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2019年2月~3月のラオス健康調査

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2018. Last Update on 2019年3月7日 (木) at 22:28:27.

【第2日目】 ムアンゴイからH村へ(2019年2月24日)

ムアンゴイのゲストハウス目が覚めたら5:30頃だったので生温いシャワーを浴びた。外気温が寒い割にヒーターの出力が小さいので,最高レベルにしても生温くしかならないのだ。メールチェックしてから上着まで着込んで外に出た。6:30頃に出発しようという予定だったが,H村からの迎えのトラクタが着いておらず,コーヒーなど飲みながら暫く休んでいたが,暇だったので自分が泊まった建物の外観写真を撮ったりした。

トラクタが来たのは7:00過ぎだっただろうか。去年もお会いしたH村の村長が運転してくれていて,握手をして挨拶してから出発。途中の道路は去年と同じ感じで,左手の洞窟も去年と変わらなかった。山を見ると木が伐り倒された森や,そこに既に火を入れて焼き畑にしたところが目に付いた。乾季に入ってから暫く経った,これくらいの時期に火入れをするらしい。トラクタは1往復で35万kipという話だが,今回の調査チームは2つに分かれて行ったり来たりするので(ぼくは前半3日間がH村,後半3日間がN村で,それ以外は移動しないが),トラクタ代は最後にまとめて支払うことになっているとのこと。ちなみにこの村長には少しだけ英語が通じるが,他の人はほぼラオス語しか通じないので,ラオス語がサバイディーという挨拶,コプチャイというお礼の言葉,去年の調査で知った,主に身体的な健康を意味するスパカープあるいはケンヘンという言葉しかわからない(去年来た後でCD付きの本を買って勉強したが挫折した)ぼくは,横山さんか西本さん,あるいはごくわずかな英語を解する人に通訳を頼まないと,まったくコミュニケーションができない。南太平洋で調査をするときとは,これがまったく違う点で,慣れるまでは予想以上に辛かった。

2019年2月24日の朝食無事にH村に着いて,まずは朝食となった。前日ノンキアウで立ち寄った家(横山さんや西本さんは旧知の間柄らしい)の庭先でカワノリの加工をしていたが,あれがこうなるのか,という海苔が出てきた。この時期の名物だそうだ。韓国海苔のように味が付いていて,ゴマや薄切りにしたトマトを乾燥させたもの(写真の赤っぽいもの)がくっついているので,餅米をつかんで載せて巻くと(パリパリ割れてしまうのだが),まるで手巻き寿司のような食べ方になる。これが大変美味で,食が進むので困った。空心菜のような葉野菜の水煮も,タマネギスライスが大量に入っている卵焼きも,大変美味で餅米によく合う味だった。

朝食が終わってから,テーブルや椅子を配置し,スーツケースから身長計や体重計を取り出して適当に配置し,調査手伝いに雇った人にとりあえずの役割を振ったが,受付でのチェックのために西本さんの最新の村人リストをプリントしようとしたときに大問題が発覚した。ぼくのPCは昨年11月に壊れて新機種に替えたため,iP100のドライバが入っていないのだった。去年使っていた東芝のPCもWindows 10だったはずだが,そこからコピーしたフォルダに入っていたダウンロード済みのドライバは32bit専用とのことで,最新のWindows 10 Professionalでは動作しないのだった。考えてみれば,東芝Dynabook R83はWindows 7から10にアップグレードしたものだったような記憶があり,Windows 7ではiP100は標準サポートされていたから,このドライバではないのだった。この村でも何とかネット接続は可能だが,遅すぎてメールさえタイトル一覧は見えるが添付ファイルをダウンロードするのはほぼ無理なので,ドライバダウンロードなどできるはずがない。

途方に暮れたが,プリントに成功するまで健診をしないというわけにもいかないので,西本さんのPC画面でリストをチェックしながら健診を開始した。今回の調査目的は既に(来る前に)村長を通じて全員に説明済みなので,インフォームドコンセントもスムーズに進む。ここにムアンゴイのヘルスセンターから手伝いに来てくれた,割と年がいっていて,N村には親類がたくさんいるという男性を配置した。彼の仕事は,西本さんが既に作っている名簿と,健診に訪れた人を照合して,受付番号(1からの連番)と名簿記載のID番号の対応表を作って,村人からインフォームドコンセントの用紙に拇印を押して貰い,受付番号を書いた採尿カップを渡すことである。これだけの作業で,別に難しくはないと思うのだが,西本さんにサポートしていただきながらでも結構手間取っていたし,完璧ではないようだった(後で西本さんが確認して修正してくださった)。

