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2018年2月のミクロネシア連邦ポンペイ島往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2018. Last Update on 2018年3月7日 (水) at 15:45:03.


【第1日目】 グアム経由(2018年2月11日)

2月11日日曜朝,6:00に起きてヨーグルトの残りとパンで朝食を済ませ,予定通り7:20のバスで三宮へ。関空行きのバスの券売機が混んでいたので少し嫌な予感はしたが,バスそのものは順調に関空に着いた。グアム行きのユナイテッド航空のチェックインも無事に済んだまでは良かった。旅行保険屋がAIUだったのがAIGに変わっていたのは知らなかったが,そこもそんなに混んでいなかった。が,手荷物検査場の混み方が尋常ではなかった。たぶん1時間くらいは長蛇の列に並んでいたと思う。その分,ボーディング待ちの時間がほとんどなかったのは怪我の功名かもしれない。

グアム着もほぼ定刻だった。ESTA申請していなかったのでやたらに並んだが,荷物も少ないし無事に通過。

ゲートの外で福岡から来る2人を15分ほど待ち,一緒にタクシーに乗ってTumon Bay Capital Hotelへ。30ドルくらい掛かったと思う。下写真の通り眺めが綺麗なホテルで,トイレやシャワーはちゃんとしているが,シャンプー常備でないのと湯沸かしポットが無いのが意外だった。

グアムのホテルの客室からの眺め

荷物を置いて少し休んでから晩飯に出た。ホテルのすぐ近くにあるTGI Friday'sという店でサーロインステーキを頼んだところ,マッシュポテトは美味だったが,ミディアムレアに頼んだはずの肉がどうみてもウェルダンで固くて閉口した。まああの値段では仕方ないか。

近くのABC Storesというスーパーで50mLくらいのシャンプーと飲み物を買ってからホテルに戻り,あとは眠るだけだった。


【第2日目】 ポンペイ着(2018年2月12日)

月曜朝はたしか6時半頃にホテルを出た。夜のうちにタクシー予約をフロントに頼んでおいたのだが,チェックアウトしようとフロントに行ったら,ホテル付きのタクシー運転手のような人がフロントの女性と喋っていて,その人が昨日来るときいくらかかった? と訊くので,良く覚えていないけど30ドルはしなかったと思うと答えたら,よし,じゃあその値段で空港まで行ってやるよ,と言ってきた。電話で予約してあるんじゃないかと心配だったが,予定していた時刻を過ぎてもそれが来なかったので,ホテル付きの人のタクシーで空港に向かった。グアムは医療保険を使っても医療費が高いからフィリピンで手術してきたとか,随分自分語りをする運転手だったが,その分退屈しなかった。

ユナイテッド航空のチェックインカウンターはがら空きで,すぐに手続きが終わった。手荷物検査場では靴とベルトを外させられるのが鬱陶しかったが,ここもサラッと通れたので,随分時間に余裕があった。それで,ハンバーガーとかラーメンとかそれぞれ別々のメニューを頼んで朝食を食べながら3人で喋っていたら,いつの間にかファイナルボーディングコールが掛かって我々の名前がアナウンスされていた。日本時間より1時間進んでいることはわかっていたのだが,時計を見間違えていたようだ。慌ててゲートまで行き,最後の乗客として我々が乗ったら,ほどなく飛行機が離陸した。ユナイテッドは席ごとにディスプレイが付いていて映画が流れているのだが,進み方は席ごとに調整できず,中央管理されていることと,関空からグアムでもグアムからポンペイでも番組が同じことが若干残念だった。GEOSTORMというパニック謀略サスペンス映画と忍びの国という恋愛アクション映画を部分的に見ながら3時間半くらい飛んだ。途中,チュルクで半分くらいの乗客が降り,同じくらいの乗客が乗ってきたのは覚えているのだが,最後ポンペイに着いたときにうとうとしていてアナウンスを聞き逃したので(しかもポンペイとコスラエの位置関係を逆に思いこんでいた),まだもう1区間乗るのだと勘違いして降り損ないかけた(同行していた福岡大の院生が教えてくれたので事なきを得たが)のは危ういところだった。

が,ともかく昼過ぎくらいに無事にポンペイ空港に到着した。ここは小さな空港で,待合室には扇風機しか無いのには驚いた。ホニアラのヘンダーソン空港よりずっと小さい。ポンペイ島にはミクロネシア連邦の首都があるのでもっと都会だと思い込んでいたのだが,その予想とはまったく違ってこぢんまりとした感じだった。

