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【第337回】 後期入試など(2020年3月12日)
- 今日は後期入試関連の仕事で16:00頃まで時間が無かった。
- 昨日の日経の編集委員矢野寿彦氏による記事新型コロナ、日本の検査遅らせた「疫学調査」は,あまりに事実を誤認した陰謀論に陥っていて,この記事によって疫学への信頼が失われることは対策に有害なので批判しておく。有料記事だが,登録すると月10本までは無料で読めるので,全文読んだ上での批判である。
- この記事には2つの大きな誤解がある。おそらく上昌広氏と同じ誤解と思われるので,氏の意見に影響されているのだろう。その誤解とは,
- SARS-CoV-2に感染している人は,検査すればわかるという思い込み
- 積極的疫学調査が公衆衛生の発想だから正確なデータにこだわって民間に参入させなかったという思い込み
である。
- 実際は,前者については,無症状や軽症な人はウイルス量が少ないので,鼻腔スワブや咽頭スワブに偶々ウイルス遺伝子がつかなかったら,いくらPCRの増幅能力が高くても検出されない。既に書いた通り,検出限界以下ということだ。つまり,増幅できるかどうかがサンプリングの仕方に依存するので,仮に自宅でサンプルして郵送で検査のような仕組みができたとしても,無症状や軽症では,感染していても陰性になる可能性がかなりある。それが,検査対象を無闇に増やさない本質的な理由であって,最近専門家委員会の尾身先生が言い出した検査能力の限界というのは,あるとしても副次的な理由である。民間や大学の協力を求めて検査能力を拡大できなかった理由があるとすれば,それは精度や検査キットなどの話ではなく,患者の人権を守る上で,守秘義務契約など法や制度的なものの整備が間に合わなかったのではないかと思う(これも既に書いた)。この,検査して陰性だった場合に,感染していないとは限らず,感染しているかどうかわからない,という事実を説明しないでおいて,最後の段落で「安心検査」の拡大には専門家が否定的だと書くことは,専門家への疑念を煽ることになりかねない。
- 後者は,積極的疫学調査が公衆衛生の発想というところまでは正しいが,その第一の目的は,クラスター内の患者をすべて追跡して見つけ,隔離などの手段によって,それ以上感染を広げないことにあって,データをとることではない。和歌山県のクラスターの検査のため,大阪府の協力を得たことからもわかるように,精度の統一など大した問題ではない(そもそも上述の通り,陰性と出ても感染している人は少なくないので,感染研キットに拘る意味がない)。
- 感染隠しを疑う声が高まったのは,上医師ら,陰謀論を唱える自称専門家がワイドショーやSNSで騒いだことや,そこに乗ってしまうこの新聞記事のようなものこそが原因なのに,その自覚がないというのは新聞記事として致命的だと思う。
- もちろん,クラスターにおける積極的疫学調査によって得られたデータは,疫学的な分析にも使っているが,これは副次的な目的である。既に書いた通り,積極的疫学調査で見つかったクラスターからクラスター発生の共通条件を見つけて予防に使うというのは世界初の試みで,西浦さんが天才だから思いついたことだと思う。
- 3点目の批判をすると,保険適用後の自己負担を公費でカバーするのは,データを集めるためではなく,感染拡大を防ぐためである。疫学調査に濡れ衣を着せるのもいい加減にして欲しい。1類,2類感染症と感染力のある結核患者の入院医療費が公費負担なのと同じで,「社会防衛」のための医療費が公費負担になるのはCOVID-19に限ったことではなく,公衆衛生の常識である(保健行政論の講義資料にも載せている)。
