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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い』

書名出版社
たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い新潮文庫
著者出版年
佐野三治(Sano Miharu)1995



Dec 28 (mon), 1998, 18:32

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

日本からグアムを目指す外洋ヨットレースに「たか」号で参加し,事故で転覆後漂流を続け,最後はたった一人になりながら生き残った人の,その人自身の筆になる記録文書である。受けた印象があまりに強かったので書評でなく読書感想文になってしまうがご容赦されたい。

出航が1991年12月26日正午だから,たった7年前のことだ。救出されたときは大騒ぎだったが,既に記憶の彼方になってしまっていることに驚いた。ちょうど教授の退官直前の時期だったため,あんまりテレビのニューズに気を取られている時間はなかったのだが,今回この文書を読んでみて,彼が転覆後27日間もの漂流を生き抜いたいう事実にただただ圧倒された。

本書は,どういう経緯で彼が「たか」号に乗り組むことになったのか,というところから書き起こされ,航海が始まってから悪天候に苛まれ,27日にセールが破れ,流されながらも何とかヨットを操ろうと努力し,29日に転覆してから救命筏に乗り組む様子など,比較的淡々と描写されるのだが,それが却って真実味と緊張感を感じさせる。筏に乗ってからは,ビスケット1枚を6人で分けて1日の食糧とし,水は1日あたり20 ccしか飲めず,それでもみんなが生きているうちは将来を予測しつつ耐えてゆくクルーたちの精神的な強さには感心する。一人ずつ他のクルーが死んでゆき,最後に一番若い高瀬氏と著者だけが生き残り,カツオ鳥を捕まえて何日か生き延びたものの,その後高瀬氏が死んで一人になってしまったときの著者の孤独感は想像するに余りある。一人になって却って「生への執着が大分薄れてきてしまった」とはどういう状態なのだろう? 筏が100m浮き上がってベートーヴェンの歓喜の歌が大音響で聞こえる,と感じたというくだりは,極限状況におけるヒトの脳の不思議さを如実に示している。

本書を特徴づけるのは,救出されてからの「心の漂流」の詳細な描写である。極限状況からの回復だけでなく,他のクルーの遺族に会って語ること,聖園天使園の子どもたちからの手紙に癒されたこと,など虚心坦懐というのだろうか,行間から滲み出る真情が胸を打つ。寒い冬の夜長にお薦めしたい名著である。


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