空港から宿泊先のJOY HOTELまではどうやって行くのだろうと思っていたら,今回のチームリーダーの水元先生がレンタカーを借り,それで動くということだった。今回は交渉や説明のために動くことが多いからかと思ったが,そもそもあまり公共交通機関がないらしく,これまでも車で移動するのが普通だったとのこと。ぼくがソロモンやPNGでレンタカーを借りるときはカウンターパートから紹介して貰って運転手も雇うのだが,ポンペイ島は割と道が良くて,右側通行であることだけ気をつければ運転もそれほど難しくないので,水元先生と福岡大の院生が2人で運転してくれるということだった。ぼくは免許も無いので完全に無力なのが申し訳ないのだが仕方がない。

ジョイホテルのウェルカムバナナJOY HOTELにチェックインしたのは昼下がりだった。日本と同じくインフルエンザが流行しているらしく,至るところに手の消毒用アルコールが置かれているのが面白い。それでもウェルカムフルーツというか,バナナが房で置かれていて,自由にとっていいというのはそのままなのも面白い。とりあえず荷物を置いて暫く休んでから教育局に行き,Churchill Edward氏に面会した。翌日13:30から3つの小学校を訪問したいと説明し,それに誰か付き添いが欲しいと頼んだら快諾してくれて,朝になったら秘書に電話連絡して何時に来れば良いか確認するように言われた。リンク先の写真の見た目通りにエネルギッシュで,とても気さくな方だった。

次に保健局に行った。病院の隣にあって,羽曳野なんとかと書かれている救急車が停車していた。たぶん中古を寄贈されたのであろう。メラネシアでも良く見られることだ。最初会おうと考えていた学校保健担当のフランシスコ氏(12月に来日してぼくの講義も受けた人)がなかなか見つからず,あっちに行ったりこっちに行ったりとうろうろする羽目になったが,夕方会うことができて,小学校での調査について確認し,翌日の訪問の話をしたら,既に水曜15:00に関係者を集めてミーティングする手筈になっているし,翌日の学校訪問にも同行してくれるということで素晴らしい。

ホテルに戻り,少し休んでから入口左のレストランで3人で晩飯。ランチという名前がついているが夜でも注文できる,マグロの赤身の刺身などいろいろ入った定食が普通に美味だった。レストランでの食事は全部部屋に付けておいて貰って,チェックアウト時にまとめて精算できるのも便利だ。もう一つ書いておくと,このホテルも客室には湯沸かしポットがないのだが,2階の階段そばに冷水と熱湯が出る給湯器があって自由に使えるので,自分でパック入りのコーヒーを持参すれば淹れたてを飲むことができる。たぶん日本人が経営しているからだろうと思われるが,痒いところに手が届くサービスが素晴らしい。

既に書いた通り,ホテルではPCもスマホも問題なくWiFi接続できるが,昼間は打ち合わせなどでいろいろなところに出かけており,そこでもメールくらいはチェックする必要を感じた。徒歩3分くらいのところにFSM TELECOMがあって,話によると24時間営業らしいので行ってみた。果たして21:00頃でも普通に営業していた。そこで10ドルでSIMカードを買ってAXON MINIに挿し,操作設定を英語にしてAPNの設定を頼んだら,fsmtcという簡単なアクセスポイント名だった。プリペイドのプランがいろいろあったが,とりあえず10ドル分のプリペイド通話カードを買い,9ドルで5日間はデータ通信し放題というプランを購入する操作をしてもらった。一応通話も残り1ドル分はできる。他にも2ドルで1日だけデータ通信し放題とか,いろいろなプランがあったが,今回は土曜までの滞在なのでこれが良かろうと判断した。AXON MINIがサポートしている通信方式の中でGSM 900しか使えないので,安定はするのだがアンテナマークの隣にEと表示されるのがちょっと癪。


【第3日目】 打ち合わせであちこち動く(2018年2月13日)

日本時間では4:30にあたる6:30頃起き,シャワーを浴びて眠気を飛ばしてからホテルのレストランに降りた。席に座るとコーヒーポットをもったウェイトレスが回ってきて良い香りのコーヒーを注いでくれる。2.50ドルだが,何倍でもおかわりできる。ハム野菜チーズの全部入りオムレツとトーストを注文し,1時間くらいかけて今日の作戦を立てながら朝食をとったので,おかわり自由のコーヒーはありがたかった。