- なぜこうして検査についての陰謀論に陥る人がいるのかを考えてみると,2つの目的の違う検査が同時進行していることをわかっていないからだと思う。つまり,クラスター発生地を中心として,これまでも,濃厚接触のリンクが辿れる場合は,そのリンクを追って無症状でも軽症でも検査していた。この目的は感染拡大を防ぐためである(おそらく,和歌山での検査は,クラスター対策班のファーストミッションとしての成功事例ではないかと思っている)。それと平行して,入院治療の必要がある肺炎患者が,COVID-19であったときにcritically illになったら迅速に人工呼吸器とかECMOとかの救命措置をしないと死亡してしまうため,そうなる前にCOVID-19であるかどうか鑑別診断するための検査も行われてきた。これが,医師が必要と判断したときに保健所経由でオーダーされる検査で,患者の命を救うために行われてきたわけである。後者における問題は,リンクが追えない市中感染の方について,クリニックを肺炎症状で受診した患者を診察した医師が,鑑別診断のために検査が必要と判断して保健所に連絡したのに拒否される場合である(クロ現プラスなどテレビでも何例か報じられていた)。これについては,都道府県医師会ごとに,オーダー数と拒否事例数を集計して,その合計が本当にその地方の検査能力を超えているなら,拡充すべきであろう。専門家会議もこういう拒否は無くすべきという判断をしているのが,この数日の尾身先生の発言につながっていると思う。
- 検査体制の整備目標は,これら2つの目的の検査を拒否せず実施できることにおけば,必要十分である。もしかすると前者の余力を残すために後者を拒否する保健所があったのかもしれないが,それは優先順位を間違えている。
- 鼻腔スワブや咽頭スワブをリアルタイムRT-PCRで検査するという方法でスクリーニング的にランダムサンプルされた無症状者の検査をしたら,感染しているのに陰性という例が多いとしても,しないよりは感染状況の把握に役立つのではないかという意見があるが,検査能力を圧迫するし,ちょうど鼻腔や咽頭にSARS-CoV-2ウイルスがいるときに検体を取らないと検出できないので,集団における感染状況の把握には向かない。その目的なら,血清抗体(必ずしも中和抗体でなくても良い)を調べる方が良い。ちょうど今日発表されたクラボウが中国から輸入するIgGとIgMを検出するイムノクロマトキットは,リリースには「感染時に体内で生成される特定の抗体を検出するため、感染初期の患者に対しても判定が可能」と書かれているが,感度や特異度が書かれていないのが気になる。検索してみたところ,クラボウが輸入しているキットの開発元は,おそらくBioMedmicsで,そこの情報によると,397人のリアルタイムRT-PCRで確定診断がついた感染者のうちこのキットで陽性になった人は352人(感度は352/397=88.66%)であり,128人のリアルタイムRT-PCR陰性の人のうちキットで陽性となったのは12人(特異度は(128-12)/128=90.63%)と書かれている(追記20200315:三重大学の奥村先生から教えていただいたが,クラボウのとは違うものらしい。そうなるとクラボウがどこから輸入するのか不明だが)。RT-PCR陰性の人のうち約1割から抗体が検出される理由として考えられるのは,このキットで使われている標識抗体が,検出対象にしている「特定の抗体」だけに結合するのではなく,他のタンパクにも反応してしまう可能性の他に,治癒後であるという可能性もある。マラリアやデング熱でもイムノクロマトを利用したRDT(Rapid Diagnostic Test:迅速診断検査)は良く使われているが,抗原に対するRDTと抗体に対するRDTは別の意味をもっている。抗原に対するRDTで陽性ならばその病原体が血液中に存在することを意味するが,抗体は治癒後でも暫く血中に存在するので,抗体陽性は,いま感染しているかどうかではなく,感染した経験を示すことになる。いずれにせよ,特異度が90%程度しかないのでは,有病割合が低い対象者についてスクリーニングしたら,陽性反応的中率が低くなってしまってあまり役に立たないというのは,疫学の基本である。
- しかし,血清疫学という研究分野では,治癒後も暫くは抗体が残ることを逆手にとって,集団における感染状況を把握する方法が確立している。最近感染した人は,感染強度が弱かった人や,治癒後時間が経っている人よりも血液中の抗体の濃度が高いので,血液を何段階かに希釈し,抗体が何段階希釈までELISAやIFATで検出できるかを調べれば,その抗体の濃度を抗体価として把握できる。抗体価の分布を調べれば,集団中の流行状況を評価することができるわけである。個人の鑑別診断としては感度や特異度が不十分でも,抗体価の分布はある程度信頼できる。イムノクロマトにしてもELISAにしてもIFATにしても,確定診断のためのリアルタイムRT-PCRとはサンプルも検査機器も競合しないので,必要な検査の邪魔をせずにデータを取ることができる。
