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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『トロイの木馬 (TROJAN HORSES)』

書名出版社
トロイの木馬 (TROJAN HORSES)角川春樹事務所
著者出版年
冷泉彰彦1999



May 14 (fri), 1999, 14:02

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

著者は1959年生まれ,米国在住である。デビュー作とのこと。
帯は駄目だ。
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西暦2000年1月1日,
コンピュータウイルスによって
世界は破滅する!
今世紀最後の大型新人,衝撃のデビュー
『コンピュータ社会の陰謀を描く運命的な大作だ』荒俣宏
『壮大なスケールの電脳謀略絵巻』長谷部史親
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裏側の帯には,

荒俣宏(作家)
コンピュータ社会の陰謀を描く運命的な大作だ。
これだけは今,読まねばならぬ。
「ネットワーム」という章では血の気が引いた。
それにしても,最大の危機が「日本語の破壊」にあると看破したこの作家は何者なのだ!?

とあるのだが,本当にこういったのだとしたら,荒俣宏氏はコンピュータとネットワークに関しては素人だし,この小説を全然読めていないと思う。日本語と漢字コードは違うって。

しかし,別に本作が駄作だというわけではない。むしろ,364ページにわたって小さい文字で書き込まれた内容は,これまでの日本語の小説にはなかったレベルにまでコンピュータとネットワークに踏み込んで,かなり現実を忠実にモデルにしたものであって,どちらかといえば傑作に近い。例えば中村正三郎さんのサイトやzdnetやhotwiredを読んでいる人ならモデルが簡単に特定できるのだが,現実に基づいた部分と,架空の部分の融合のさせ方はなかなかうまいし,「ああ,あの事件」というようなネタを実に自然に取り込んで,1つの物語として構成できているのには感心した。

粗筋は書きにくいのだが,何とかやってみよう。

物語は,会計コンサルタント,嶋田美佐子という女性の視点から語られる。彼女はダニエル・マツシマという会計コンサルティング事務所のコンサルタントであり,「日の丸コンピュータ産業の雄」細山通信に買収された,エディンバークというソフトハウスを担当している。彼女自身,日本で採用されたのだが,その買収で活躍したのを買われて米国ダニエル・マツシマ社へ転籍した,という経歴をもつ。しかし永住権はないので,解雇されたら即国外追放されるという身の上である。エディンバーク社が彼女との契約を更新してくれない,というところから話が始まる。更新されないと彼女は解雇されてしまうので,エディンバークがかかえる問題にのめり込んでいくわけである。

エディンバークがかかえる問題とは,親会社から,戦略商品として開発中だったアジア系言語相互間の自動翻訳システムを突如開発停止の命令が出たことにあった。さらに,親会社には秘密だったが,そのシステムには文字化けするバグが入ってそれがとれないこと,2バイトコードを攻撃する謎のコンピュータウイルスが流行していて対策が追いつかないことも問題であった。物語の進行とともに,少しずつこれらのからくりが明らかになってゆく。クラッカー集団「ネットワーム」に対抗して魅力的な仲間たちとチームを結成し,米国,日本,英国,台湾,香港,中国を縦横無尽に駆けめぐりながら追跡するのは圧巻である。結末に意外性はあまりないが,後味はよい。ここに,現行のユニコードではすべての漢字は表記できない問題とか,Y2K問題とか,多国籍企業のM&Aとか,OSの独占とウイルスセキュリティの問題,あるいはアジア人のアイデンティティといったことが,主人公たちにかかわる形で織り込まれている。いずれも現実のネットワーク社会における重要な問題であり,緊張感を高めつつ読める。

文章はうまくはない。とくに,「ミッシー・シマダ。本名の嶋田美佐子が,いつしかそんなアルファベットの名前で呼ばれるようになって,もう三回目の冬になっていた」という登場の仕方は鳥瞰的なのだが,「私と同じアジア系の……」というところから,突如として一人称表記になるのには違和感を覚えた。最初の100ページくらいは,この文体に慣れることはできなかった。一方,フィラデルフィアの描写は見事だ。さすがにニュージャージー在住だけのことはある。

細かい点では批判はたくさんある。例えば,ウイルス入りの可能性があるなら,ActiveXとかJavaとかOFFにしてブラウズすればいいじゃんとか。HTMLメールだけをはじくsendmail.cfなんて書けるのだろうか。仕事に使う大切なファイルサーバならHTMLでこけるようなOSは使ってはいけない。あるいはそんな機能は実装しなければよい。あと,たぶん作者はunixをよくわかっていない。M&A系の話に比べて書き込みが甘い。それらはおそらくもう少し深く取材すれば解決できると思うが。次回作にも期待したい。


May 14 (fri), 1999, 17:20

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

余談。
さっき書き忘れたが,著者は中国や台湾のお茶が好きなようだ。高山烏龍茶ってのは確かに美味である。本書にはいろいろなお茶が登場し,きわめて正しい評価をしている。こういう小説も珍しい。

ただ,ポーレーってのはなんだろうか。Pu-Erのことなら,普通カタカナではプーアルって書くのだが。


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