昨日の約束通り,水元先生が教育局の秘書に電話をしたのだが,何度掛けてもお話中なので諦めて9:00にミクロネシア短期大学に行った。週末の女性を対象とした調査のカウンターパート3人のうち1人しか来ておらず(この方は,オリバー・サックスの『色のない島へ』で有名なピンゲラップ島の出身とのことであった。ちなみに,ピンゲラップ島ではミクロネシア連邦の中で唯一,地産地消の学校給食が実施されつつあるそうだ),明日の朝同じ時刻に打ち合わせしようということになった。一応いくつか確認事項が済んだので無駄足では無かったが,なかなか予定通りに物事は進まない。

次にフランシスコ氏のところに行くと,彼はちゃんと待っていてくれて,しかも教育局の秘書の電話がずっと話し中でつながらないと言ったら別の番号に電話して話をつけてくれた。14:30に教育局で局長がアレンジしてくれた人と待ち合わせ,3つのうち2つの学校を回ることと(最初の学校では偶々PTAの役員会のようなものがあるので,そこに参加して計画を説明することになった),残り1つは翌日に行くという計画が決まった。フランシスコ氏も同行してくれるという。なかなかこういうやる気と行動力がある人材は貴重なのでありがたい。

次はポンペイ州の州都であるコロニアから車で20分くらい離れた,ミクロネシア連邦の首都パリキールに移動した。10:20頃,そこの保健省でJICAのシニアボランティアとして仕事をしている村尾さんを訪ね,研究計画について説明した。ここで思いがけずミクロネシア連邦の保健大臣(いただいた名刺の肩書きにはSecretaryとなっているが秘書ではなく,トップがSecretaryの肩書きをもつ。その下で実務をするNo.2の肩書きはUndersecretaryである)とお会いすることができて,暫しこの国のNCDとか文化について話をした。健康であろうと思えば太るべきと信じているという言説があるが,本当はたんに太ってしまった自分を許すための方便であるとか,そういう話。WHO STEPSが随分前に行われたがデータ整理ができていないため未発表なのは勿体ないという話もあった。今回のプロジェクトは有意義なのでポンペイのみでなくヤップやコスラエにも広めて欲しいみたいな話も出たが,今回の成果はもちろんシェアするので,他の州にも広げていくのはむしろミクロネシア側の保健当局の仕事ですよね,という返しをされた水元先生はさすがであった。村尾さんは続けて連邦のNCD対策部署とWHO事務所にも連れて行ってくださったが,NCD対策部署のトップは電話会議中で,WHOの方も不在だったので,改めて木曜に会合をセッティングしてくださるとのこと。とりあえず今日の晩飯を我々のホテルで4人でとりながら話の続きをすることになった。

ホテルに戻ってから水元先生は書類仕事を済ませなくてはいけないため,昼は福岡大の院生とぼくの2人で適当に食べてくることになった。SIMカードのおかげで,無事に日本でも普段使いしているAXON MINIがポンペイ島でも使えるようになったので,グーグルマップで食事をする店を探すことができた。ホテルの近くにCAFE OLEという店があり,ポークカレーとアイスティーを食べたが,ポークカレーにはキャベツがたくさん入っていて,まるで金沢のカレーのようだった。思った以上に美味だったし,写真と一緒にtweetすることにも成功した。ここまでできれば,5日間20ドルで通信し放題と思えば,そこそこ安いといえよう。回線は遅いが。

14:50から2つの学校を回り,先生やPTAとミーティングしたが,どちららも受入は好意的だったように思うし,スロージョギングができるくらいのスペースはあった。JOCVが教えてくれたよさこいソーランが気に入っているという先生から,前任者の任期が終わってから次の人をお願いしているのだが配置されないので困っているという話があった。あとで聞いたいろいろな話を総合すると,これはJICAがここにJOCVを割り当てる数を減らしたわけではなく,枠はあるのだが応募者がいないためらしい。まあ確かに,任期が2年しかなくて,先行きも不透明なJOCVという身分で活動したいという若者は,有効求人倍率が高いという昨今の情勢からすれば減っても不思議は無いかもしれない。本当の問題は,JOCVの後のキャリアパスが見えない点にあると思うが。

