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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『ゆがんだ闇』

書名出版社
ゆがんだ闇角川ホラー文庫
著者出版年
小池真理子・鈴木光司・篠田節子・坂東眞砂子・小林泰三・瀬名秀明1998(初出はカドカワノベルス「絆」,1996年)



Jul 22 (thu), 1999, 12:54

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

現代を代表するエンターテインメント作家6人によるホラー・アンソロジーである。作者たちの個性が存分に生かされた,傑出した作品集であることはいうまでもないが,そんなことはさんざん語り尽くされたと思うので,ここでは別の評価をしてみる。もちろん,まったくの主観評価なので,読み違えである可能性は常にあることに留意して,以下を読まれたい。

テーマからいうと,小池真理子さんの「生きがい」で描かれるのは喪失と孤独の恐怖である。もっとも,この作品はメッセージ性はそれほど強くなく,ワンアイディアストーリーと読むのが筋かもしれない。もちろんミステリ風にきれいに落ちていて,見事である。鈴木光司さんの「ナイトダイビング」は愛と生命の連続性を高らかに歌い上げたものである。子育てパパ作家の面目躍如といったところで,アンソロジー中でもっともメッセージ性が強い。ホラーとしては海の恐怖だろうか。坂東眞砂子さんの「白い過去」では裏切りと復讐が描かれる。これも落ちが美しい。小林泰三さんの「兆」は難しい。本書中もっともホラーそのものといえるが,視点の移動がぎくしゃくしているので,やや入りにくい。入ってしまうとこれほど怖い作品はないかもしれない。瀬名秀明さんの「Gene」は遺伝子の意味を問うた作品である。マッキントッシュが電話回線なりEthernet接続なりでネットワーク接続していることにすれば,ロビンクック風の空想科学ミステリ落ちをつけることもできたアイディアであるが,ネットワーク接続していないとした時点から物語は急速にホラー性を増し,どんどん拡大して,最後はBrain Valleyとも通底するテーマへとつながる(もう一歩進むと,人間とは何か? という普遍的疑問に到達する)。実験室のディテールの書き込みはいつも通り優れているが,ヒロインの心理が多少研究者らしくない。とくに,電子図書館をみつけたときの反応が不可解だ。1枚のCDに高速アクセスできるテキストデータベースがあるということなのだから,海賊版だとしても「こりゃすげえや」と喜ぶのが普通の研究者ではなかろうか。次いで,どういう記録方式でCDにそんなに膨大なデータを入れられたかを探る筈である。ぼくならそうする。もっともこんなのは些細な問題である。それほどテーマもアイディアもディテールも優れている。パターン・ホラーとしては,虚構に現実がとりこまれる恐怖ということもできるが,何が虚構で何が現実かという認識自体が問い直されるのがミソである。

ただ,ベスト1を選べといわれたら,ぼくは迷わず篠田節子さんの「小羊」をあげる。テーマは構造的抑圧の恐怖と自由な魂への賛歌である。体感的な怖さは,まったくといっていいほどないから,ホラーと呼ぶかどうかは意見が分かれるところと思うが,傑作であることは間違いない。以下,このテーマを詳細に論じるため,ネタバレとなる。ネタバレしてもこの作品の価値はいささかも損なわれるものではないと思うが,一応改行しておく。


M24が臓器移植用のクローンみたいなものであることは,かなり初めの方でほぼ見当がつく。幼児期に卵子を採取して凍結保存しておき,成人してから法的に生まれた子どもの臓器にガタがきたら凍結を解除して臓器移植用同胞(平たくいえば親が同じであるという血縁関係)を生産するというアイディアは,いま書かれるなら体細胞クローンにするところと思う。臓器移植ドナーにするならテロメア問題にも抵触しないし,同胞では100%の組織適合性は保証されないからだ。だから,これは,よく考えられたSFであるが,もう2年たってから書かれるべきだったかもしれないと思う(そうすると,クローンに人格はあるかないか,というまた別のテーマも抱え込んでしまうことになり,長編になると思うけれど)。また一方では,M24がクローンでなくて,両親ともが同じである凍結胚を使った体外受精卵からの同胞であるということは,彼女を臓器のレシピエントと分ける境界線は,まったく文化的なもの,社会的な約束事に過ぎない,ということを意味する。つまり,これは,社会によって構造的に,1個の人間存在の可能性が抑圧されている状況なのである。

M24は意志をもたないように育てられる。そのための凍結胚なので,社会の約束事として,脳が自意識をもたないようにするのだ。しかし,移植直前になって,M24は少年の笛の音を聞くことによって規格から外れてゆく。このあたり,眉村卓さんの「わがセクソイド」で意志をもたないはずのセクソイドが「壊れる」ことによって執着心や自意識を持ち始めるところを想起させる。笛の音が空気が実際に震わせるような描写,それによってM24の心がすこしずつ変容してゆくさまは,「カノン」で見せた切れに優るとも劣らない。さすが篠田さんならではの音楽描写である。M24は,ある意味では壊れてゆくのだが,それはまた自由な魂を獲得する(たぶん根元的には「取り戻す」)過程でもあるのだ。少年のことばが象徴的である。『臓器を盗む気はない。臓器のパッケージは笛を吹きたいなどと考えないからさ』

最後に駆け出すM24に「頑張れ」といってやりたい気持ちが,たしかに起こる。眉村卓さんの「幻影の構成」だったと思うが,ラグ・サートに向かって「頑張れ」といってやりたくなる気持ちと通底する。その目的が善であろうと悪であろうと,社会による自由な魂の抑圧には反旗を翻すのだ,という強い主張がここにはある。構図としては,自由に対する抑圧への反感である。ぼくがこれに共感し,そしておそらく多くの人が同じように共感するのは,なぜだろうか? この構造的臓器移植社会は,社会の約束事の範囲内ではうまく動いているようだし,M24自身,一度は決められた通りドナーになることに喜びさえ見いだすのである。何で逃げるんだよ,と感じても良さそうなものだ。基本的人権が抑圧されることを看過できない,それだけだろうか。もしそれだけだとして,それは何故だろうか?

この構図は何かに似ている。メタレベルを一段あげてみよう。M24を人類全体に置き換えてみるのだ。人類は自由意思をもち好奇心を主な動因として活動してきた。通常,他者への奉仕を目的としているわけではない。本作品自体がフレームを借りているように,ある種の宗教は他者への奉仕などの構造的抑圧を目的化するが,通常それは思考停止を伴い,ある意味では人間としての生を放棄することにつながる。ぼくが,とくに信じろ系の宗教が嫌いなのは,思考停止を強いるからである。構造的な自由の抑圧には,この連想から,思考停止のイメージが濃厚につきまとっているように思う。実は,環境問題に関してことさらシニカルな態度をとろうとする人の存在も根は同じではなかろうか。たとえ,「このまま活動していたら地球が生命を支えきれないから,持続的生存のために開発や進歩を制御するべきだ」という予測の元にであっても,社会による構造的抑圧が自由な人間活動を妨げるのは,どうにも気持ちが悪くなるのかもしれない。もしこれが当たっているとすれば,多くの人の共感を得て環境問題を解決するためには,開発や進歩の制御を自由の抑圧と感じないための,新しい考え方が必要になるだろう。一つの解としては,自意識の及ぶ範囲を拡大することが浮かぶ。このことは情報インフラの整備とともに,個々人へのインプットの増大として,ある面では実現に向かっているが,ここで問題になるのはノイズやループバックもまた増大することである。うーむ,これは長編SFのネタになりそうな。


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