
Latest update on 2026年2月26日 (木) at 22:52:46.
かつてドーキンスは、人類には他の動物にはなかったゆっくりとした創発があり、その原因の一つは言語であったと言い、当時多くの人は単純なシグナルではなく文法をもった言語は人類固有のものだと信じていた。鈴木俊貴さんがシジュウカラにも文法をもった言語が存在することを示してから、言語自体は人類固有でないことがわかった。しかしドーキンスがいうレベルの創発が人類固有のものであるように見えるのも事実だ。
前回メモしたときは「言葉を持つ鳥には社会組織が発達しなかった別の要因(定住しないこととか)があったと考えれば矛盾は生じない」までしか考えなかったが、人類には音声言語だけでなく文字言語があることで、異時的かつ異所的かつ同時発話数の限定がないコミュニケーションが可能になった点が大きいと思われる。ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』でユーラシア発の文明が世界征服に成功した理由として生態学的条件の有利さに加えて、アフリカやオセアニアなどには存在しなかった文字言語を発明した(すべての文字言語の祖はシュメール文字かマヤ文字のどちらかであることが第12章で説明されている)ことを挙げているが、たぶん人類が他の動物よりも大きくて複雑な社会組織を構築し、社会組織や技術を後代に残せるようになった鍵は、音声言語だけでなく文字言語を発明したことと言えるだろう。
文字言語は時空を超えることができる強みをもつが、大きな弱点が3つあると思う。
1つ目は記録媒体が必要なことだ。粘土や軟らかい石や繊維を抽出しやすい植物は普遍的に存在するものではないし、それがどれくらい保存できるのかということも自然条件に依存する。紙や本を作るためにどれくらいの煩雑な手順が必要かということは、4月からLittle Glee Monsterがオープニングテーマを担当するので知ったアニメ『本好きの下剋上』の原作小説を読むと想像しやすいが、パピルスを発明した古代エジプト人の想像力と創造力は偉大だったと思う。
2つ目の弱点は、時空を超えて存在する書き手と読み手が共通の語彙と文法を紛れなく理解していなければいけない点である。対面での対話であれば、相手の反応から理解できたかどうかを判断し、会話を続けることで修正したり、表情や身振り手振りなどの非言語的な情報を補助的に使うことで、相互理解に至ることができる。しかし、時空を超えた文字言語による対話では、そうした補助が存在しない。たぶん、自然言語においては、時間経過とともに語彙や文法がある程度の共通理解に収斂していったものと思うが、それでも文章に多義性が残るのは避けられない。脳内のプロセス全てが言語化できるわけではないことを考えれば、言語化されたものが多義的になりうるのは音声だろうが文字だろうが同じだろうけれども、音声言語では可能であった誤解の修正が、文字言語では難しいことを前提にしなければならない。数式(現代数学の先端は知らないが、大学教養レベルまでに習うレベルのもの)やコンピュータ言語のような演繹的に組み立てられた人工言語は、論理的に扱える内容しか表現できないという制約から逆に一意性が担保されると思うが、自然言語は多義性から逃れられないという限界をもつ。もっとも、生命進化自体が大野乾がいうように「一創造百盗作」であると考えれば、この自然言語の多義性自体が人類に起こった「創発」の根源であるのかもしれず、弱点とばかりは言えないのかもしれない。もっといえば、LLMsはコンピュータのソフトウェアでありながら、入力が自然言語であるため、そこに多義的解釈の余地がある。乱数による確率性が取り入れられたアルゴリズムになっていたら、創発も起こるかもしれない。
3つ目の弱点は、時空を超えて存在する他者を想像したり共感したりできることが、必ずしも人類普遍ではないかもしれない点にある。最近の政府与党が積極的に採用しているように思われるのだが、ゲッベルスの情報戦略の核心をなす「反復することで決定的な効果」「話し言葉には強い影響力」「直接に人同士が接触することが宣伝の核心」は、選挙において辻立ちをする効果が大きいことで、現代日本でも実証されている気がする。YouTuberやTiktokerのインフルエンサーが文筆家よりも大きな影響力を発揮しているように思われる現状も傍証となるだろう。おそらく、なぜそうなっているのかといえば、道徳次元が2の人が社会の7割を占めるからだと思う。時空を超えた他者への想像、理解、共感ができるということは、道徳次元が4であることを意味しており、鄭くんたちの予備的な調査では、道徳次元4の人は圧倒的少数派なのだ。もちろんそうした少数派の手によって時空を超えて技術や文明は継承されうるのだが、社会の多数派には、文字言語よりも音声言語の方が強く届くのだと考えられる。
たぶん、国連が開発目標として掲げているSDGsの達成には、道徳次元4が多数派となるような社会になることは不可欠である(ここで詳細に議論することは長くなりすぎるので避けるが)。そのためには音声言語よりも文字言語によるコミュニケーションが有効であって欲しい。いまKindleで読んでいる稲田豊史『本を読めなくなった人たち:コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(中公新書ラクレ)では、現代日本では「できる」人の方が音声メディアに比べてテキストメディアが非効率的であると主張すると書かれているが、これは文字言語を扱う能力の衰退であり、人類進化の道筋から考えたら退歩ともいえる。カーネマンの『ファスト&スロー』がいうところの「スロー」な論理的思考(=システム2)も、ドーキンスが人類固有のものと強調していた予測と計画の能力を構成する根幹であり、音声言語よりも文字言語との親和性が高い。
と、つらつら考えてくると、人類の社会を維持し、少しでも良い方向にもっていくためには、再びテキストメディアが音声メディアより優位に立つべきだと思う。もっとも、この文章をここまで読んだ方は文字言語を好む可能性が高いと思われるので、この内容を訴えたい対象には届かない、という本質的弱点が残るのだが。
佐藤俊哉先生の『宇宙怪人しまりす 統計よりも重要なことを学ぶ』朝倉書店、ISBN 978-4-254-12297-8(Amazon | honto | e-hon)のp.45で紹介されている統計数理特集号「ヘルスサイエンスと統計科学」を漸く見てみたが、昔はちゃんと論争していた(佐藤先生が絶妙にオーガナイズされた結果だと思うが)とはいえ、元々立論の立脚点が科学というよりも思想な方なのだなあ。これでは噛み合うはずがない。それでも無視するよりはちゃんと論争した方が良いと思うが。個人的には昔の論争で故・大橋靖雄先生が書かれたコメントに共感を覚えた。
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