18:00から村尾さんと晩飯。JOY HOTELはオーナーが日本人なので豆腐入りのすき焼きなどという和風メニューもあり,村尾さんからマグロの赤身の刺身をおごっていただいたので満腹になった。木曜の連邦NCD対策部署とWHOの方とのアポもセッティングしてくださり,大変お世話になった。

眠る前に,復路グアムのためのESTA申請した。72時間以内に結果が出るらしい。そもそも2時間の乗り継ぎ待ちのためにいったん入国させるというシステムが間違っていると思うが,これでいったんESTAを貰えば暫く有効なので,次回はたぶん改めてESTAをとる必要はないはず。

それにしても,日本から送られてくるメールへの対応に時間がかかるので,毎晩眠るのが0:00を過ぎてしまって朝がつらい。


【第4日目】 この日もいろいろ打ち合わせの後,蟹をご馳走になった(2018年2月14日)

6:00前に起床し,シャワーを浴びてから階下へ。

フレンチロールと野菜オムレツの朝食この日の朝食もジョイホテルのレストランで,コーヒーとフレンチロールと野菜オムレツで朝食を済ませた。

昨日の約束通り,9:00にミクロネシア短期大学に行って打ち合わせ。ここで協力していただくJICAのAさんはシニアボランティアらしいので40歳は過ぎているはずだが,とてもそうは見えない若々しい方で驚いた。今回はFFQを作るための予備調査的な位置づけで,摂食量を把握するために主食の秤量もしてもらうし,写真も撮ってもらうという計画になっている。その際に食事を載せる容器については,直径26cmくらいの平皿と,ココナツミルクのスープを入れるための小さめの深皿の2枚を用意すれば良いだろうということだった。ただし,授乳婦にたくさん食べさせる風習があるので,一食の中でも平皿を複数回使う可能性があるということで,その場合は皿を一度使うごとに写真を撮ってもらう(食べ残しがある場合は食後にも)ことにした。5日分の記録をしてもらうため,39枚撮りの写ルンですを配ることにしていたが,それでは足りない可能性があると自己申告した人には27枚撮りの写ルンですを追加で配るということであった。皿はとある店でキープされているはずだったのだが,何かの手違いでなかったので,後で時間をみて探すことになった。写真を撮るときには,仮に皿を忘れても食べ物の隣に4色ボールペンを置いて大きさがわかるようにすることを徹底してもらうようにプレゼンする計画とのこと。しかし俯角45度から60度で撮影するとか,キッチンスケールに小皿をおいてTAREしてから主食を載せて表示値を記録するとかいったことを,実演付きで説明しても,この島の一般主婦がどこまできちんとやってくれるかは未知数だ。

聞いた話で面白かったのは,昔は実家の家族から嫁に食わせてないと嫌味を言われないために,嫁ぎ先の家族は無理矢理嫁に食べさせていたということと,それでも今は若くして高血圧とか糖尿病になっている人が多いことはわかっているので,食事調査の結果食べ過ぎであれば主食を減らせという食事指導をしても受け入れられるだろうということだった。WHOは食事調査によくServingsという単位を使うが,たぶんわからないだろうという話も出た。プロジェクトの目標は使える記録用紙を作ることも含んでいるので,もし今回の用紙では不適切だという点が判明すれば,それ自体結果として価値があるわけで,自由にコメントを書ける欄を作ったら良いのではないかと提案した。調査は金曜10:00スタートということを確認して打ち合わせ終了。

次にJICAオフィスに行き,所長といろいろ打ち合わせ。もっともぼくは3つの小学校対象のJICAプロジェクトではなくて食事調査対象の科研費の分担研究者として来ているので,ここでは専ら聞き役に徹していた。火曜の早朝にポンペイ出身の元大統領が亡くなったので,葬式で休日が設けられるかもという情報は気がかり。金曜が休日にされてしまうと大変困る。もっとも,「元」だからたぶんそこまでの大事にはならないだろうという話だったが。帰り際の雑談で,美味しいシナモンロールが売られている店の情報も得たので,後で時間をみて食べてみようということになった。

