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個別鵯記

Latest update on 2018年7月7日 (土) at 22:22:03.

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【第1878回】 「夏になって歌え」(2018年7月1日)

木曜に「僥倖」と書いたのは,水曜に書いた推測が佐藤剛さんの目に止まって,twitterでダイレクトメッセージをいただいたことに始まる。いろいろとやりとりをしていたら,曲を聴いた正直な感想を聞かせて欲しいので,ということで試聴用の音源をいただけることになったのである。なぜ目にとまったのかといえば,枕草子 (My Favorite Things)で,好きな本と音楽について書いた文章(曾て聴いた音楽についてとか文化を制度化することとかデバッグと,ビートルズ好きなおっちゃんとか? あるいは,枕草子ではないが,野村誠『路上日記』の書評とか?)を読んで,以前から関心を持っていてくださったからだった。これを僥倖と言わずして何と言おうか。(以下大きな勘違いだったので訂正。ミュージックソムリエ協会ではなく,Tap the popのミュージックソムリエだった)その上,ミュージックソムリエにもお誘いいただいた。ぼくのような音楽好きなだけの素人で良いのか不安だが,こんな凄いチャンスを逃すバカはいないだろう。2つ返事でお受けした。

そんなわけで,品川で初披露された日の夜,「夏になって歌え」の試聴用音源を入手したのである。その瞬間から繰り返し聴き続けていることは言うまでもない。

5回聴いた時点での第一印象。小さい頃から歌に全てを賭けて世界に存在するさまざまな事物を歌い上げてきたリトグリ自身がテーマであるように感じた。このことは,同時に,この作品のテーマが「歌の力」であることを意味する(つまり「余談」じゃないのは歌である)。ただし,MISIAの「We are the music」が屈託無く歌う喜びを炸裂させているのに比べると,もう少し体内に熱気を溜め込む感じになっているのは,作詞が最果タヒさんだからだと思う。水曜に書いた通り,「人生を描くことがどうしても好きになれなくて,なにより青春のまぼろしというものを書くには詩がいいなと思って詩の世界に行って,いまだにその感覚のまま」という方だから,「We are the music」みたいな正面突破はしてこない。でも,熱気を内に撓めた分,「風」「息」から「ドアが見え」て「夏になる」ことで強い日射しとともに爽やかな風が一気に吹き抜けて歌う喜びが爆発する感じが堪らない。そこから喉の奥まで「灼き尽くす」ような強烈な情熱が迸る展開が繰り返される構成を,一番をmanaka,二番を芹奈が主旋律を歌うことで,微妙に味わいが違うところが素晴らしい。manakaと芹奈が主旋律を交互に歌うところから,「果てなく続くストーリー」のカバーをちょっとだけ思い出した。

もちろんそこに深い余韻を広がりを感じさせるピアノとハモりが重なる効果も大きい。とくに2番の「紫陽花も」のハモり……とは言わないか? 追っかけコーラス?(アサヒ?)は絶品である。これはリトグリならではの名曲であることを確信した。たぶんずっと歌っていくことで,さらに深みを増していく曲なのではないか。

歌詞に余白というか解釈の多様性の余地があるところがまた良い。何度か繰り返されることがとても印象的なのだが,サビの「横断歩道でひかれた陽炎」という歌詞がとくに深い。「ひかれた」がひらがなで書かれているのは,おそらく最果タヒさんも多義的な聴かれ方を意図しているのだろう。横断歩道というと道を横切って渡る場所であり,ある意味,何かのハードルを乗り越える場所でもある。車が通る場所だから,まず思いつくのは「轢かれた」である。つまり,何かのハードルを乗り越えようとして流れに捲かれて失敗することの暗喩かもしれない。ただし「陽炎」というまぼろしにつながるので,壁にぶつかっても流されてもそれは一時的なものだという印象も受ける。しかし,2番を聴くとまったく印象が変わる。同じ旋律で歌われる「水蒸気が作る美しいもの」は,明らかに1番の「陽炎」を指しているので,横断歩道で待っているときに,美しい陽炎(=一見良さそうなさまざまな幻,あるいは余談,と最後に表現されているもの)に「惹かれた」と思われる。

