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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『「割り箸が脳に刺さった我が子」と「大病院の態度」』

書名出版社
「割り箸が脳に刺さった我が子」と「大病院の態度」小学館文庫
著者出版年
杉野文栄2000年



Nov 07 (tue), 2000, 12:45

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

ゴーゴーファイブやガイアが好きだったなんて,我が子どもらと同世代の小さな命が失われてしまったという事実がもつ途方もない悲しさで,何度も泣きそうになりながら読了した。小学館文庫は,「文庫でジャーナリズム,はじめました。」という惹句に恥じず,ラインナップが充実している。9月は,本書の他にも,例の教育改革国民会議の提言絡みで出た,西尾幹二編著『すべての18歳に「奉仕義務」を』と樋口広芳・森下英美子『カラス,どこが悪い!?』が目に付いた。

本書を読んで考えたのは,医療とは何かということである。いまある技術を駆使して,病気や事故によって損なわれた健康を取り戻す,もっと一般化すればQOL(Quality of Life; 生活の質)を向上させる手助けをするのが,社会から期待される医療の役割だと思う。医療従事者の側からみれば,あくまでも患者個人を対象として,健康というモデルへの適合度を上げるために,治療と呼ばれる行為を行う。これらは,その違いが意識されることはあまりないけれど,実は微妙に食い違っている。とくに,医療者の側が気づいていないことが多いのではないだろうか? 家森幸男『「長寿食」世界探検記』(講談社)はとても面白い本だが,読んでいて時折感じる違和感も,ここに根ざしている。高タンパク低塩食を奨励することによって,チベットの人の心臓発作による突然死を防ぐことは,チベットの人にとって本当にQOLの向上になるのだろうか? 彼らは以前より幸せになれるのだろうか?

著者,杉野さんは,かつてベストセラーとなった医療過誤小説「白い巨塔」の時代から35年も経つのに何も問題が解決されていないことを指摘し,「白い巨塔」の登場人物で,正しい証言をしたばかりに大学病院を追われた里見医師の「医療は人間の祈りだとさえいわれてる」という言葉を引用している。しかし,祈りだとすれば,それが届かないのは責められることなのだろうかという疑問が湧いてくる。例えば,CTなどがないような途上国でこの事故が起こったのであれば,もとから治療ができないのだから,誰も責められようもないのではないか。CTという技術があり,脳外科手術で命が救える可能性があったからこそ,杏林大学病院の対処(無為だったわけだが)が医療事故になったということだ。

つまり,最近あった,間違った薬を点滴したのが原因で指が失われたとかB型肝炎ウイルス入りの輸血をしてしまったとかいう,してはいけないことをしたという過誤とは違い,隼三くんの死に際して杏林大学病院が責められる事柄の根本は,するべきことをしなかったことだという点が,問題を複雑にしている。もちろん,杉野さんがそれ以上に問題にしているのは,事態を隠し,カルテをねつ造してまで責任回避をするという傲慢な態度であり,そのままでは同種の過誤が再発するかもしれない救急医療体制のお粗末さであって,わが国が欧米諸国と同様に科学技術を進歩させ,高度医療や救急医療を充実させて長寿を目指すという選択をしてきたことを考えれば,「医療は最新の知見に基づいて慎重になされ,十分に手を尽くされねばならない」という価値観は社会の合意事項になっていると思うし,杉野さんの批判点には大いに同意する。しかし,杏林側に罪の意識が薄い理由は,積極的な殺人ではなかったからだと思う。たぶん,社会の要請に対する自覚が薄いのだ。担当医師や救急外来医長にこの本を読ませて,正面から回答させてやったらいいんじゃないだろうかと思う一方で,もしそれが期待できないなら,そういう体勢しか作りえていない私立の病院を地域の救命救急センターに指定している厚生行政に問題があるんじゃないかとも思う。

亡くなったとき,隼三くんは4歳だった。似た名前の片山隼くんが大型トラックに轢かれて亡くなったのは5歳で,現代の都会では事故に遭いやすい年頃である。ぼくの娘も4歳なので他人事とは思えないが,ちょこちょこと動いて運動量が多い割に,身体のコントロールが十分にできないで生傷が絶えない。事故に遭いにくくするような社会システムの整備が必要だという意味では,病院側の記者会見での発言にも一理あるかもしれない。一見違う話のような気がするが,ヒトの生に関する価値観としては同次元である。一般道の車を減らし,制限速度を30 km/hにするとか,安心して遊べる場所を増やすとか,以前ちょっと書いた幼保一元化を通して地域社会の再生を図るとか,屋台の綿菓子をつくるときの芯が硬い割り箸である必要はないのだから再利用可能で先を丸く加工したPP製にすることを推進するとか,もっと暮らしやすい社会に向かう道はあるのではないか。もちろん,病院の発言主旨がその辺りまで視野に入れたものだったのかどうかはわからないが。

話を戻せば,医療機関が情報を隠匿し,ねつ造さえするというのは時代錯誤的な発想だと思う。積極的に自己点検をし,情報公開しながらシステムを改善した方が営業的にもプラスだと思う。要するに,それができないような医療機関ならば,厚生省が認定を外せばいいのだ。それが医療という文化を受け入れた社会に課せられた宿命だろう。冒頭に書いた微妙な食い違いを埋めるようなシステム構築をしなければ,医療の未来はないと思う。病院管理学,人間工学,医療社会学といった分野の視点が,医療制度にシステムとして取り入れられる必要があるのだろう。例えば,救急医療での診断は最低2人の経験のある当直医によってなされるべきだとしても,その体制が推進されるような診療報酬制度とか税制上の優遇措置がなければ,市場経済における医療機関としては,それを推進しようという気になりにくいのではないか。

杉野さんの祈りが医療システムの改善に結びつくことを祈っている。隼三くんに合掌。

●税別476円,ISBN 4-09-404741-7(Amazon | honto


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