その後,海の近くの見晴らしの良いレストランで昼食をとってから(ハムチーズ入りチキンカツが大変に美味だった),昨日行けなかった,ちょっと離れた小学校に行って打ち合わせ。芝に覆われた広い校庭で素晴らしかった。そこから保健局に移動し,15:55から3つの小学校の代表や保健局の人たちを交えた打ち合わせ。PTA役員会もそうだったが,PNGやソロモン諸島と同じくここもキリスト教徒が大半を占める土地なので,集会の前には必ずお祈りがあるのが面白い。フランシスコ氏の仕切りで,具体的な計画やプロジェクト教材についてどんどん決まっていくのは素晴らしい。それと同時に予想される問題点も各学校の先生から積極的に意見してくれるのも凄い。これは12月に日本に招待して講義をしておいた成果だろうと思われる。なるほどJICAは(というか,水元先生は,というべきか)こういうステップを踏むのかと,大変参考になった。初回プログラム実施で見込まれる参加者が若干当初予想より少なそうという話だが,徐々に広めていけば良いのだと思う。

その後,フランシスコ氏の家に晩飯に招待されていたので車で移動したのだが,コロニアとはほぼ島の反対側に位置していて,この距離を毎日車で通勤しているフランシスコ氏は大変だろうと同情した。ぼくもかつて長野から東京へ3年間と長野から群馬へ8年間の新幹線通勤をしていたので,長距離通勤が体力的にしんどいことは想像がつく。もっとも,あの頃は若かったし,新幹線には乗っているだけで移動できるから,車を運転するよりはずっと楽だったと思う。たぶんぼくと同じくらいの年齢だと思われるフランシスコ氏がこの生活をしているのは凄いと思う。家の近くでクリニック勤務の医師をしている奥様への愛ゆえだろうか。ポンペイ島はPNGのウェスタン州やソロモン諸島に比べれば圧倒的に道は良いけれども,それでもあの距離を毎日運転するのは辛かろう。でも,新築したばかりのとても綺麗な家だったし,大きな蟹を茹でたものや,サカオもご馳走になり,素晴らしい経験だった。とはいえ,22:00頃にホテルに帰り着いたら疲れ果てていて倒れるように眠った。


【第5日目】 連邦首都でミーティングとか(2018年2月15日)

今日も7:30頃に1階のレストランに行って朝食。座るとすぐにコーヒーを注いでくれるのが良い。イングリッシュマフィンとハム野菜オムレツと合わせて11ドル弱。コーヒーは何杯もおかわりできるし,ハム野菜オムレツが具だくさんなので適正価格と思う。ただ,火曜はトースト,水曜はフレンチロール,今日はイングリッシュマフィンと3種類頼んだが,主食のパン系統のものはもう少し工夫の余地があるのではなかろうか。

その後,9:30に入口に集合して連邦首都へ移動。WHO事務所で10:00からと10:45からと2本の打ち合わせ予定だったが,実際にはそれぞれ少し時間が長くなった。先にアポを取っていたNCD対策部署のトップはX-ner Lutherという方で,Premature Mortality From Noncommunicable Diseases in the Federated States of Micronesia, 2003-2012という論文の共著者になっている。とてもエネルギッシュで,NCDと関連しそうな生活習慣についてもいろいろ情報交換ができた。最近の悪い生活習慣としては,アルコールやタバコ,食塩や砂糖を多く含む食品だけではなく,タバコをラム酒に漬けてベテルナッツと石灰をミックスして噛むとか,サカオは元々の文化では行事があるときに飲むものだったが商業化されてペットボトルで1本5ドルで売られているため,飲み過ぎると食事が疎かになるかもしれないし,それによって貧困になる可能性もあるということだった。こうした問題がきちんと認識されている点は凄いことだが,どうしたら有効なカウンターアクションがとれるのかというと,すぐに実行可能な有効な対策はなかなか無いようだ。あとは,ポンペイの人々の居住形態が集村でなく散村なので健康教育をするにしても遠隔地教育の必要があるのだがソーシャルメディアへのアクセスが弱いのも壁なのだそうだ。次にアポを取っていたWHOのDr. Koもまたエネルギッシュな女性で,マシンガンのように繰り出される英語についていくのが最初しんどかったが,直に慣れて密度の濃い情報交換ができた。オフィスにこもって計画だけ立てていてはダメで,現場に出ることが大事と力説していたのには共感した。もっとも,ただ現場に出るだけでもダメで,コミュニケーションがちゃんと双方向になっていることが大事だと思うが。

空港近くの中華料理屋昼飯は空港近くの中華料理屋に行った。中華料理が凄いのは,世界中どこに行ってもだいたい同じクォリティが保たれているところだと思う。ソロモン諸島の首都ホニアラにある香港パレスやレストラン上海やSEA KINGでも,PNGの首都ポートモレスビーにあるマルコポーロでも,PNGの地方都市ダルーの港近くにある華僑系ホテルのレストランでも,それほど変わらない。もちろん,日本でもひどい店もあるが,華僑系であればそれほど外れはないように思う。

