪口半分くらいにして貰ったが)飲まされたので,すっかり酔ってしまった。食事は辛かったが美味で満足した。餅米のせいろ蒸しのような主食が素晴らしい。

ハーブ入りラオラオ

大変困ったことに,ノンキアウではBeelineのSIMカードは圏外であることが判明した。せっかく容量無制限の契約をしたのに台無しだ。ノンキアウで圏外ならムアンゴイやその先の村では絶対に圏外だろうという話なので,丹羽さんともどもBeelineのSIMカードを外し,近所の店で改めてUnitelのSIMカードを買うしかなかった。データ通信専用のSIMカードが10000kip(200 MB/30 daysの通信までフリー),50000kip分の通信料をリチャージして,合計60000kipかかった。空港の店と違って設定はしてくれなかったが,西本さんに教えていただけたので問題なかった。121に電話して回線をアクティベートしてからリチャージ用のカードのスクラッチを削って出てきた番号を登録し(*121*番号#),さらに西本さんに教えていただいた通りの通話プラン(50000 kipで5120 MB/30 days)にアプライするため*209*24#に電話し,無事にデータ通信が5 GBまでできるようになった。足りなくなったら同様の手順でカードを買ってリチャージすれば良い。*122#で通話残高が確認できるが,99 kipだけ残っていた。99 kipでどれくらいの通話ができるかしらないが,何かあったら西本さんに助けを求めるくらいのことはできそう。

水牛ボート乗り場では長い階段を降りる必要があったので,こんなに酔っていてはスーツケースを落とさないか心配だなあと思っていたが,たぶんボート乗り場側の誰かが運んでくれた。ボート自体は屋根付きで2列の座席がしつらえてある12人乗り? のもので,わりと立派だった。一番前の席が水は撥ねかかるけれども良い写真がとれると言われたので,そこに座って写真をtweetしたが,海と違ってほとんど波も無いので,実は水飛沫は気にならないくらいしか掛からなかった。ボートがムアンゴイにかなり近づいた頃に,川岸の砂地にたくさんの水牛がいて,なかなかきれいな写真が撮れた。

ムアンゴイのボート乗り場から上までの階段は,自力でスーツケースを運ばねばならなかった。まだ酔いが残っているのでちょっと辛かった。ゲストハウスまではちょっと距離があるので荷物は後でトラクターで運んでくれるという話になり,道路工事中で凄まじい悪路になっているところを歩いて行った。外国人旅行者がとても多く,ここは観光地なのだなあと実感した。しかし良い意味で商業主義にそれほど毒されておらず,土産物屋などはわりと控えめだし物価も安い。ゲストハウスは温水シャワーもあるし電源もとれるのに1泊11万kipだそうだ(後でわかったが,温水シャワーは朝方使うとほとんど水だった。そのせいか知らないが,1泊当たり85000kipしか請求されなかった)。

18:00に再集合してカウンターパートと明日からの調査の打ち合わせをしてから晩飯ということになったので,それまで部屋で少し横になって休んだ後,調査対象村落の資料をプリントアウトしたり,持ってきた調査用具のチェックをしたりして過ごした。こういう環境でAXON MINIでJazzを流しながら仕事をしていると捗る気がする。

打ち合わせはボート乗り場近くのレストランでということになったので,再び悪路を歩いて行った。陽が落ちると寒いくらいだ。AccuWeatherで確かめたら気温25℃となっていた。打ち合わせが2時間弱,その後ラオビールを飲み,晩飯を食べながらいろいろな話。フライドフィッシュや野菜と卵を辛く味付けて炒めたものなどが美味かった。高橋先生から五十嵐先生の話が出たので,ご遺稿が出版されたという話をしたら,ご逝去されたこと自体ご存じなかったようで,大変驚いていらした。ゲストハウスに戻ったのは21:30頃だったと思うが,酔っていたし,スマホを充電しただけでそのまま眠ってしまった。

フライドフィッシュ野菜と卵を辛く味付けて炒めたもの

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