「春になったら」第2回。本当に映像が美しいのと主演2人の演技が良い意味で演技っぽくなくて泣ける。エリザベス・キューブラー・ロスは、『死、それは成長の最終段階―続 死ぬ瞬間』(中公文庫)という論文集のようなものを読んだことがあるが、今回かずまるくんが説明し瞳が追認していた死の5段階が最初に提唱されたのは、その前作としてキューブラー・ロス自身が書いた『死ぬ瞬間 死とその過程について』(中公文庫)の方で、Kindle版もあり、図解がわかりやすい(最近の論文だとBotîlcă, C.-M. (2021). Reclaiming Death Acceptance in the Twenty-First Century. Papers in Arts and Humanities, 1(1), 15–29.などが、現代的な死の受容の意味を論じている)。木梨憲武演じる「父」は、おそらく死の受容の過程を経るなかで、2-3%の治癒の可能性に賭けるという可能性を排除しているのと同じように、かずまるくんが娘の生涯の伴侶として信じるに足るのかを本気で見極めるために向き合うことを避けている気がする。おそらくドラマの展開としては、かずまるくんと本気で向き合うことになるのではないか。