午後は15:30にミクロネシア短期大学に行って,翌日渡す食事調査記録用紙の確認。その後,保健局に移動して身長計を借りるための打ち合わせ。偶然にも保健統計データマネジメントの責任者と会えたので,妊婦健診データの一部提供とWHOデータの二次使用許可を依頼した。保健局のトップには会えなかったが,No.2のDr. Kellaには会うことができた。正岡子規の子孫だというのには驚いた。

ホテルに戻ってから文献検索をしていたら,どこかで既にリンクした気もするが,Pacific IslandのFood Composition Table, 2nd Ed., FAO 2004が公開されていることに気づいた。データとしてreadily avaiableだといいんだが。


【第6日目】 食事調査セッティング1日目+Nan Madol(2018年2月16日)

ミクロネシア短期大学で食事調査の説明開始。途中で福岡大学の院生と2人で保健局に行って身長計を借りてきた。UNICEFと印字されている木製の組み立て式のもので,水準器などは付いていないが,まあ大学の講義室だから床は平らだし大丈夫だろう。明日まで借りるので返却はどうしようという相談した結果,ホテルのカウンターに預けておけば引き取りに来てくれるということになった。

調査の参加者は予定より若干少なかったが,熱心に聞いてくれて良かった。しかしやっぱりキッチンスケールの使い方は難しいようだ。驚いたのは,朝食を食べずに働きに行くことがあるという人が何人もいたことだった。大半の人が身長と体重を測ってみるとBMIが35を超える肥満なのだが,栄養摂取のバランスが悪いのか,それとも朝食欠食の分,昼と夜で大量摂食するのか。

翌日も別の参加者に対して同じ調査をする予定。午後はその代休というか,ここに来て世界遺産を見ないで帰るのももったいないということもあって,世界遺産のNan Madolを見てきた。なぜ海の上に遠方から大きな石をたくさん運んであんな構築物を作ったのか謎は尽きないが,美しいところだった。天気も良くて素晴らしい経験であった。
ナン・マドール

晩飯は寿司ロール屋(?)に行った。元々は別の店でミクロネシア短期大学で一緒に調査をしてくれているJICAの方と食事の予定だったが,その店がたぶん元大統領の逝去を偲ぶためのパーティか何かで貸切になっていて入れなかったので,急遽そっちに変更したのだが,スパイシーロールというものが美味であった。
スパイシーロール


【第7日目】 食事調査セッティング2日目を済ませてJapanWeekをちらっと見てから帰途に就く(2018年2月17日)

調査最終日も前日同様,朝食後にミクロネシア短期大学に行って食事調査の説明と身長・体重計測。

カウンターパートの偉い女性が自分も測って欲しいというので測ってみたら,見事にBMIが34くらいだった。まあ,この方は保健関係者ではないのでいいのだが,この国の肥満対策は前途多難だなあ。個人的にはBMI30くらいまでならそんなに目くじらを立てることはないと思っているが,ここの人たちは明らかに太りすぎだし,それによって高血圧や糖尿病や心疾患や脳卒中が比較的若いうちから多発していることも確かなので,何らかの対策は必要だろう。

たぶん最大の問題は高血圧や糖尿病には自覚症状がないことで,だからあまり熱心に対策しようという気になれないのだと思う。ソロモン諸島の首都ホニアラの人たちとそこは共通しているのだと思う。文化的背景も含めて広い視野で考える必要があるだろう。

午後はJapanWeekという催しが盛大に行われていて,JICA関係者を始め,現地に長期滞在している日本人は総出ではないかと思うほどたくさんのイベントがあったようだった。ぼくと福岡大の院生が会場に着いたときは終わり近かったが,ポンペイ島の人たちも楽しんでいるようで良かった。仙台育英高校の和太鼓と獅子舞をする部活? らしい高校生が日本からやってきていて,現地の子供たちが和太鼓演奏を教えて貰って楽しんでいたのが印象的だった。
ジャパンウィーク

深夜にホテルをチェックアウトし,空港からグアム経由で関空に着くまではあっという間だったように思う。疲れるが悪くない経路だった。以上,初ミクロネシアのメモ。


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

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