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鐵人三國誌・アーカイヴ

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目次

【第55回】 家でデータ入力(2019年3月10日)

ラオスの川海苔

6:15起床。

昨日のパーティのときにラオスからの留学生から貰った川海苔と乾燥マンゴーシートが美味い。村で食べていた川海苔より柔らかく,しかもガーリックスライスの香りが強くて,別の食べ物みたいだが,素材は同じ川海苔であろう。村で食べていたものは,もっと油っこくて,ちょっと韓国海苔のように味が付いていたが,おそらく土産用に作られたこれは,油も味付けも控えめな感じがした。

マンゴーシートは結構堅いのだが,刻んでヨーグルトに付けて食べると合う。今日の昼はマンゴーシートを浸したヨーグルトで済ませよう。

マラソンと野球の経過を見ながらデータ入力

データを持ち帰っているので,今日は外出せずに,家でデータ入力をしている。食材がないので,後でLIFEに買い物には行くつもりだが。

名古屋ウイメンズマラソンとびわ湖毎日マラソンを流しているが,福士加代子選手は相変わらず感情をストレートに言葉に載せるのが面白い。びわ湖毎日は川内優輝選手の公務員ランナーとして最後のレースということで,その川内選手が中盤時点で先頭グループにいるのは素晴らしい。

ドラゴンズとマリーンズのオープン戦は,今日もラジオの中継がないがSportsNaviで経過をチェックしている限りでは,ロメロ選手は良いピッチングをしているようだ。

高橋周平選手のホームランで同点に追いついたのは素晴らしい。キャプテンにもなったし,いよいよ本格的に覚醒したか?

最後は引き分けだったが,高橋周平選手の打順が1つ早かったら勝ってた試合かも。ヒットは出たのにつながりが悪かったのは,まあ加藤捕手のバントミスというのもあったが,打順を組み替えることで克服できそうな気がする。

夜になったが,データ入力は終わらないし雨も酷いので,食材を買いに行くのはやめて,米を炊いて卵かけご飯で晩飯を済ませることにした。妻から電話が掛かってきて,月末に長野の家で粗大ゴミを片付ける必要があるから帰ってきて欲しいと言われたので,夜行バスを探してみたら予約できた。そういうわけで月末は長野に帰ります>関係各位。

大学に合格された方へ

19歳の浪人ガオラーさんが理三に合格したそうだ。おめでとうございます。

もう35年前になるのか。tweetを読んでいて,同じ大学に(理二だが)合格したときの気持ちを少し思い出した。当時愛読していたラジオ雑誌があって,常連投稿者の一人が合格通知書か何かをその雑誌に投稿したのが掲載されていて,アホな奴だなあと思っていたら,偶々駒場の語学クラスが同じだった(第二外国語の講義は理二と理三合同で受けるのだが,当時はフランス語選択クラスが2組と3組で,ぼくは'84SII,III-2組だった)W君がその本人だったのには驚いたっけ。W君も同じクラスにあの雑誌の読者がいたことには驚いていたが。このクラスにはいろいろなタレントが揃っていて,作家でありサイエンスライターでもありルポライターでもある川端裕人君に知り合ったのもここだった。なお,同じ語学クラスに理三は4人いたが,少なくともそのうち3人は研究職についている。たぶん理三出身で臨床医だけしている人は少ないと思うが,それで良いのだと思う。

今もあるのかどうか知らないが,当時はオリ合宿というものがあった。4月になってからだったと思うが,九十九里浜の民宿(だったと思う)に上クラス(同じ語学クラスの前年度入学者)の何人か(下クラスの世話係であり,オリターと呼ばれていた)や,何年も留年していて駒場の主のようになっている人たちと一緒に旅行に行って,教養科目の取り方や自治会や学友会との付き合い方や駒場での暮らし方についてなど教えて貰うというイベントで,ほぼ全員が参加していたように記憶している。同級生の間での自己紹介などもあったが,それはあんまり印象に残っておらず,むしろ駒場の主のような個性的な風貌の方々が,汚いジュークボックスで渚ゆう子の「京都慕情」ばかり何度も繰り返して流しながら唱和したり,当時の用語で「グロい」と称されていた政治的だったり活動家っぽかったりする話をしていたイメージが脳裏に焼き付いている。

自分がオリターとして参加した翌年は,下クラスの理三の学生の1人が自己紹介として突然,RCサクセションの曲(「雨上がりの夜空に」だったと思うが,もしかしたら「トランジスタラジオ」だったかもしれない)を熱唱しだしたのに驚かされた。珍しい名前だったので,今どうしているんだろうかと検索してみたら,ボストン大学医学部教授として研究室を主宰していた。今でもRCを歌うことはあるんだろうか?