- 既に紹介したように,日本でも文部科学省から5000万円の研究費を受けたウイルス学者のグループの研究課題の中に血清抗体検出キットの開発が含まれているので,もしかしたら,もっと感度や特異度が高いキットができる可能性もあるが,抗体検出による限り,原理的に治癒後なのに陽性となるケースを除外することはできないので,特異度の改善には限界があり,これをリアルタイムRT-PCRの代わりに確定診断に使おうというのは筋が悪い。
- 参考までに,『わかる公衆衛生学・たのしい公衆衛生学』の「感染症の疫学」の草稿の中にあって長さの関係でボツになった,血清疫学についての説明文を載せておく。
A.パプアニューギニアでの血清疫学研究
パプアニューギニア低地に大きく分けると4つの地域に居住しているギデラと呼ばれる狩猟採集民は,エネルギーもタンパク質も十分に摂取していて,鉄摂取量に至っては,海沿いの村落で30 mg,内陸と南方川沿いで60 mg,北方川沿いで100 mgと,日本の栄養所要量の3倍から10倍に達している集団です。主食は芋類やサゴヤシというヤシの木の幹に詰まっているデンプンを川の水で絞り出して沈殿させて得たものですが,サゴの摂取量には大きな村落間差があって,それが鉄摂取量の村落間差の原因になっています。
この地域でマラリア患者が多いことは聞き取りや観察の結果からわかっていましたが,血液検査ができなかったので確定診断はできていませんでしたし,どの程度の頻度でマラリアに罹るのかという疾病負荷の情報はありませんでした。1989年に採血をともなう調査をした結果,村によって貧血の人の割合に違いがあることがわかりました。北方川沿いと内陸には貧血の人がまったくいなかったのに対して,南方川沿いと海沿いでは10~30%の人が貧血でした。
この血液サンプルは,現地に発電機を持ち込んでその場で遠心分離し,血清として凍結して日本に持ち帰りました。この血清を疾病負荷の推定に使う方法が血清疫学です。マラリア原虫は煙幕抗原をばらまくなどの防御をするため,患者になるとマラリア原虫への抗体はできるのですが,その抗体は中和抗体となりません。しかし,いったんできた抗体は数ヶ月から2年程度は血清中に存在し続けることが知られていますので,頻繁に感染した人や,感染したばかりの人では,抗体が高濃度で存在します。蛍光物質で標識した抗原を2倍,4倍と段階的に希釈した血清と反応させると,血清中の抗体が多いほど高い倍率で希釈しても蛍光を発します(それ以上希釈すると蛍光が見えなくなる限界の希釈倍率を抗体価と呼びます)。この,間接蛍光抗体法という方法でギデラの人々の血清を測定した結果,熱帯熱あるいは三日熱のどちらかのマラリア原虫に対する抗体価が1:64以上(比較的最近の感染があったと考えられる値)だった割合は,海沿いで100%,北方と南方の川沿いでは90%に達していたのに対して,内陸では30%に過ぎませんでした。これは調査中の実感とも合っていて,海沿いや川沿いでは夜間になると猛烈な蚊の襲来を受けたのですが,内陸の村では蚊に刺されることがはるかに少なく過ごしやすいと感じました。興味深かったのは北方川沿いで,マラリア抗体価は高いにもかかわらず,貧血の人がいなかったという事実です。村人に聞き取った歴史によれば,彼らは元々内陸に暮らしていて,人口が増えるにつれてまず北方川沿い,次いで南方川沿い,最後に海沿いに進出したということでした。北方川沿いには古くから進出したことで,鉄摂取量がきわめて多く,そのことが貧血を防ぐことと関連していると考えられました。もしそうなら,一種の栄養適応が起きているのだと解釈できます(Nakazawa et al., 1994)。
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