トイレで採尿してきた人がテーブルに置いてくれたコップに,順番にアークレイの10PAスティックを入れて,リーダーで読むのが,ぼくの主な役割の1つであった。1検体測るのに約1分かかり,この結果は別途ノートに記録する。その間に健診参加者は,ビエンチャンから来て貰ったLao TPHIの職員に頼んで,健康意識と健康行動についての簡単な質問紙に答えて貰う。去年は,聞き取りをしてくれたTPHI職員が博士号をもっている女性医師だったので英語もうまくて,時々ディスカッションしながら詳細な聞き取りができたが,今年来てくれた人は事務職員で,英語がほぼまったく通じないのだった。それでも,去年と違って質問内容が簡単だから大丈夫だろうと思っていたが,最初は予想以上に難航していて,尿検査の方が進み方が速いくらいだった。そのうち慣れてきてスピードが上がり,ちょうど尿検査と同じかやや速いくらいのペースになった。

聞き取りが終わった健診参加者の上腕三頭筋部分と肩甲骨下の皮脂厚をキャリパーで測るのと,巻き尺で腕周りとウエストを測るのが,ぼくの2番目の役割である。これは訓練を受けていないとできないので,自分でやるしかない。記録用紙に自分で書くよりも,測りながら読み上げた数字を書き取って貰う方が効率が良いので,書き取りを件のTPHI職員に頼んだ。当初,英語でも数字くらいは通じるだろうと思っていたのだが,これが大変な誤算であった。ともかく全然通じないのだった。何度言い直しても正しく聞き取れないようで,とくにdotとかperiodとかいう小数点をわかってくれないので,とんでもない数字を書いてしまう。これなら自分で書く方がよほど早い。困ったなあと思ったが,ここで工夫して事態を打開するのが真のフィールドワーカーである。要は,彼に英語が通じないなら,ぼくがラオス語で数字を覚えればいいのだ。そこで,尿検査結果を右ページに記録しているノートの左ページに,0~9の数字と小数点と,ラオス語の読み方(アルファベットで)の対応表を書いておいて,それ(下表)を参照しながら読み上げることにした。

つまり,例えば肩甲骨下の皮下脂肪が12.6 mmであれば,ヌンソンチャムホクと言えばいいのだ。この作戦はうまく当たり,TPHI職員の彼は間違いなく記録してくれるようになったし,何十人も続けているうちに暗記することができたので,ぼくにも苦ではなくなった(というと言い過ぎか)。まあ何にせよスキルアップは嬉しいものだし。

2019年2月24日晩飯ここまで終わると,健診参加者は記録用紙をもって身長計,体重計,血圧計がある場所へ移動する。身長計と体重計の設置には平らな地面が欠かせないので,これはH村ではゲストハウスの食堂を借りた。日陰だし一石二鳥だった。これを担当するのはノンキアウの病院に勤務するナースの青年男性(ちょっとグースハウスの齋藤ジョニーに似ているとぼくは勝手に思っていたが,西本さんに齋藤ジョニーの動画を見せて同意を求めたら同意してくれなかったので,そんなに似ていないかもしれない)で,彼は少しだけ英語が通じるし,大変真面目な青年で助かった。気の毒なことに左目がものもらいのような状態で腫れていて,H村にいる間は,ぼくが持ってきていた抗菌目薬を点眼してあげたがあまり効かなかった(N村に移動した日に,彼が頼んでいたホウ酸水と点眼薬が届いて,それ以降は快方に向かったが)。たぶん体調も良くなかったと思うが,大変頑張ってくれていた。ナースって基本的に真面目だよなあ,と思う。

こうして健診を進めている間に,横山さんがいろいろと奮闘してくださり,Mac上で仮想的にWindows 7を動作させ,Google検索によって双方向データ通信を可能にする方法を見つけて2つの村の住民リストのプリントに成功したのは昼過ぎだったと思う。今回,横山さんのメインの調査地はムアンゴイであり,これからムアンゴイに戻られるというので,64bitのWindows 10用のiP100ドライバのダウンロードをお願いした(ムアンゴイのゲストハウスでは無料でWiFiが使えるので)。翌々日にH村でパーティが行われるのに招待されているため帰ってくるときにドライバを持ち帰っていただければ,結果のプリントにも間に合うという目算である。綱渡りだが他に手はない。人智を尽くした後は天命を待つのみである。

35人を受け付けたところで人の流れが途切れたので,初日の調査は終わりにしてデータ入力した。後は去年と同様にpdf化してプリンタに出力すれば良い。最短でも横山さんが帰ってくるまで出力できないが,まあそれは仕方ないだろう。Excelで入力したデータをCSV出力し,それを読み込んで必要な情報を整形し,\includegraphics[width=13.5cm]{IrfanView64のバッチ変換機能でpdf出力した写真ファイルのファイル名}という形で写真も一緒に出力できるようなupLaTeXのソースを吐き出すRコードを完成させるのに2時間くらい掛かったと思うが,できたソースファイルをTeXLive2018で読み込んでpdf出力するのは簡単だった。気がついてみると辺りは暗くなっていた。

ディナーはタケノコのスープと鶏肉が美味かった。この村は去年も書いたがラオラオという泡盛のような蒸留酒を自家製造していて,初日の夜となれば当然その洗礼があって,倒れるまで呑まされ,最後は村長の肩を借りてゲストハウスの部屋まで連れて行ってもらい,蚊帳の中のマットレスの上にそのまま眠ったらしいが,よく覚えていない。

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