東大では教養科目をかなり自由に選択できるが,理二からは教養の平均点で希望学部・学科に進級できるかどうかが決まる進学振り分け制度(通称「進振り」)の影響が大きくて,高得点がとれると評判の科目を選ぶ友人も多かった。ぼくは難易度は気にせず,内容が面白そうなものを興味のままに選んだ。タイトルやシラバスは面白そうでも,受けてみたらつまらなかった科目(助教授だった頃の舛添要一氏らが担当していた「国際関係論」とか)もあったし,国語学とか日本国憲法とかは思った以上に面白かったので,それはそれで悪くない選択だったと思う。普通の授業以上に,全学一般教養ゼミナールという枠で行われていた,「廃水処理の生物学」だったかな,都市工学科の味埜俊先生のところに友人と2人で通って,下水処理における活性汚泥の働きについて英語の論文を読んだゼミは面白かった。打ち上げとして新橋の飲み屋で奢って頂いたカニ味噌が大変美味かったことも印象深い。やはり都市工学科で行われていた,公害原論という企画は,教員も絡んでいるが単位化されていないし学外の人がしゃべりに来たりする自主ゼミという枠で,あれも面白かった。ぼくは小学校6年生のときから研究者を志していたが,狭き門であるとも思っていたし,大学院に行くなら自分で稼げと言われていたので,アルバイトで高校の非常勤講師をしようと思っていて,理科の教員免許をとるために,地学実習も受けた。実は駒場で地学実習の単位を取っても教員免許に必要な専門科目としてはカウントされないらしいことを後で知ったが,この地学実習は大磯だったか露頭(崖のように地層がむき出しになっているところ)に行って,走向と傾斜をクリノメータで測定したり,標本を持ち帰って粒度分布を測定したり,大変面白い実習だった。後にソロモン諸島で東工大の丸山茂徳先生にお目に掛かったとき,駒場で角和先生と大島先生に地学実習で指導を受けたという話をしたら,丸山先生があのお二人をご存じだったのにも驚いた。「学ぶ」環境として,つくづく贅沢だったなあと思う。

まあそういうわけで,あまり平均点が上がらず,進振りは第二希望だった保健学科になったとはいえ,この選択が悪かったとは思わない。けれども,人類生態学教室で助手をしていたときに公衆衛生実習で指導して共著論文を書くまでに至った,現在はミネソタ大学教授をしている森洋一朗さんの教養科目選択の話を聞いたとき,そういう手もあったかと,少し後悔した。森さんは理三から医学科だから進振りはほぼ関係ないのだが教養科目の平均点も信じがたいほど高く,しかもそれは点が取りやすい科目を選んだのではないということだった。曰く,将来海外で活動するためには,たぶんスペイン語もやっておくべきだと考えて,第三外国語としてスペイン語を初級,中級と選択したおかげで,簡単なスペイン語なら読み書きできるという話だった。ぼくも院試の時に第二外国語の試験を受けるために勉強し直したし,2年後期に駒場で受けたフランス語の講義は蓮実重彦先生の(映画の話はなかったが)大変わかりやすく実践的な講義だったおかげで,フランス語論文ならある程度読めたが,スペイン語はまったくわからなかった。自分の将来に生かすという視点から考えたら,国語学や日本国憲法ではなく,せっかくチャンスが提供されているのだから,第三外国語でスペイン語を学んでおけば良かった。まあ,国語学の知識は塾講師をしたときに多少役に立ったし,無駄ではなかったからいいか,とも思うが,たぶん興味のままに科目選択するよりも,将来に生かすことを考える方が良いと思う。

自分が理二の学生だったときに与えられていた教養科目選択の自由度に比べると,神戸大学医学部保健学科の学生の教養科目選択は,かなり限られていて気の毒に思う。けれども,もし将来研究者になることを考えている学生がいたら,一つだけアドバイスできる。将来やろうと思っている研究テーマに近いことをやっている教員がいたら,臆せずコンタクトをとって話を聞きに行くと良い。少なくとも,ぼくは,もし神戸大学医学部保健学科の新入生が,国際保健とか人口学とか人類生態学について話を聞きたいと言ってきたら歓迎するし,読んでおいた方が良い本とか喜んで紹介する。たぶん多くの教員はそうだと思う。残念ながらそういう学生はほとんどいないのだが。

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