その後,繰り返して聴くうちに,かけがえのない宝石のような一瞬一瞬の「いま,このとき」の完全燃焼への讃歌なのだなあという思いが強くなってきた。「ドアが見えるの」のところのコード進行が何かに似ているなあとつらつら考えていて,あまちゃん「潮騒のメモリー」の「はげしく〜」のところだったことに気づいた。温かくて強い思いをもった歌なのに,どこか懐かしく刹那感を感じるのは,たぶん,あまちゃん本編のラストシーン,ユイちゃんとアキちゃんがトンネルの向こうの光に向かって走って行く映像を思い出してしまったからかもしれない。

いやこれ,いくらでも語れるな。

佐藤剛さんの「阿久悠と歌謡曲の時代」を拝読し,石川さゆりにとっての「津軽海峡・冬景色」がそうであったように,リトグリにとっての「夏になって歌え」は,マスターピースになりうる作品だと確信した。しかし一方では,そうできるかどうかは聴く側の受け止め方に掛かってもいる。ファンの一人としてその実現を心から願う。

ふと思ったが,この曲が,リトグリ自身をテーマにした歌である(最果タヒさんが「リトグリの皆さんにあてて歌詞を書いた」とtweetされている)と考えると,「JOY」「明日へ」に連なる歌といえる。もちろん,既に書いたように,それを超えて「いま,このとき」の完全燃焼への讃歌,歌の力を訴えるという普遍性も備えているが。昨日『世界はあなたに笑いかけている』のCD構成が発表され(カップリング曲になった「青い風に吹かれて」はリズムダンスコンテストの課題曲だからそうだろうと思っていた通りアップテンポなダンスナンバーで,「世界はあなたに笑いかけている」と続けてエンドレスリピートするとテンション上がりそう),そこには含まれないことがわかったが,これは水曜日に書いた予想通りで,1年以上(佐藤剛さんのtweetからすれば構想は3年以上)かけて丁寧に作られた曲であり,アルバムのエンディング曲であった「JOY」,1万枚限定販売という特殊な売り方だった(sola-kala@ガオラーさんからtweetでご指摘いただいたが,1万枚限定は「はじまりのうた」だった。訂正します)リトグリ初めてのメンバー自身の作詞でシングルの表題曲だった「明日へ」から考えると,「夏になって歌え」もシングルのカップリングという表題曲に埋もれがちな発表形態をとるはずはないと思っていた。さて次の一手は如何に?

さらに何度も聴いているうちに思ったが,夏フェスのエンディングにメチャクチャ合いそう。既に始まっているドルフィンショーとのタイアップの他では,最初のうちは夏フェスのエンディングで展開すると良いと思う。


以上,佐藤剛さんから,音源をいただいたことも含めて書くことをお許しいただいたので,7月2日になってから公開する。

羽田空港で国際協力研究科の受験希望者と面談。なかなかよく考えていて感心した。受かってくれると良いのだが。若干遅れて到着した飛行機で神戸空港に飛び,無事に着いたまでは良かったが,2階に上がったらポートライナーが停電で折り返し運転していると掲示されていた。テレビカメラなども来ていた。ちょうど昼なので,空港で昼飯を食べてしまうことにした。神戸洋食キッチンのロイヤルカツカレーは高いが美味い。食べ終わってもまだポートライナーは止まっていたので地上に降りたら京コンピュータ前までバスで振り替え運送をしているとのことだった。バスからポートライナーに乗り継いで三宮に出て,地下鉄で名谷に出て大学へ。ドラゴンズのジャイアンツとの試合(山井投手の好投空しく3-0で完敗だった)をチェックしながらミニレポートの採点とか資料作成と印刷とかいった講義準備。だいたい終わったところで21:00を過ぎた。復路はたぶん湊川公園廻りの終バスだなあ。

最果タヒさんのブログ記事での宇多田ヒカル愛が凄い。このインタビューで知った音作りへの拘りにも惹かれ,つい,『初恋』ハイレゾ版をダウンロード購入してしまった。しかしFLACのダウンロードは時間掛かるなあ。

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